【特集】久しぶりの「日本代表」に燃えられるか…男子フリー66kg級・池松和彦(K-POWERS)007年4月24日】







 オリンピックでの金メダルを目標にとことん燃えた選手にとって、大きな“祭り”を終えたあとの虚脱感は、他の何でも埋められないほど大きいものだろう。「20代で、体が続くのなら、当然次のオリンピックを目指すはず」と思うのは周囲の推測。すぐに次の五輪を目指す選手もいないことはないが、五輪までの辛い練習にもう1度挑もうとするだけの気持ちになかなかなれない選手は少なくない。

 男子フリースタイル66kg級の2003年世界銅メダリスト、池松和彦(K−POWERS=
右写真)も、そんなエアポケットに入った選手だ。アテネ五輪の翌年もアジア選手権と世界選手権の日本代表権を獲得し、大学院生としてユニバーシアードの出場も果たした。しかし、アテネ五輪でのメダル獲得も期待された時の勢いは感じられなかった。アジア選手権は3位と順位を落とし、世界選手権も2回戦敗退に終わった。ユニバーシアードは初戦敗退だ。

 いずれも「この負けで気持ちを引き締められる」という意味の言葉を口にしたが、逆に言うなら、「燃えるものがなかった」ことを、自らの言葉で認めていたのである。そして、この年の3度の負けでも、アテネ五輪前と同じだけの“燃えるもの”は湧いてこなかった。

 2006年に入ると、全日本選抜選手権、全日本選手権ともに若い米満達弘(拓大)に敗れて日本代表を逃した。全日本社会人選手権(74kg級)で優勝し、NYACホリデー・オープンに出場するなど、トップレベルの闘いに挑む姿勢はある。しかし、以前のような燃え方ではない。米満、小島豪臣(周南システム産業)、佐藤吏(ALSOK綜合警備保障)といった若い選手の台頭の前に、その名前も忘れられつつあるのが現状だ。

 しかし、来月にキルギスタンで行われるアジア選手権への出場の機会が舞い込み、これを受けた。久しぶりの日本代表チームとしての遠征。「これまでに出たアジア選手権は、常にメダルを取っていた(03年=銀、04年=金、05年=銅)。メダルを逃したくない」。アテネ五輪の準々決勝で悔しい逆転負けを喫したレオニド・スピリドノフ(カザフスタン=
左写真)や、2005年アジア選手権準決勝で敗れたドーハ・アジア大会王者の白鎮国(韓国)の顔が脳裏に浮かぶと、1年以上忘れていた緊張感に襲われる。

 「北京オリンピックと考えるより、ことし1年間と期限を区切って完全燃焼しようと思っているんですよ。アジア選手権で勝てば、自信もつくでしょうし」と、今を燃えることで、来年へつなげようとする気持ちが伝わってくる。

 2度目の五輪を目指す選手にとって、問題となるのはモチベーションだけではない。どんな選手にも体力の衰えがやってくるほか、けがが慢性化してしまう。練習や試合に挑む体力の衰えは感じなくとも、疲労回復やけがの回復のスピードが遅くなるのは、誰もが口にすること。池松も「ウエートトレーニングをがんがんやると、3日くらいは体がきつい。4、5年前にはなかったこと」と話し、練習量を落とし、質を高める練習に変えていく必要を感じている。

 接骨院への通院(低周波治療・マッサージ)やサプリメントの摂取など、練習後のケアも以前とは比べものにならないほど気をつかっている。「サプリメントがどの程度役に立つかは分かりません。でも、気持ちの上で違いますね」。目標は、大けがを乗り越え、満身創いの体ながらアテネ五輪で銅メダルを獲得した井上謙二選手(自衛隊)。20代後半になった体との“つきあい方”をしっかりと聞いてみたいという。こうした気持ちになっていること自体、池松の気持ちは、死んではいない。

 全日本チャンピオンを滑り落ちた悔しさを最も感じるのは、全日本合宿に参加し、練習の前後に行われる整列の時だ。コーチから見て、左側に全日本チャンピオンが並び、右側に全日本2位以下の選手が並ぶ。かつて“チャンピオン席”にいた選手にとって、“練習パートナー席”にいなければならないのは辛い。“チャンピオン席”には、かつてのスパーリングパートナーでもあった小島がいる。「今は自分が練習をお願いする立場なんですよ」。口調は静かだが、頂点からすべり落ちた悔しさが、言葉の端々からうかがえる
(右写真=全日本合宿で小島と練習する池松)

 そんな気持ちも、アジア選手権で久しぶりに“日本代表”の肩書きをつけて闘うことになり、いくらかでも救われるのではないか。「試合を多くやりたい。4試合でも、5試合でも」。今、池松の気持ちの中に“日本代表”としての闘いを望む強い気持ちがはっきりと芽生えてきた。その闘いの中で、北京オリンピックを目指す気持ちが燃え上がってくるか。

 「この前のクイーンズカップ、演出がいいこともあって、マットに上がる選手は素晴らしいって感じましたよ
(左写真=スポットライトに照らされて試合を迎える選手)。自分もあの舞台でやってみたい」とも言う。だが、オリンピックのマットの素晴らしさと感動は、こんなものではないはず。

 世界の選りすぐられた選手しか立つことのできない、まばゆく、輝かしい舞台に立つ夢を、才能ある27歳の選手が捨ててはならない。アテネ五輪までの日本チームをけん引した男の2度目の勝負の幕が、今上がる。


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