【特集】演出仕掛け人は山本“KID”徳郁の夢を打ち砕いた男【2007年3月27日】







 風間杯全国高校選抜大会のだ第50回記念大会の開会式は、PRIDEのテーマ・ミュージックでスタート。ヴァンダレイ・シウバ、桜庭和志らプロファイターのテーマ・ミュージックが続く中、全国の予選を勝ち抜いた48校が入場行進を行い、さながらプロ格闘技のイベントのような盛り上がり。試合が始まっても、新潟県内で活躍するプロのアナウンサー、清野幹さんが試合の実況を行い、記念大会にふさわしい熱のある大会となった。

 これは1998〜2000年全日本選手権フリースタイル58kg級チャンピオンだった関川博紀さん(新潟北高〜日体大卒)の発案
(右写真:試合の実況をする清野さん=右=と関川さん)。関川さんは1999年の全日本選手権決勝で山本徳郁選手(現山本“KID”徳郁=当時山梨学院大)を破って優勝しながら、その後の世界予選などを勝ち抜けず、あと一歩でシドニー五輪を逃した。

 その後、三条工高(現県央工高)のコーチをやりながらアテネ五輪を目指したが、同年4月の明治乳業杯全日本選抜選手権の決勝で井上謙二選手(自衛隊)に黒星。五輪で銅メダルを取った井上選手の国内最後の対戦相手だった。関川さんに因縁のある2人が、この1月に“時の人”になったのも、不思議なめぐり合わせだ。

 現在は新潟東高に赴任し、バレーボール部の顧問をやっているが、「レスリングの普及に尽力したい」とレスリング部もスタートさせ、辛うじて集めた部員2人とともに体育館のステージで活動をしている。2009年には新潟市で国体が予定されており、この4月に入部してくれた選手が3年生の時がその年。「部員を多くし、強くして国体に出したい。何らかの形でレスリング界に貢献したい」と、故郷、そして日本のレスリングの発展に情熱を燃やしている。

 関川さんの高校時代の恩師でもある原喜彦さん(新潟・県央工高教=1988年ソウル・92年バルセロナ五輪代表)は「新潟は最近、サッカーやバスケットボールが盛んで、脚光を浴びている。地味な中でやっていては、発展はない。関川は多くの国際大会に出ていて、そのあたりの感覚がすぐれている」と、教え子の発案を評価。池田進・県協会会長が若い人間の発想と力を積極的に取り入れてくれるがゆえの改革だと強調した。

 関川さんは、今年1月の2006年度全日本選手権にKIDが復帰参戦するにあたり、「KIDを最後に破った男」として注目され、日刊スポーツにでかでかと掲載されたりして、ちょっとした“時の人”になった。

 「生徒には、全日本チャンピオンになった、というより、KIDを破った男、の方が通りがいいんですよ」と笑い、今春の新入生に対しては、それをキャッチフレーズに選手を勧誘するという。そのKIDに対しては「彼が復帰参戦してくれたおかげで、レスリングの存在が広く世間に広まった。頑張ってほしい」とエールを送った。

 高校時代は全国大会無冠の選手ながら、五輪目前までいった努力家のレスリングへの思いは、まったく衰えていない
(左写真:2001年世界選手権で闘う関川さん)


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