【特集】勝負の時が早まったが、愚痴は言わない! 女子55kg級・坂本日登美(自衛隊)【2007年3月27日】







 「時間があれば、と弱気になっても仕方ありません。やるしかない、という気持ちです」。最後の勝負をかける大会が約10ヶ月早まってしまい、強化計画を大幅に早めなければならなくなった51kg級世界チャンピオンの坂本日登美(自衛隊=左写真)は、自分に言い聞かせるように話した。

 1月28日の日本協会理事会で、女子は今年の世界選手権(9月・アゼルバイジャン)で金メダルを取れば、その段階で北京五輪の日本代表に内定することを決めた。これは、アテネ五輪と同じ選考方式(五輪前年12月の天皇杯全日本選手権と同年2月予定のクイーンズカップ)が実施されるとばかり思っていた坂本にとって、想定外の決定だった。

 「なぜ去年の世界選手権を51kg級で出たかといえば、アテネ方式を見込んでいたからなんです」。階級をアップして、その階級ででも通用するようになるには、2年以上の期間が必要と言われている。稀な素質を持った選手でも1年はかかるもので、坂本も今年12月の全日本選手権に照準を合わせ、1年以上の時間をかけて55kg級の体と技術を身につけ、打倒吉田を実現させる腹積もりだった。

 しかし、4月14日に行われる「ジャパンビバレッジクイーンズカップ2007」(東京・駒沢体育館)で吉田沙保里(ALSOK綜合警備)に白星を献上してしまうと、この瞬間、どん底からはい上がって目指してきた坂本のオリンピック出場の望みが消えてしまう可能性が高い。吉田が世界選手権で金メダルを取れなければ、勝負はその後へ持ち越されるが、吉田の実力を誰よりも知っているのが坂本だ。「沙保里が世界で負けるわけないと思います」と、世界一の実力を疑ってはいない
(右写真=和久井始コーチから指導を受ける坂本)

 1年をかけて強化する予定だったのが、約半年で結果を出さなければならなくなり、大きな軌道修正を余儀なくされた。口には出さなかったが、「これなら2005年に世界一になったあと、55kg級へ上げていた」という思いがあるのではないか。

 北京五輪を目指すと決めた時から、55kg級での挑戦を意識し筋力アップを心がけていた。それでも、51kg級に出る以上は55kg級の体をつくることはできない。昨年9月に51kg級で2連覇し、ここで初めて55kg級選手としての闘いがスタートした。約4ヶ月の練習を積んで臨んだ全日本選手権は、準決勝でアジア選手権チャンピオンの松川知華子(日大)に2−0(1-0,4-3)とやや接戦の末の勝利を挙げたあと、吉田に0−2(0-2,0-4)と、1ポイントも取れずに敗れた。

 スコアだけを見れば、まだ吉田との距離があると思わされる数字だが、坂本の感じたベクトルは、限りなく上を向いたものだった。「思っていた以上にできた。やっと55kg級の選手になれた、という気持ちになりました」。

 アテネ五輪後の吉田とのスパーリングは、タックルをまったく防げず、「立っていられなくなるほど。壊されるかと思った」というほどの差だった。それが、「練習でやってきたことができた」とまで言えるほどに縮まった。“練習でやってきたこと”とは、防御だった。「攻撃はあまり考えていなかった。守れないのに攻めることを考えても意味がないから」。

 勝つためには、攻撃がなければいけないことは分かっている。だが、まったく攻撃しなかったわけではなく
(左写真=タックルを仕掛ける坂本)、すきがあれば攻める気持ちはあったし、吉田の体勢を崩しかけて「攻めるべき場面もあった」と振り返る。段階をふんでの実力養成という観点に立てば、今回の闘いは、やってきたことが十分に発揮できた“順調な”内容だった。

 だが、4月の闘いで「さらに差が縮まった」と感じても、五輪出場に関しては意味をもたない実力接近にしかならない。何が何でも勝たねばならない。負ければ、そこで終わり。「これまで大会を迎えた気持ちとは、別の気持ち」の毎日だという。

 どんな状況であっても、五輪出場がかかっていれば、かつてない緊張感に襲われるだろうが、準備が万全でないうちにその場に立たされたのだから、不安の割合は大きいに違いない。弱気、焦り…。ともすると、そんな気持ちになってしまう坂本を支えているのは、「体育学校のコーチや同僚」だ。

 「一人だったら、耐えられないと思います。体育学校のみんなが支えてくれるから、この不安な気持ちの中を進んでいけるのだと思います」。妹(真喜子=48kg級)も、同期の田岡秀規選手(フリースタイル55kg級)も、必死の思いで五輪へのキップを求めている。だから闘える
(右写真=同い年の田岡秀規と練習する坂本)

 「やるしかないんです」。そう話す坂本を、藤川健治コーチは「目が生きている」と評する。そしてきっぱりと言った。「時間がほしかったのは確かだが、決まったことには従う。勝つだけ。負けた言い訳にはしない。日登美も、愚痴や言い訳は口にしないと思います」。

 そう、勝てばいい。勝って世界選手権へ出て、そこで金メダルを取れば、吉田の5年連続世界一という実績を一気に追い越して自分が北京五輪のマットに立てる。考えようによっては、吉田陣営から「過去のずば抜けた実績が何も考慮されていない」という不満が出てもおかしくない選考方法なのであり、吉田も負ければすべてが水泡に帰してしまう状況に立たされている。苦しいのは坂本だけではない。

 通常体重は57kgを越えており、いつの間にか吉田のそれを追い越した。パワーアップも感じるという。「やはり男子選手とスパーリングしているのが大きいと思います」。これは吉田にはない有利な材料。実戦の中でのパワーアップが、吉田のスピードを封じることができるか。

 違う土俵で闘って出た結果を比べて代表を決めるマラソンなどと違い、レスリングは直接対戦で白黒をつける。だから、遺恨は残してほしくない。選考方法がどうのこうのではなく、死力を尽くして闘う2人の姿を期待したい。


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