【特集】“柔道流レスリング”で打倒・浜口に挑む女子72kg級・佐野明日香(自衛隊)【2007年3月20日】







 レスリングを始めたのは昨年11月末。しかし柔道のベースがある女子72kg級の佐野明日香(24歳=自衛隊、左写真)は、1月末の全日本選手権で2位に食い込んだ。それから2ヶ月半。4月14日に行われる「ジャパンビバレッジクイーンズカップ2007」(東京・駒沢体育館)で、難攻不落の浜口京子(ジャパンビバレッジ)のが城を崩すべく、猛練習を積んでいる。

 男子のエース、松本慎吾選手(一宮運輸)と同じ愛媛・津島町生まれ。小学校1年生のときから柔道に親しみ、宇和島東高を経て帝京大へ。2年生で全日本学生体重別3位などの成績。4年生の時は主将を務め、卒業後は自衛隊体育学校に進んだ。しかし、ひざをけがするなどして伸び悩み、燃えるものがなくなってしまって選手生活からの引退も考えた。

 そんな時、レスリング班の藤川健治コーチの目にとまり、「新しい世界に挑戦してみないか」という誘いがあった。即答はできなかった。佐野はその一番の理由を「ツリパン(シングレット)を着るのが嫌だった」と打ち明ける。幼い頃から柔道着に慣れ親しんでいたので、体の線がはっきり出てしまうレスリングのユニホームを着ることに「抵抗があった」と笑う。

 それでも藤川コーチの誘いは続いた。「おまえなら勝てる。オリンピックへ行けるぞ、と熱心に誘ってくれた」と佐野。藤川コーチは「柔道をやめて愛媛に帰るという話を聞いた。見たら、まだ十分に再生できると思った。『覚悟があるなら来なさい。中途半端な気持ちならなら来るな』と言った」と話し、2人の言い分に多少の食い違いはあるが、昨年11月末、長年親しんだ柔道と別れ、レスリング班へ転入したという
(右写真=藤川コーチの指導を受ける佐野)

 その時の通常体重は、練習後で68〜69kg。この体重なら、67kg級での参加も考えられたが、「レスリングをやると決めた時、目標はオリンピックでした。それなら、オリンピック階級の72kg級です」。何よりも、女子レスリングを代表する選手である浜口のいる階級だ。その活躍は柔道時代にも耳にしていた。「やるなら、この階級」。ためらうことなく浜口への挑戦を決めた。

 約2ヶ月の練習を経て全日本選手権。1回戦で高校生選手にフォール勝ちしてデビュー戦を飾ったあと、準決勝の村島戦は第1ピリオドを0−3。第2ピリオドも1点を先制され、劣勢だったが、ここで柔道の内またから小内刈りを決めて村島を倒し、一気にフォール。柔道で養った技術と勝負勘を生かし、見事に浜口への挑戦を実現させた。

 この一瞬の逆転技で一気に脚光を浴び、大会後はスポーツ紙からの取材も受けることになったが、本人はこの逆転勝ちについては、周囲が褒めてくれるほど満足していない。「試合は負けていた。自信? まったくなりません。私のレスリングって、こんなもんなのか、とショックだったんです」。

 決勝で相対した浜口は
(左写真)、身長はほぼ同じくらいだが、「筋肉のつき方が違っていた」と一回り大きく感じたという。「レスリングをきちんとやってきた選手は、違うんだなあ、こんな体にならなければダメなんなあ、と思った」。国内で圧倒的な強さを誇っているチャンピオンだけに、フォールされなかっただけでもよしとするべきだと思われるが、「手の内が分からなかったから、手堅く勝ちに来ただけだと思います」と、エンジン全開した時の浜口の実力はこんなものではないと感じたようだ。

 ショックの多い大会だったが、うれしかったことは、意外にも浜口応援団が必死になって応援していたことだった。強烈な応援の前に萎縮してしまっても不思議ではないケースだが、「私みたいなキャリアの浅い選手が相手でも、必死になってくれた」と、敵として認めてもらえたことが自信になったという。相手陣営からもエネルギーをもらうどん欲さが、今後に生かされるか。

 【2006年度全日本選手権成績】
1回戦  ○[フォール、1P0:54(F4-0)]宇野杏奈(三重・四日市四郷高)
準決勝 ○[フォール、2P0:37(0-3,F3-1)]村島文子(中京女大ク)
決  勝 ●[0−2(0-2,0-1)]浜口京子(ジャパンビバレッジ)

 大会を終えて感じたことは、柔道で鍛えたベースだけでは通じず、「レスリングの基礎をやらなければならない」ということ。投げ技ひとつでも、柔道の場合はきれいに投げたらそこで終わりだが、レスリングはすぐに押さえ込みにいかなければならない。練習ではTシャツを着てやることが多いが、苦しい体勢になると相手のTシャツをつかんでしまうくせも残っており、これは試合で通じない。

 このあたりは、帝京大柔道部の先輩で、このほどレスリングを引退した大川紀江さん(旧姓斉藤=現東京・安部学院高コーチ)が、練習方法やファイトスタイルについてアドバイスしてくれるというから、心強い。また、本人、藤川コーチとも「レスリング流の低い構えにはこだわるつもりはない」と口をそろえる。柔道を生かしたレスリングが目標とするスタイルであり、レスリング流にこだわると、柔道出身選手のよさがなくなるからだ
(右写真:作田勝広コーチ=1985年全日本選手権グレコローマン68kg級優勝=とツーオンワンの練習をする佐野)

 「試合であがったり、不安になることのない性格」とのことなので、これらに適応できるようになれば、一気に実力アップする可能性を秘めている。

 柔道の強豪からレスリングに転向した選手といえば、1996年にキャリア3年で世界チャンピオンになった宮崎未樹子さん(61kg級=現栃木・宇都宮短大付高教、
左写真)がいる。宮崎さんは「キャリアが少なくても、柔道出身選手には一発逆転の投げ技からのフォール勝ちがある」と話し、柔道技を生かしたレスリングを勧める。そして「ライバルがいることは、お互いにとっていいこと。京子ちゃんと切磋琢磨して、日本レスリング界をより盛り上げてくれることを望みます」とエールを贈る。

 その思いは日本協会の栄和人・女子ヘッドコーチ(中京女大職)も同じ。「これまでの浜口の最大の難点は、国内で競り合う相手がいなかったこと。浜口が危機感を感じるほど、実力をつけてほしい。それが2人の実力アップにつながる」と、佐野の台頭を望んでいる。

 2012年のロンドン五輪を目標に長い目で強化したいという佐野は、当面の闘いであるクイーンズカップでは、「浜口さんから1ポイントを取ってみたい」と最初は控えめ。しかし、「出る以上は勝ちたい。勝ってプレーオフに持ち込みたい」とも。これまで比較的平穏だった国内の女子72kg級だが、佐野の参戦でにわかに熱くなってきそそうだ。


《iモード=前ページへ戻る》

《前ページへ戻る》