【特集】リベンジか五輪挑戦かの選択を迫られる女子67kg級・坂本襟2007年2月3日】







 追う立場だった選手が、追われる立場となり、チャンピオンの座からを引きずり降ろされる…。勝負の世界ではよく見られる光景だ。今回の天皇杯全日本選手権でも女子67kg級でそのドラマが見られた。

 坂本襟(ワァークスジャパン)は2年前の全日本選手権で必死の思いで斉藤紀江を追い詰め、あと一歩に迫った。翌2005年春、斉藤を追い落として日本代表へ。同年の世界選手権では結果を出せなかったが、昨年の世界選手権で銅メダルを獲得した。しかし今回、準決勝で“チームの後輩”でもある井上佳子(愛知・至学館高)に敗れ、チャンピオンの座を追われてしまった
(右写真=チャンピオンの井上と3位の坂本)

 努力ではい上がった選手だ。気持ちの優しさがファイトにも出てしまい、勝負の世界には向いていない性格だったとも言える。恩師である中京女大の栄和人監督(日本協会女子ヘッドコーチ)は2005年のシーズンを前にして、「襟の技術はすばらしいし、強いんだ。自信を持たないから勝てない。襟を世界で勝てるように育てるよ」と話し、まず精神力の強化に努めた。

 2005年5月のワールドカップに際しても、「絶対に襟を勝たせるからね」と口にしてフランスへ向かった。そこでの坂本は、2年前の世界チャンピオンのクリスティ・マラノ(米国)に大接戦。栄監督は「世界チャンピオンなんていっても、あんなもんだ! おまえとどこが違うんだ!」と言い聞かせ、自信を持たせる努力を尽くした。そして強豪ロシアの代表のアナスタシア・デフネバに勝ち、ひとつの壁を乗り越えた。

 それでも、初めて出場した同年10月の世界選手権では、ただ1人メダルなしという屈辱を経験。昨年4月には大けが(左足の腓骨と頚骨を骨折)による戦列離脱。そんな山あり谷ありの苦難を乗り越えながらも手にした世界選手権の銅メダル。栄監督は、中国・広州で行われた世界選手権で銅メダルを取った坂本を、涙をボロボロ流して迎えた
(左写真)

 勝負の世界の非情さは、そんな努力家の栄光もわずか半年で終わらせようとしている。努力ではい上がろうとする選手に勇気を与えるためにも、坂本にはもう少しチャンピオンの座にいてほしいと思う人間は少なくあるまい。

 坂本は井上戦の黒星のあと、「技術も体力も気持ちも、世界選手権が終わってから全日本選手権までいい感じに仕上げられなかった。気持ちの面でうまくもっていけなかった。不安が残ったまま試合に臨んでしまった」と振り返った。それが、銅メダルを取った後の充足感によるものなのか、大きな壁を乗り越えたあとの次の大会へ向けての調整方法を知らなかったからなのか、それとも他の理由なのか、その答は、本人もよく分からないようだ。

 左足の手術の影響を問われると、「痛みはあるけど、この状態で世界選手権を戦ってきているので…」と、そのせいで負けたことは否定した。やはり、世界の銅メダルを取ったことによって、どん欲に勝利を目指す気持ちが薄らいでいたことは間違いないだろう。リードされたあとは「負けているから攻めるっていう軽い気持ちでやっていた」と、闘い方がしっかり定まらないまま試合を続けてしまったという
(右写真=準決勝で井上に敗れる)

 「気持ちを切り替えるいいチャンスだと思う。(4月の)クイーンズカップまでに仕上げて、今年も代表になって世界選手権に行きたい」。試合後、気を取り直してそう話した坂本に、もうひとつの難関が持ち上がった。大会の最終日に行われた日本協会理事会で、今年の世界選手権で金メダルを取った選手は、その時点で北京五輪の代表に内定する決定がなされたことだ。

 全日本チャンピオンに輝き、世界3位に駆け上った以上、オリンピックを目指すのは当然のこと。しかし67kg級は五輪で実施されないため、坂本が五輪を目指すには、クイーンズカップでは72kg級に上げて今年の世界選手権を目指すことが必要になってくる(63kg級への階級ダウンは考えていないという)。

 67kg級で勝ってプレーオフにも勝ち、今年こそ世界チャンピオンを目指すのもいいが、72kg級の日本代表選手が金メダルを取った場合、坂本は五輪選考レースに全くかかわることなく、五輪のマットを諦めることになってしまう。

 アテネ五輪の時のように、五輪前年の全日本選手権と同年のクイーンズカップの結果で代表が決まるのなら、今年は67kg級で世界一となり、その自信をもって72kg級に挑むことができた。若い選手なら、2012年ロンドン五輪を本命に考え、今年は67kg級で世界一を目指すのもいいだろう。今年7月に27歳になる坂本にとって、その選択は考えられまい。

 「まだ試合が終わったばかりで、考えることができないんです」。あと2ヶ月半の練習で、72kg級V11の浜口京子を破るだけの実力が身につくものかどうか。井上へのリベンジをさしおいて、72kg級に挑むのも順番が違うような気がする。さりとて、五輪への道を放棄するのもどうか…。いろんな思いが浮かんでは消え、「自分の気持ちを整理できない」状態だという。

 だが、時間は待ってくれない。決断しなければならない時はすぐにやってくる。五輪で4階級しか実施されない悲劇? そうであったとしても、“悲劇のヒロイン”で満足してはならず、栄光を求めて闘わねばならない。人生最大の決断に臨む坂本襟。その闘いと生きざまを、しっかりと目に焼きつけたい。

(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫)


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