【特集】階級アップで“練習王者”の汚名返上! 本命は清水聖志人(クリナップ)!?2007年1月22日】








 今年度の天皇杯全日本選手権(1月26〜28日、東京・駒沢体育館)で、一番の盛り上がりを見せているのはフリースタイル60kg級級だろう。昨年の世界選手権銅メダルの高塚紀行(日大)、全日本学生王者の湯元健一(日体大)と若手が活躍する中、ベテランの太田亮介(警視庁)や井上謙二(自衛隊)がどう対抗するか。そこに、山本“KID”徳郁(KILLER BEE)がプロ活動を休止して復帰参戦してくるのだから、見どころは数え切れない。

 その60kg級に、55kg級から階級アップして挑む選手がいる――。清水聖志人(せしと=クリナップ、
左写真)だ。清水は、茨城・霞ヶ浦高から2000年4月に日体大へ進学し、2001・02年JOC杯ジュニア選手権、01年東日本学生春季新人戦(グレコローマン)を経て、4年生の時の2003年には学生二冠を制し、学生タイトルはほぼ手中に収めてきたトップレスラー。2004年には55kg級で全日本選手権2位の成績を残している(右写真=決勝で松永共広と闘う清水)

 現在、クリナップに頼まれて練習場所を提供している太田拓弥・早大コーチ(アトランタ五輪フリースタイル76kg級銅メダリストの)は断言する。「本命は高塚で大穴は清水? いやいや、どうみても清水が本命でしょ」。タックルの切れ、スピード、技術、どれをとっても一級品。60kg級では新米選手とはいえ、普段の練習を見れば優勝する力が十分にあることがうかがえる。

■“練習チャンピオン”の汚名

 輝かしいレスリング経歴を持つ清水だが、55kg級の時代は、練習では大差で勝てる相手に試合で負けることが多く、ついに“練習チャンピオン”という汚名を着せられてしまった。「周囲が自分のことをそう呼んでいるのは知っています。ほんと、笑えないですよ」。なぜ本番で勝てないのか……。悩みぬいた結果、清水は一つの答えを出した。

 試合で勝てない最大の理由は、毎回10kgにも及ぶ減量があったから。「常に1日2食の食事制限を強いられ、練習も強くなるための練習じゃなくて、体重を落とすための練習でした」。やっとの思いで計量をパスしても、1回戦のマットには、憔すいしきった状態で立つこともしばしば。減量失敗でチームに迷惑をかけた経験もあり、何度も階級変更を考えたが、「世界で活躍するなら55kg級しかない」というこだわりで、大減量に耐えていた。

 しかし、ルール改正によりワンデー・トーナメント方式(1回戦から決勝までを1日で実施)が採用されると、清水はついに決心する。「北京五輪は60kg級で目指そう」。

 “練習チャンピオン”という汚名は、裏を返せばナチュラルウエートなら誰にも負けないということ。前年度の全日本選手権を最後に55kg級に別れを告げ、昨年3月から60kg級にエントリー。6月の全日本社会人選手権で優勝と結果を出した
(左写真)。また、「自分への甘さ」を断ち切るために、昨年10月からは、練習拠点を慣れ親しんだ日体大から、霞ヶ浦高時代の恩師の太田拓弥コーチが指揮を振るう早大に変えた。生活環境も、階級もすべて一新して再スタートを切った。

 早大への環境変えは吉と出た。11月の「NYACオープン・ホリデー大会」(米国ニューヨーク)では、一度も相手に足を触らせない完勝続き。アウエーならではの地元ひいきなジャッジをものともせずに国際大会で優勝を決めた。「日体大にいた頃は、OBの先輩たちに甘えていました。練習もマンネリ化していたので、早大に来て、生活面と練習面の両方を一から見直しました。また階級を上げてから食事もしっかり採れるようになってパワーがついてきました」。階級アップ、環境変えがすべていい方向に進んでいるようだ。

◎清水聖志人の60kg級アップ後の成績
3月 全日本選抜選手権予選 ○[2−1(2-0,1-2,1-0)]沼尻健(国士大)
6月 全日本選抜選手権 ●[1−2(B-3,4-5,0-1)]湯元健一(日体大)
7月 全日本社会人選手権 =優勝=(詳細不明)
10月 国民体育大会 ○[2−0(3-0,4-1)]冨田 和秀(三重)
●[0−2(0-3=2:05,2-5)]松永共広(静岡)
11月 NYACホリデー・オープン ○[2−1(3-0,0-1,4-3)]Corey Jantzen(米国)
○[2−1(2-0,0-1,3-0)]Danny Felix(米国)
  ○[2−0(1-0.1-0)]Travis Lee(米国)

 清水が参戦する60kg級は、強豪ばかりが顔をそろえる。しかし、清水は「高塚は高校の後輩、湯元は大学の後輩で、どんな選手かよく知っています。今回話題のKID選手についても、全日本で2位になった時(1999年)を見ていますから、イメージは湧きますし、大観衆の中で試合ができることは逆にうれしいですよ」と話し、「不安はない」と言い切った。

 ライバルのことより、清水の敵はやはり自分自身。鬼門となる1回戦にすべてを出し切るために、「最初からガンガンいきます!」と宣言。元55kg級の強みを生かして、スピードで相手を振り回すレスリング――、つまり自分のレスリングをすることが目標だ。

■モスクワ五輪を逃した父の分も

 7年2カ月ぶりにアマ復帰を果たすKIDは、父の郁栄氏が五輪(1972年ミュンヘン五輪)でメダルを獲れなかったリベンジを目指してマットに上がる。清水もまた、KIDと似た譲れぬ事情がある。

 清水の父の清人(きよと)氏は、1976年モントリオール五輪を含めて世界V5の高田裕司・現山梨学院大学監督のライバルとして日本の黄金時代を支えた一人だ。1977年ワールドカップ個人優勝(フリー52kg級)、同年ユニバーシアード優勝(同)、1979年プレ五輪2位(同)など国際大会でも輝かしい成績を収め、左右から繰り出す一本背負いは伝説となって語り継がれている。

 高田との競合を避けて48kg級へ階級ダウンを試みたが、モスクワ五輪の最終予選では、日本のボイコットがほぼ決まっていたことも影響して体重を落とすことができず、無念の計量失格。ボイコットのため、いずれにしても五輪のマットに上がることはできなかったが、幻の代表という勲章も手にすることはできなかった。

 「父が果たせなかった五輪出場を、自分がかなえたいという気持ちはあります」。父のためにも絶対に五輪に行きたい。その思いでこれまでレスリング1本の人生を歩んできた。階級変更はそう甘くないが、男子柔道では内柴正人(旭化成)が、60kg級から66kg級へ上げてわずか1年半でアテネ五輪金メダルという離れ業をやってのけた前例がある。減量苦で結果を出せなかった清水が、階級を上げたことで本来のパワーを発揮できるか
(右写真=早大で練習する清水)

 社会人選手権や国際大会で優勝し、階級アップの予行演習は十分に積んできた。60kg級で挑む全日本選手権は初めてだが、清水は「ぜったいにいけると思う」と未知の階級でも頂点を獲れると信じている。

 「自分の力を信じて、誠実にレスリングをしろ」。父・清人氏の言葉を胸に刻み、レスリング史上で最も世間から注目されることになった全日本選手権フリースタイル60kg級で、鮮烈デビューを飾ることができるか。


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