【特集】「体が動くうちは試合に出たい」…五輪連続出場の池松和彦(福岡大助手)【2008年12月日】



 2004年アテネ五輪と2008年北京五輪の2大会連続五輪代表の池松和彦(福岡大助手)が、12月22日の全日本選手権男子フリースタイル66kg級に“凱旋(がいせん)”出場。初戦(2回戦)は自衛隊の坂本将典をストレートで下したが、準決勝で大学3年生の森川一樹(山梨学院大)にフルピリオドの末に敗れ、3位という結果だった(左写真=左から森川、米満、池松)

 池松は「今年の正月はレスリングの合宿で始まったから、今年はレスリングで終わりたかった」と出場の動機を説明。北京五輪代表の多くが大会を欠場したが、「自分は(天皇杯に)出ないといけない立場だと思った」と、若手に挑戦するチャンスを与えた。だが、「走りこみができず、基礎体力がなかった」そうで、その体力不足もあって3回戦の森川には1−2と逆転負け。「もうちょっとフェイントをかければよかった。タックルを狙いすぎたかも」と悔しがった。

 気になる池松の今後だが、「体が動くうちは試合に出たい」と即引退は否定。来年6月の全日本選抜選手権へのエントリーをにおわせた。すでに福岡大のコーチとして指導者の道を歩き始めている池松は、さらに新しい夢に挑戦するプランも明かした。「自分の道場を持ちたいと思っている」と、ちびっ子に限らず、多くの人が通える道場開設を目指す。場所の第一候補は実家の敷地内だ。

 2003年の世界選手権で銅メダルに輝き、アテネ五輪は男子フリースタイルのエースとして出場した。アテネ五輪後は好成績を残せず、「もともと去年の大会で辞めようと思っていた」という。だが、その大会で復活優勝を遂げ、3月のアジア選手権に出場。3位ながら北京五輪出場権を獲得した。その後、福岡大の助手に就任し、日体大から練習拠点を福岡へ。7月には結婚もし、8月に2度目の夢の舞台に立った。

 “凱旋”試合となった天皇杯での優勝は逃したが、ターニングポイントとなった去年の大会からの1年間は、池松にとって激動かつ、充実した一年だった。

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)


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