【全日本選手権優勝選手】男子フリースタイル84kg級・小幡邦彦(ALSOK綜合警備保障)【2008年12月22日】



 昨年の全日本の覇者で北京五輪予選代表の鈴木豊(自衛隊)が引退したフリースタイル84s級。北京五輪後の1発目の全日本選手権チャンピオンは、アテネ五輪74s級代表の小幡邦彦(ALSOK綜合警備保障)だった。1回戦をわずか1分31秒でフォール勝ち。2回戦をストレートで制した以外、3試合でフォール勝ち。決勝では今年学生二冠王になった松本篤史(日体大)をも難なく下して84s級で初優勝。74s級時代も入れると8度目の優勝を飾った。

■引退を口にしながらも、完全引退は否定

 今大会の優勝者には、来年のデンマークの世界選手権代表に王手をかけられる。だが、2009年の目標を問われると、開口一番に小幡は「引退するつもりなので未定です」と答えた。来年4月からは山梨学院大のコーチとして再始動する予定。冬の海外遠征の参加や、世界選手権を目指すこともすべて未定の状態だ。優勝でナショナルチームメンバーに召集されることは確実。「冬の遠征などは話し合って決めます」と言うにとどめた。

 シドニー五輪も76s級の日本代表として予選に出場したが夢かなわなかった。アテネ五輪では念願かなって五輪のマットに立った。「Road to 北京」では、減量苦により74s級での限界を悟り、84s級での出場を目指したが国内予選で敗退。しかし、今年の全日本選抜選手権で6度目の優勝飾ると、9月の大分国体、そして今回の全日本選手権と優勝。2008年は負け知らずだった。

 大会1日目で3度フォールした優勝者は小幡一人だけ。北京五輪を目指して74s級で長島和幸(クリナップ)との死闘を繰り広げていたころは、12kgに及ぶ減量苦で動きも悪く、さらに「長島選手はカウンターがうまいから」とのことで手数が少ないレスリング・スタイルだった。階級を上げてからは、持ち前のスピードで若手をまったく寄せ付けず、タックルやアンクルホールドなど技を次々を繰り出して勝利した。

 「いつまでも年寄り(レスラー)がいるのは若手によくないから」と引退宣言した小幡だが、今大会の圧勝ぶりに「体が動くうちは試合に出るかも」と、マットからの完全引退は否定した。タックルなどの飛び道具に加えて、返し技や、グラウンドのもつれてからのテクニックは元五輪選手の貫録十分だ。大橋正教監督も「(五輪の)プレッシャーがなくなって伸び伸びレスリングができている。来年の世界選手権で84s級で闘う小幡を、もちろん見たい」と、まだまだ小幡の試合を見ていたい様子だった。

■思い出の試合は「恩師越え」と「五輪出場権獲得試合」

 現役生活に“とりあえず”の区切りをつけた小幡は、現役生活をこう振り返った。「ここまで自分を有名にしてくれたのはレスリング。本当に感謝している」。思い出に残る試合は2試合。「(シドニー五輪国内予選で、霞ヶ浦高校時代の恩師の)太田拓弥先生に勝ったこと。勝ったことで恩返しができたと思う。それとアテネ五輪出場を決めた2003年の世界選手権(ニューヨーク)で10位になった試合です」。

 今後は貴重な五輪重量級レスラーとして世界の経験を国内選手に伝えていく。「全日本にもコーチとして呼ばれたら参加したい」と、学生の域を超えて、未来の五輪戦士の指導にも意欲を見せた。

 高校時代は2年連続四冠王(3年時は五冠王)、大学時代は史上3人目の4年連続学生二冠王、全日本選手権8度優勝、全日本選抜選手権6度優勝、世界選手権5度の出場(最高10位)と、常にエリート街道のど真ん中を歩いてきた小幡。最強のまま選手生活に一区切りをつけた。

(取材・文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)


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