【特集】笹本先輩に成長の証を見せる!…男子グレコローマン60kg級・松本隆太郎(群馬ヤクルト)【2008年12月17日】



 北京オリンピックの選考を兼ねた昨年の天皇杯全日本選手権は大いに盛り上がった。しかし、その時点で男子で唯一オリンピックへの出場選手が決まっていた階級が1つだけあった。それがグレコローマン60kg級だ。2007年のアゼルバイジャン世界選手権で笹本睦(ALSOK綜合警備保障)が銀メダルに輝き、日本協会が定めた規定により、全日本選手権に出場した時点で代表に決定したからだ。

 その五輪代表を決勝戦で苦しめた選手―。それが松本隆太郎(群馬ヤクルト=当時日体大、左写真)だ。 1−2で敗れたものの、内容は「1-@L,2-0,1-@L」という大接戦。笹本にテクニカルポイントを1点も与えないという鉄壁のディフェンス。加えて、国内無敵の笹本からガッツレンチでポイントを奪い、プレッシャーをかけた。松本は「試合中はがむしゃらにやっていたので、優勝、優勝と思いませんでしたが、あとでビデオを見たら、もう一押しでしたね」と1年前の激闘を振り返る(右下写真:笹本=赤=をガッツレンチで回した松本)

 日体大時代は2年生の2005年に学生二冠王(全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権)に輝き、大学4年の2007年にはアジア選手権代表にもなって5位に入賞。北京五輪への道は閉ざされていたものの、絶対王者・笹本に対して「勝つつもりでやってました」という気持ちが、昨年の全日本選手権での名勝負を生んだ。

 松本にとって、その笹本戦がひとつの区切りになった。以前から悪化していた右手首を手術。今年の半分は棒にふった。6月の明治乳業杯全日本選手権を棄権し、権利のあった世界学生選手権出場も辞退。本格的に練習を再開したのは夏あたりから。

 それでも、9月の大分国体では危なげなく優勝。決勝では昨年の全日本大学グレコローマン決勝で敗れてしまった倉本一真(滋賀・山梨学院大)に雪辱した。けがの回復は順調で、万全の体制で全日本初タイトルを狙う。

■“日本のトップ3”がそろう環境で毎日練習

 絶対王者・笹本と同じ環境で毎日練習。3月のアジア選手権で銅メダルを取った全日本選抜選手権王者の北岡秀王(クリナップ)も“同門”で、同じ日体大で練習している。それが松本の強さにつながっている。世界の技も、世界の情報も笹本がいつでも教えてくれる。

 だが、同世代のトップ選手と比べて足りないものがある。それが外国の強豪選手との試合経験だ。湯元健一や高塚紀行(ともにフリースタイル60kg級)や鶴巻宰(グレコローマン74kg級)が学生時代から世界のメダリスト級の選手と何試合も闘っているのに対し、松本の場合は海外遠征の経験はあっても、若手選手、無名選手との対戦がほとんどだ。

 「早く世界へ行って(強豪と)試合がしたい。でも、出るからには周りに認められて行きたい」。笹本が抜けるグレコ60kg級でひとつ図抜けた存在を目指す。こだわりがあるグラウンドのローリングに加えて、「同じ階級の選手には、スタンドで押されたくない」とプライドを持って試合に臨む。今年4月に日体大を卒業し、群馬ヤクルトに就職。会社の厚意により、仕事は“レスリング”。「(勝たないといけない)責任が出てきました」と、プロ意識もしっかりあるようだ(左写真=卒業後も日体大で練習を積む松本)

 北京五輪で引退かと思われた笹本は、階級を66kg級に上げて現役は続行する。階級が変わっても笹本に対して、「超えたい」という気持ちは今でもある。笹本は「世界でやるなら、66kg級ではやらない」と話しており、機が熟せは再び60kg級に戻すこともにおわせていることから、松本は「また、いつかは対戦するんだろうな」と、覚悟の表情を見せる。「負けっぱなしで終わりたくないです。その時は成長した姿を見せますよ」。そのためにも、国内でつまずいてはいられない。

 笹本が“卒業”したグレコローマン60kg級で松本が新王者に君臨できるか―。

(文・撮影=増渕由気子)


《iモード=前ページへ戻る》
《前ページへ戻る》