【特集】全日本女子チームに力強いコーチが誕生! 世界V6の誇りを胸に指導にまわる坂本日登美(自衛隊)【2008年12月8日】



 「私にとってのオリンピックです」−。オリンピックで女子が4階級しか実施されないため、世界でダントツの実力を持ちながら、五輪チャンピオンの称号を得ることができなかった51kg級の坂本日登美(自衛隊)。10月11日、地元での世界選手権で優勝というけじめをつけ、マットを去った。

 防衛省はその功績を高く評価し、これまでオリンピックの金メダリストにしか授与しておらず、女性自衛官では初となる第1級賞詞(防衛功労章)の授与を決めた。11月11日、浜田防衛大臣から受賞。4連覇を含む世界V6とともに後世まで残る金字塔で、五輪チャンピオンにまさるとも劣らない栄光を背に、新たな人生を歩む(右写真=11月29日の自衛隊の祝勝会であいさつする坂本)

■指導者になってコーチの大変さを痛感するも、「毎日がやりがいがあります」−。

 「世界一になるところを、親、仲間、コーチなど多くの人に見てもらうことができました。あんな晴れがましいセレモニーをしてもらえて幸せです」(右下写真=世界選手権で父・清美さん、母・万里子さんからねぎらわれる坂本)。激闘から2ヶ月近くが経ち、坂本は選手生活のピリオドをそう振り返るとともに、これまで約4年間汗を流した自衛隊で、コーチとして新たな世界に挑戦している。

 「教えることって、難しいですね」。生活のパターンは全く変わっていないが、立場が違うので、別世界で生活を始めたような毎日。「これまで教えてくれたコーチの大変さを、あらためて感じます。悩みもします」と言う一方、「毎日やりがいがあります」とも。

 藤川健治コーチの補佐という形での指導であり、本当の辛さを知るのはまだ先なのだろうが、「妹(真喜子=48kg級)を世界チャンピオンにしたい。自衛隊の若い選手にチャンピオンを取らせたい」という気持ちは、藤川コーチに負けないものを持っている(左写真=妹・真喜子とともに)。妹のほか、昨年のJOC杯で2人、今年は1人のチャンピオンを生んだ自衛隊から、シニアの世界チャンピオンを輩出するべく、新たな闘いはスタートしたばかりだ。

■世界チャンピオンへの道、それは猛練習! そして指導者の情熱!

 妹には、厳しさだけではなくワンランク上の指導が必要だろうが、若い選手への指導は「厳しさが必要です」と言う。坂本自身、高校時代まではどこにでもいるような選手で、そこから世界一へ昇り詰めた雑草選手だ。その陰には、中京女大時代に栄和人監督(現日本協会女子強化委員長)から受けた厳しい練習があった。

 坂本は「私を世界チャンピオンにしてくれたのは、まぎれもなくあの時代の猛練習でした」と振り返る。「とにかく厳しかった。できない技があると、できるまで、9時、10時まででもやらされた。練習以外は考えられない毎日でした」。

 ついていけたのが不思議だった毎日。そんな中でも感じたのは、栄監督の「選手を強くしたい」という気持ちだった。「栄監督は私を勝たせることに必死でした。その気持ちはひしひしと伝わってきました」。それがゆえに、時に鉄拳制裁を受けながらでも頑張れた(左写真:大学1年生=1999年=の全日本選手権で、過去1度も勝ったことのない伊調千春を破って優勝した坂本)

 本当に勝たせたいという情熱が伝わらなければ、厳しさは「しごき」でしかない。指導者が何よりも大切なのは教え子への愛情だ。栄監督にも、藤川コーチにも、それが感じられた。「絶対に勝たせたい、という気持ちをもって指導していきたい。選手が勝ってくれた時、一緒に喜べる指導者になりたい」。無名の存在から這い上がった坂本だけに、無名選手の育成にも力を発揮してくれることだろう。

■ナショナルチームのコーチに内定。栄和人体制の大きな戦力へ

 栄強化委員長も指導者としての坂本には大きな期待を寄せている。同強化委員長は、ことあるごとに「日登美はオレが中京で育てた最初の世界チャンピオンだ。日登美が世界一になってくれたおかげで、自分の指導に自信が持てたんだ」と口にしている(右写真=2001年世界選手権で、2連覇を達成した坂本を右肩だけの肩車で祝福した栄監督)。中京女大を離れ、中京女大選手のライバルになったあとも、坂本には熱い愛情を投げかけてきた。

 すでに新体制下の強化委員に、世界V5の吉村祥子さん(エステティックTBC)とともに坂本を抜てきすることを決めている。今月23日の日本協会理事会で承認されれば、ナショナルチーム・コーチとしての坂本コーチが誕生する。女子コーチが強化委員に入るのは初めて。その指導手腕がますます注目される。

 栄委員長は坂本をジュニア、シニアを問わず、貴重な女性指導者として活動してもらう予定だという。選手とスパーリングのできる女性指導者の誕生は、栄体制に大きな力となってくれることだろう。

 また、マネジャー的な存在だった大島和子さん(日本女子レスラー第1号)が退いて以来、全日本チームには女性スタッフがいなかった。「(選手は)男のコーチには相談できないこともあったと思う。逆に、男のコーチでは気がついても注意できないような合宿生活のだらしなさもあった。日登美には選手の襟を正してくれる役目もお願いしたい」と、私生活にも厳しく目を光らせてくれることも熱望している。

■やり尽くした選手としての活動。今後は選手と一緒に喜べる指導者を目指す

 藤川コーチは、6度の世界一を勝ち取った一方で、どん底も経験していることで、「選手の気持ちをしっかりつかめる最高の指導者になってくれるはず」と期待し、「努力で世界一を勝ち取ったのは、若い選手の何よりの見本になります」と言う(左写真の左=2005年に世界一に返り咲いた坂本と藤川コーチ)。また、八戸キッズ教室時代に坂本を育てた勝村靖夫・現山口県協会会長は「山口県で何度か指導をお願いしたが、教え方はうまい。今度は世界一のコーチを目指してほしい」と、新たな挑戦を見守る(左写真の右=2000年世界選手権で初の世界一に輝き、山本聖子選手とともに勝村さんを抱き上げた坂本)

 最後に、27歳(1月で28歳)での引退に、未練はないのかを聞いてみた。「世界選手権での闘いは、やり尽くしました。オリンピックには行けなかったけれど、あたたかい人たちに出会えたことで最高に幸せです。選手生活に悔いはありません」。

 これまでと同じで、2012年ロンドン五輪に51kg級が実施されれば現役復帰を考えるものの、そうでなければ「若い選手が勝ってくれることに協力し、一緒に喜べることにやりがいを見出していきたいです」と、さわやかに返してくれた。

(文・撮影=樋口郁夫)


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