【特集】北京の夢破れた高塚紀行(日大コーチ)だが、逝去の恩師にロンドン五輪出場を誓う【2008年11月5日】



 北京五輪選考会を兼ねた3月のアジア選手権(韓国)で、残り1秒で逆転負けを喫した男子フリースタイル60kg級の高塚紀行(日大コーチ=左写真)。6月25日の明治乳業杯全日本選抜選手権でも、プレーオフで湯元健一(日体大助手)に敗れて五輪出場を逃した。進退が注目されていたが、11月7日にモスクワで行われるCSKAカップで復帰戦を飾ることになった。

 五輪選考会までの“貯金”で闘うわけではない。4年後のロンドン五輪を見据えて、12月の天皇杯全日本選手権の連覇に向けての第1歩を、レスリング大国ロシアで踏みしめる。

■北京五輪を逃した高塚に、とても優しかった恩師・押立吉男氏

 「ROAD TO北京」の道のりで、日本代表に最も近かったのは高塚だった。2006年の世界選手権で銅メダルを獲得し、同年のアジア大会にも出場した。常に日本代表のど真ん中にいたことで、多くの世界経験を積むことはできた。だが逆に、勝ちにこだわり続け、のびのびとしたレスリングが思うようにできなかった部分もある。

 キッズレスリングの強豪・吹田市民教室、高校レスリング界の雄・霞ケ浦高、そして過去3人の五輪金メダリストを輩出している日大の経歴を持つ。高塚の背中には、OBとして見えないプレッシャーが何重にも重なっていたことだろう(北京五輪では3チームからの五輪出場者はなし)。

 多くの期待に応えられなかった高塚。一番残念だったのは、吹田市民教室の押立吉男代表(日本協会元副会長=10月31日に死去)に吉報を届けられなかったことだ。6・25決戦後、入院中の押立氏を見舞い、五輪の代表を逃したことを報告した。日本代表として世界中に飛び回っていた高塚は、押立氏とは久々の対面。押立氏は負けてしまった高塚にとても優しかった。「よく頑張ったんだな」−。

 遠く離れていても、まな弟子の一挙手一投足を押立氏はすべて知っていた。インターネットなどで逐一結果をチェック。「アジア選手権に関しても『(高塚が)アジアで2番になった。よくやった』と病院中の人に、いつも言っていたそうです」(高塚)。(右写真=顔を上げられなかったアジア2位だが、恩師は喜んでくれた)

 大義を果たせなかった自分を温かく迎えてくれた押立氏を目の前にして、高塚は決心した。「先生、4年間、待っててください」。現役続行、そしてロンドン五輪を目指す道を選んだ。

■富山監督の厳しい言葉を心に刻んでロンドン宣言

 決意して帰京するも、大学の恩師・富山英明監督は現役続行にすぐ首を縦に振らなかった。「今までの4年間とは違う、これからは仕事との両立もある。その気持ちはあるのか?」とあえて厳しい現実を高塚に突きつけた。だが、恩師が心を鬼にして言った言葉を、高塚は真正面から受け止める。「それでもやります。やらせてください」。8月には日大の夏合宿をフルでこなし本格始動。富山監督の留守(北京五輪参加)をしっかり守り、後輩の指導にいそしんだ。

 ライバル湯元の五輪での試合はテレビ観戦。「悔しい気持ちでいっぱいだった」が、4年後にこそ笑うために、しっかりと悔しさを心に刻んだ。テレビに映る海外選手は何度も対戦した選手ばかり。湯元の結果は高塚と同じ“世界で3番”だった。「自分の中でまだ終わりじゃない、まだやっていける。もう一度、自分の世界の位置を確かめるんだ」と言い聞かせた。

 進退が注目されたものの、そもそも高塚に限界説は存在しない。昨年は全日本選手権優勝、そして6月の全日本選抜選手権も制している(対する湯元は初戦敗退)。「プレーオフでは負けてしまったけど、弱気になってない。僕がチャンピオンです」とキッパリ言い放った。12月の全本選手権では2連覇に挑む(左写真=五輪代表にはなれなかったが、国内2大大会を連覇中の高塚)

■半年ぶりに日本代表にカムバック! ロシアへ遠征

 北京五輪出場はなくなったものの、4年後に向けて一切妥協せずに夏場を乗り越えた高塚に、チャンスが訪れた。半年振りの日本代表として、CSKAカップのアジア選抜メンバーの日代表に抜てきされたのだ。「ロシアでの試合が楽しみ。五輪王者のマブレット・バティロフ(ロシア)とは対戦してないので、対戦したい」と抱負を語った。

 「練習が楽しいです。いろいろな技を試してみたりしています」と調整も順調で、赤石光生コーチにも「この気持でやれるなら、強くなれる」とお墨付きをもらったという。ロシアでの復帰戦の結果が待ち遠しい(右写真=全日本選手権への出場を明言している湯元。壮絶な再戦が予想される)

 残念なことは、精神的な支えとなった押立氏が10月31日に逝去したこと。4日に日本を発つスケジュールなので最後のお別れはできなかった。でも、7月に交わした押立氏との約束が揺れ動くことはない。「4年後のために、ちょっとずつ恩返ししたい」。前だけを向いた高塚が、日本代表として再始動した。

(文=増渕由気子)


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