【特集】明大から16年ぶりに大学チャンピオン誕生!…74kg級・宮原崇【2008年9月1日】




 大学レスリング界の古豪・明大。近年は苦しい状況が続いていたが、フリースタイル74s級の宮原崇が“最後の夏”にやってくれた。全日本選手権2位で5月の北京五輪最終予選の日本代表でもある高谷惣亮(拓大)にストレートで勝って初優勝を成し遂げ、大学4年で迎えたラストチャンスをものにした。明大からの優勝者は1992年フリー52s級の窪木浩以来16年ぶり。岩山喜代司監督ら関係者もうれしそうに宮原の表彰式を見守った。

■左肩脱きゅうしながらも臨んだ大会

 宮原はモスクワ五輪の幻の代表・宮原章氏を父に持つ二世レスラー。明氏は大会史上初めて全日本学生選手権4連覇の偉業を達成しており、日本レスリング界不朽の選手の一人だ。偉大な父を持ったばかりに、宮原には常にプレッシャーとなっていたが、それを「前向きにとらえて」常にタイトルを狙い続けてきた。

 父と同じ明大に進学し、以前は66s級で活躍。表彰台には上がるが、タイトルまではなかなか収められなかった。その原因は10kg近くに及ぶ減量と自身のレスリングスタイルにあった。

 宮原はカウンター主体のスタイルで頭角を表してきた。だが、それは以前のルールには対応できても、「今は“攻めて攻めて”というタイプが強い。今のままでは勝てない」と確信した宮原はレスリングスタイルの改造に力を注ぐ。階級アップもその一つだが、その最たる部分がタックルだった。今大会はタックルで果敢に足を取る宮原の姿がマットにあった。「課題のタックルを強化できたことが今回の勝ちに繋がった」と努力が報われたことに安どの表情を浮かべた。

 決勝戦の相手は、昨年12月の全日本選手権で高校生ながら2位となり、北京五輪最終予選日本代表の高谷惣介(京都・網野高〜拓大)。スーパールーキーと言われるだけあって、1年生ながら決勝の舞台に上がってきた。宮原は「高谷君という部分は意識しなかった」と、相手よりも自分のレスリングをすることに集中したが、実は万全の体調ではなかった。「左肩を脱臼していました」。

■幻の五輪代表の父とともにロンドン五輪を目指す!

 第1ピリオドはリードされ、終盤に高谷が再びタックルに突っ込んできたところをがぶった。セオリーだったら、左肩を抜いてバックに回って追加点を取りに行くが、けがのため肩が動かない。宮原はそれを逆手にとって、そのままこん身のがぶり返しを放つ。これがラスト数秒で決まり第1ピリオドをものにした。

 大学チャンピオンに王手をかけた宮原の元に、父・章氏が声をかけた。「このラウンド(第2ピリオド)で決めろ」。父の言葉で宮原の集中力さらに高まった。第2ピリオドも高谷の高速タックルをかわしながら、バックを奪い、そこから腕を奪ってポイントを重ねて勝利した。

 「インカレが学生最後の試合です」と有終の美を飾れたことで満足気な宮原。だが、岩山監督ら周囲も望むように、インカレが宮原の集大成ではない。「ロンドン五輪を目指していきたい」。そのために、まだまだ学生ビッグタイトルの大会が残る中、いち早く学生レスリングは引退して左肩の治療にあたる。復帰は来年の春ごろの予定で、「デンマークの世界選手権を目指したい」と来春の全日本選抜選手権での復活を青写真に描いた。

 父・章氏は不朽のレスラーながら、実際の五輪の舞台に立っていない。その意思を息子の宮原は受け継ぐ。2009年から、宮原親子のロンドン五輪の道が本格的に始まる。

(文・撮影=増渕由気子)


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