【特集】五輪での勝負には負けたが、まな娘には最高の贈り物…84kg級・松本慎吾(一宮運輸)【2008年8月15日】






 笹本睦の2回戦敗退を受け、日本レスリング界の期待を背負って出陣した男子グレコローマン84kg級の松本慎吾(一宮運輸)が、初顔合わせの元ロシア選手、デニス・フォロフ(アルメニア)の前に沈んだ(右写真)。まさかの初戦黒星に試合直後は声を発することなく控室へ。敗者復活戦の道が閉ざされたあと、「不本意な結果だった。自分らしい試合ができなかった」と無念の表情で口を開いた。

■逆転を狙った俵返しは不発、フォール狙いも実らず

 開始から5秒もたたないうちに、相手の突進を受けてしまって場外へ押し出されてしまった。富山英明強化委員長が「フワーとしていたからじゃないかな。あれで歯車が狂った」と分析する痛恨の先制攻撃。

 松本は「(出鼻をくじかれた)影響はあまりなかった」と振り返ったが、第1ピリオドのグラウンドの防御で見事な俵返しを受け、プロレスで言うパワーボムで背中からマットにたたきつけられる追い打ちを受けたのだから、いつもの松本でなかったことは確かだ。「ビデオで研究し、警戒していたリフト。それなのにかかってしまった」という。

 しかし、ここで粘ったのは日本のエースの意地。グラウンドの攻撃に転ずると、必殺の俵返し狙い
(左写真)。5点が決まれば逆転だ。だが上がらない。いったん崩れかけたあと、一気にフォールを狙う低い回転に変え、一瞬だが相手の背中をマットに向けさせた。しかし逃げられ、2点どまり。

 第2ピリオドはスタンド戦こそ0−0だったが、ボールピックアップで相手の色が出ると、もう相手に傾いた流れを止めることができなかった。

■「もう試合に出ることはないでしょう」…。指導者として次の勝負か?

 笹本の60kg級に限らず、昨年の世界選手権のメダリストの多くが途中で黒星を喫していく大会だった。「自分にもチャンスはある」と信じてのマットだったが、笹本とともに悔いが残る試合になってしまった。

 ただ、五輪に臨むまでの練習は「とことん自分を追い込んできた。できることはすべてやった。この点では悔いはありません」と言う。すべてをかけ、「これが最後」と思って臨んだオリンピックだけに、「もう試合に出ることはないでしょう。会社への報告もあるので、ここで断言はしませんが、これまでの経験を次の世代に伝えていきたい」と、事実上の引退を宣言。悔いは残っても、選手生活に区切りをつける意向だ
(右写真=最後の試合を終えた松本)

 「勝ち残る選手は、何が何でも勝つ、という気持ちを持っている」「外国選手相手の場数を踏まなければならない。(自分が何度かやってきた)長期の海外遠征とかが絶対に必要」−。

 数多くの経験を積み、すばらしい成績を残してきた選手だけに、後輩に伝えるべきことは数多くある。強烈なリーダーシップを発揮してチームを引っ張ってきた日本のエースは、今度は指導者として世界で勝つために必要なことを後輩に伝えていってくれることだろう。

■まな娘・涼那ちゃんへの最高の贈り物

 松本は試合後、観客席で妻・彰子さんから昨年12月に生まれた長女・涼那ちゃんを受け取り、抱きしめながらアルメニアほかの試合を観戦した。時に彰子さんに手渡したものの、ほとんどの時間、自らの胸に抱きマットを見つめていた。

 そのことに話が及ぶと、それまでしっかりした口調で質問に答えていた松本の目が潤み、言葉が途切れ途切れになった。「(涼那ちゃんの)記憶には残らないと思うけれど、オリンピックで闘う姿を見せることができて幸せだと思います」−。

 五輪のマットでの勝負には負けたが、父親としてまな娘に最高の贈り物ができた。これからも指導者として合宿や遠征など多忙な日が待っていると思われるが、もの心がついた涼那ちゃんが誇りに思えるようなすばらしい指導者を目指し、日本を世界のトップに押し上げてほしい。

(文・撮影=樋口郁夫)



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