【特集】3度の五輪ともナザリアンに黒星。悔しさがこみ上げる…60kg級・笹本睦(ALSOK綜合警備保障)【2008年8月12日】






 2大会ぶり3度目の五輪優勝を目指すアルメン・ナザリアン(ブルガリア)の勝負をかけたリフトだった。あと20秒…、15秒…、5秒…。日本陣営、そして応援団の願いもむなしく笹本の体が宙に浮いてしまった。

 ラスト2秒。つかみかけ笹本の勝利が遠のき、勝負は第3ピリオドへ。そこでは、驚異的な粘りを発揮したナザリアンの体を転がすことができず、金メダルを目指した笹本の闘いが終わった
(左写真=ナザリアンに敗れ、金メダルの夢が消えた笹本)

■強烈ではなかったが、しつこかったナザリアンのリフト

 昨年の世界選手権の1−3位の4選手、五輪V2を目指すナザリアン、06年欧州王者、06年アジア大会銀メダリストなど強豪のほとんどが下のブロックに固まるという過酷な組み合わせだった。笹本も当初は「最悪と思いました」と振り返る。しかしコーチ陣から「金メダルを取ることは甘くはない。これを勝てば文句なしの世界一なんだ」と言われ、「気持ちが吹っ切れた」と言う。

 大会に臨むにあたっての体調がよかったこともあり、1回戦は体がよく動いた。「不安は多少あったけど、ウォーミングアップでも体がよく動き、いい感じでマットに立てた」。その感触どおり、06年欧州王者相手に積極的に攻めて快勝。そして迎えたのがナザリアンだった。

 2000年シドニー五輪で豪快に投げられて以来、笹本の目標となった選手。2004年アテネ五輪では誤審によって負けにされた因縁の相手だ。

 2005年8月の「ピトラシンスキ国際大会」で初めて勝ち、壁を破った。そのため誤審に対する特別な感情はないが、オリンピックでの闘いで破り、リベンジしたい相手。第1ピリオドにガッツレンチを決め、勝利をぐっと引き寄せたが、最後の詰めで乗り越えることができなかった。

 勝負の分かれ目となった第2ピリオドのリフト
(右写真)は「強烈ということはなかったけど、しつこかった。ベテランらしい強さがあったし、指をつかんでもつかみ返してくる、そんな気持ちの強さがあった」という。勝敗の差は「粘りの差だったと思います」と振り返った。

■ナザリアンという目標は消えるだろうが、「引退しません」−

 2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪に続いて3度目の五輪出場だった笹本。そのいずれのオリンピックでも、負けた相手がナザリアンだった。指摘されてその事実を知ると、「悔しいですねー!」。報道陣の前に出てきた時には吹っ切れた表情をしていた笹本の顔に、この時初めて悔しさがにじみ出た。

 「またナザリアンという目標ができた?」の問いに、「(ナザリアン=34歳=は)もう引退するでしょうから…」と、その可能性は否定した。しかし、笹本の悔しがり方はこのオリンピックを機に引退する選手のそれではなかった。「レスリングは続ける?」の問いに、「引退はしません」ときっぱり。

 ただ、第一線で続けるかどうかは分からないそうで、必ずしも2012年ロンドン五輪を目指すという意味ではないようだ。まず減量の問題。10kg近い減量があり、もう60kg級でやることは厳しいと感じている。「66kg級では世界で通じないでしょう。だから、今まで無理してでも60kg級でやってきた。まあ、やりながらチャンスがあると思ったら、やる(世界を目指す)かもしれません。引退はしません。レスリングが好きですから」と、今後の進退を話した。

■伊藤広道コーチへ恩返しできなかったのが心残り

 3度目のオリンピック出場。多くの人から「すごい」と言われてきた。しかし、そのすごさよりも「メダルがほしかった」と言う。大会前はひざを負傷したりして別メニューで練習することも少なくなかったが、「その中でもいい練習ができていた」。そう話した時、再び笹本の表情に悔しさが浮かんできたが、シドニー五輪前から8年以上にわたって全日本コーチとして指導してくれた伊藤広道コーチ(自衛隊)に話が及ぶと、申し訳なさそうな表情に変わった。

 「ボクのわがままを、がまんして聞いてくれた。いい成績を残して恩返ししたかった。それが心残りですね」。しんみりした表情になったあと、最後に「まだ弱かったです。本当にすみませんでした」と報道陣に頭を下げ、3度目のオリンピックをしめくくった。

(文=樋口郁夫、撮影=樋口、増渕由気子)


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