【特集】北京オリンピックにかける(7)…男子フリースタイル55kg級・松永共広(ALSOK綜合警備保障)【2008年8月6日】






 戦後のオリンピックで、不参加だったモスクワ五輪を除いて常にメダルを取ってきた日本の男子レスリング。その伝統はフリースタイルによってつくられてきたものであり、グレコローマンのみが伝統を守ったのは2000年シドニー五輪だけだ。アテネ五輪でもフリースタイルで銅メダル2個を取った。

 今回はグレコローマンの期待の方が大きい。2002年のアジア大会優勝以来、強烈なリーダーシップでチームを引っ張ってきた84kg級の松本慎吾と、60kg級で昨年世界2位の笹本睦がいるからだ。

 しかし、フリースタイル55kg級の松永共広(ALSOK綜合警備保障=
左写真)は、松本と同じく今年のアジア・チャンピオン。2002年の世界学生選手権の優勝をはじめ国際大会で7個の金メダルを獲得しており、メダル獲得の期待度はもっと大きくていいはずだ。

■標的は世界V2のディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)

 体調は総じて順調にきたが、タックルなどで負った右耳つけ根の裂傷がひどくなって7月上旬に縫合し、練習で思い切りを欠いてしまっている状況はあった。もっとも「我慢できる。それほど大きなけがではない。このくらいのけがは誰もがしているでしょう」とのことで、本番に影響するほどのものではないようだ
(右写真=五輪に向けて最後の練習に励む松永)

 大会をあとわずかに控えた時期の気持ちとしては、昨年の世界選手権より楽だという。「去年はオリンピックの出場権を取らなければならない」という気持ちがあり、やはりプレッシャーが大きかったそうだ。

 実際に五輪のマットに上がった時にはどんな気持ちになるかは分からないが、キッズ時代から数多くのタイトルを手にしてきたレスリング・エリートだけに、心臓の方も一級品。国際大会7個の金メダルは、大きな財産として生きてきそうだ。

 標的は、昨年はけがの影響で世界5位に終わったものの世界選手権を2度制しているディルショド・マンスロフ(ウズベキスタン)。地力では世界チャンピオンのベシク・クドゥコフ(ロシア)より上と思われ、松永も「やはりマンスロフが目標」と話す。クドゥコフについては「闘ったことがないので…」。言葉には出さなかったが、強いとは思っていない様子で、打倒マンスロフこそが五輪金メダルの道だと思っている。

 昨年の世界選手権では初戦でマンスロフと激突し、先にテークダウンを奪った末に惜敗
(左写真)。2005年アジア選手権での初対戦からの実力差は間違いなく狭まっている。「あれだけの試合ができたのは自信になっています」。マンスロフを追う第2グループのさらにトップにいることは間違いない。

■史上初の全国中学3連覇! しかし大きな欠点があった

 キッズ時代(焼津リトル)からエリート選手だった。全国少年少女選手権は5連覇を達成し、中学時代には史上初めて全国大会3連覇を達成した。学年ごとに争う少年少女の大会と違い、中学では1〜3年生が一緒になって闘うので、1年生での優勝は難しいと言われていた。実際に、全国少年少女大会7連覇、6連覇の強豪もその壁は破れなかった。しかし松永がこの壁を破った
(右写真=1995年全国中学生選手権でV3を達成した松永)

 静岡・沼津学園高時代の1997・98年には2年連続で年間の5大タイトル(全国高校選抜大会、JOC杯ジュニア選手権、インターハイ、全国高校グレコローマン選手権、国体)を独占。これまた史上初めてのことで、レスリング界稀に見る逸材として注目を浴びた。

 もっとも、日本のレスリングの歴史を振り返ってみると、キッズ時代や高校時代のずば抜けた選手が、必ずしも将来につながっておらず、大学くらいになると失速してしまう例が多かった。原因は、成長期に過酷な負荷を加えてしまって体がボロボロになり、気持ちが続かなくなるいわゆる“燃え尽き症候群”が挙げられている。

 ほかに、周りと実力差があるため、返し技や相手の技を押しつぶすなど楽をして勝つレスリングを覚えてしまい、世界で通じるだけの攻撃力が身につかない場合も少なくない。実は、松永も高校に入学した時はその弊害に陥りつつあった。これを是正したのが沼津学園高の井村陽三監督だ。

 「『脚を取られたら駄目だ』とくどいほど教えた」そうで、返し技に頼るレスリングを徹底的に是正し、攻撃レスリングに変えた。その一方で、返し技も伸ばすため、「入られてのカウンターではなく、入らせてのカウンター」になるように指導したのだという。

■22年間の集大成を北京のマットで出す!

 松永は「高校に入って、監督から『そのレスリングでは壁にぶつかる』と言われました」と当時を振り返る。「目先の勝利にこだわってはいけない」とは、よく言われることだが、口で言うほど簡単なものではない。
 
 全国中学大会3連覇の逸材の欠点を見抜いた井村監督の眼力と、思い上がることなくその指導を受け入れた松永。もちろん日体大、そして全日本チームでの強化があってこそ今の松永がある。多くの人の手によって、順調に育てられた成果を北京で花咲かせることができるか。

 松永は、壮行会などで決意を口にする時、「22年間の集大成」という言葉を使う
(左写真=綜合警備保障の壮行会で決意を語る松永)。初のオリンピック出場なのでフレッシュなイメージがするが、28歳であり、もしかしたら今回限りでマットを去ることを考えているのかもしれない。22年間のすべてをかけて闘ってくれることだろう。

 男子の“キッズ・エリート”として初めてオリンピックのマットに立つ男には、日本のレスリング界の伝統をぜひとも守ってもらいたい。

(文=樋口郁夫)


《iモード=前ページへ戻る》

《前ページへ戻る》