【特集】北京オリンピックにかける(5)…男子フリースタイル66kg級・池松和彦(K-POWERS)【2008年8月1日】






 7月中旬の長野・菅平合宿で3度目の根子岳に登頂した男子フリースタイル66kg級北京五輪代表の池松和彦(K-POWERS=左写真)は、頂上に祭られた祠に「五輪で一生懸命がんばります」と手を合わせた(右下写真)。

 成長著しい若手が多い階級の中で、うまく照準を合わせて勝ち抜き、五輪2大会連続の切符を勝ち取った。アテネ五輪ではメダルを射程圏内に捕らえながら、決勝トーナメント1回戦でレオニド・スピリドノフ(カザフスタン)に悔しい逆転負けで表彰台に手が届かなかった。2度目の五輪はアテネ五輪のリベンジ戦として臨む。

 3月のアジア選手権(韓国)は3位ながら代表権を取ることができた。獲得直後は控えめな発言が目立ったが、次第にモチベーションは上がっていった。2年間も代表から外れたブランクも、「五輪に出る選手は誰もが少なからず緊張しているから」と気にしていない。6月の欧州遠征でメダルを獲得して試合感を取り戻し、ブランクを埋めつつある


■苦しみ、そして人間的に成長した4年間
 
 アテネ五輪後の池松は燃え尽き症候群に陥り、週2回と趣味並みの練習量だった。「レスリングが好きじゃない」という過激な発言もあった。その理由のひとつがルール改正だった。マット全面を使って跳ね上がるようなタックルを持つ池松は「場外に出ると1失点が納得いかない」と、攻める側が勇み足のように場外に飛び出しても1点を奪われるルールに納得がいかなかった。

 競技に対する方向性を失いかけ、国内でも負け始めた池松だが、「このまま終わりたくない」というジレンマにも駆られていた。アテネ五輪までは迷わずレスリング一直線だったが、その後は必死に自分と向き合った。

 練習量を減らした代わりに、様々なジャンルの読書に没頭。大学院で論文も書き、独自の哲学を築き上げた。この結果、練習に練習を重ねて本能と感覚で戦ってきたアテネ五輪より、「北京五輪のほうが周りが見えるようになった」。

 2007年の天皇杯全日本選手権で復活を遂げ、再び国際大会の舞台に戻ってきた。五輪の作戦は、「正面タックルは1ピリオドで1回は取れる自信があるから、そこからのワンツー攻撃、そして、カウンター1回かな」。本能でするレスリングから考えるレスリングをするようになった池松は、すっかり頭脳プレイヤーに変貌していた。

■アジア選手権の運のよさが池松を変えた

 アジア選手権で3位の表彰台に登った日本選手は、池松を含めて6人。その中で池松だけが五輪代表権を獲得した。ほかの4階級(グレコローマン60kg級は代表権獲得済み)は、結局、その後のトライアルでも出場権を取れなかった。3位で五輪出場を決められたのは、組み合わせなどの運も手伝った奇跡的なことと言えるのかもしれない。

 アジア選手権で優勝できなかった理由は、現行ルールのセオリーを踏んだからだ。アジア選手権2回戦のキム・ソンナム(北朝鮮)との一戦は
(左写真)、序盤で1点を取ったあと、一進一退の攻防を見せる。1点を大事に守ろう…。この考えは今のルールでは定石だが、攻めのレスリングに定評のある池松には1点を守った方がリスクが高かった。

 リズムが狂った終盤、1点を取られてしまい、ラストポイントにより第1ピリオドを取られた。結局ピリオドスコア1−2で敗れ優勝の道を断たれた。その後、北朝鮮が昨年の世界選手権に出ていないため、3位ながら代表権を手にできた。達成感なく得た五輪代表の座。五輪の道がどれだけ厳しいかわかっている池松に本当の笑みはなく、声高らかにメダル宣言は出てこなかった。

■敗北をプラスに変える−−同階級の選手のためにも

 アジア選手権から4ヵ月後、菅平の合宿ではある課題に取り組んでいる池松の姿があった。キレのいいタックルの直後、少々無理な体勢でもローリングで積極的に追加点を狙う。「今一番力を入れているのはワン・ツー攻撃です。1点とったあとすぐに追加点を取りたい」。

 その理由はアジア選手権でラストポイントに泣いた北朝鮮戦に帰するものがあるからだ。アジア選手権で止まったレスリングをしたのは2回戦の北朝鮮戦だけ。結局、その北朝鮮が優勝したからなおさら悔いが残ったのだろう。

 “運が良かった五輪選手”と自己表現してから4ヶ月。攻撃面、ディフェンス面と課題を克服し、「ここまで来たら金メダルを狙います。出られなかった選手の分もがんばらなくては」と言えるまで調子を上げてきた
(右写真=アテネ五輪以上の成績を目指して練習する池松)

 7月にはアテネ五輪前からいい時も悪い時もずっとそばで支え続けてくれた由紀さんと結婚。夫婦二人三脚で北京に臨む。「(奥さんに)いいところを見せたい」とさらに張り切りモードだ。日本レスリングの大トリとして出場する池松。“日本レスリング界の期待”に応えるときがやってきた!

(文=増渕由気子)


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