【特集】得意のタックルでライバル高塚を破り、五輪出場決定…フリー60kg級・湯元健一【2008年6月25日】






 国内最激戦区、フリースタイル60s級の北京五輪日本代表は、五輪代表権を自らの手で取ってきた湯元健一(日体大助手)に決まった。アテネ五輪後、本命不在で国内最激戦区と銘打たれ、数々の名勝負を生み出してきた同階級の決戦は終わりを告げた。全日本選手権優勝者で、3月の段階では五輪に最も近い存在だった高塚が、同トーナメントを勝ち抜いて優勝するも、プレーオフで湯元が得意技の片足タックルから両脚へ持ち替えてのテークダウンで(右写真)3年に渡る勝負にけりをつけた。

 第1シードの湯元が五輪代表に内定したことは、順当な結果に見えるものの、トーナメントは波乱の幕開けだった。「優勝して、ストレートで五輪出場を決める」と満を持して登場した湯元だったが、1回戦の小田裕之(国士大)戦で、いきなりテクニカルフォールで第1ピリオドを落としてしまう。第2ピリオドを取ったものの、第3ピリオドもいつもの湯元の積極性がなく、クリンチ勝負になると、ボールピックアップにより攻撃権を得た小田にマットにたたきつけられてしまった。

 初戦を振り返った湯元は「決勝の場に立っていないのが悔しかったです」と、プレーオフにもつれたことを悔やんだ。だが、負けても湯元の気持ちに焦りはなかった。「初戦は、五輪、五輪と気負ってしまって硬くなってしまいました。でも、あれで逆にプレーオフは大丈夫だと思いましたよ」。五輪予選を勝ち抜いた湯元は、一回りもふた回りも大きくなっていた。さらに、双子の弟・湯元進一の活躍が湯元の背中を押す。

 弟がフリー55s級で初優勝を飾ったのだ。優勝を決めた瞬間、進一は観客席の湯元に向かってガッツポーズ。「湯元は健一だけじゃない、進一もいます!」と独特のエールで湯元を励ました。

 プレーオフの相手は予想通り高塚。下馬評どおり、湯元VS高塚の最終ラウンドのホイッスルが鳴った。第1ピリオドはクリンチ勝負で湯元が先制
(左写真)。初戦の第3ピリオドをクリンチで落としている湯元は、第2ピリオドは「最後は絶対に(テクニカル)ポイントを取って決めたいと思った」と、初戦の過ちを払拭するかのように、残り15秒のタイミングで高塚の足元に体をもぐらせた。

 「タックルに入ったのは感覚的にです」。本能で繰り出した十八番の高速タックルが見事に決まって1−0。高塚との因縁対決に区切りをつけた。 「進一のインタビューが一番力になりました。直接言葉は交わしてないけど、心で伝わりました」と湯元。「9歳から進一とレスリングを始めて、五輪はずっと夢だった。五輪では全力で戦いたい」と力強く語った。

 湯元兄弟も、父親の手作りレスリング道場で英才教育を受けてきた選手だ。双子同時優勝という最高の結果はお預けになったが、湯元は悲願の五輪出場。弟は、全日本のビッグタイトルを初制覇。湯元兄弟が今までで一番輝いた一日だった。

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)



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