【特集】北京五輪への最後の決戦! 魂の試される時(1)…湯元健一(日体大助手)【2008年6月19日】







 北京五輪へ挑む10階級の中で、ただ1階級、日本代表の決まっていなかった男子フリースタイル60kg級の日本代表が、6月25日に行われる明治乳業杯全日本選抜選手権第1日(東京・代々木第2体育館)に決まる。

 瀬戸際の闘いで五輪出場権を取ってきた湯元健一(日体大助手=
左写真)が、その権利を死守するか。3月のアジア選手権(韓国)で、目の前にぶら下がっていた出場権をラスト1秒で取り損ねた2006年世界3位の高塚紀行(日大コーチ)が意地を見せるか。

 それとも、国内で虎視眈々(こしたんたん)とチャンスを待っていた選手が手元に引き寄せるか。魂の試される決戦の時まで、あと数日−。


 決戦まで2週間を切った6月中旬、五輪出場権を取ってきた湯元は、日体大のレスリング場で主に学生選手を相手に休む間なく汗を流していた。ある選手が湯元の脚を取り、そのバランスを崩そうとした。そばで見ていた藤本英男部長が「○○! ぶっ壊してやれ! 湯元がけがをしたら、おまえがオリンピックへ行けるんだ!」とゲキをとばした。

 実際には、別の階級の選手であるため代わってオリンピックに行くことはありえない。決戦を控えた自チームの選手に対して、「ぶっ壊してやれ!」とは、ちょっと不穏当な言葉だ。

 だが、「気を抜くな!」という藤本部長の真意は湯元にしっかりと伝わっている。わずかな気のゆるみが、取り返しのつかない結果になってしまう。自らが取ってきた五輪出場権。「経験したことのないプレッシャーだった。1回戦から怖くて脚が震えた」という人生最大の試練を乗り越えて取ってきた北京行きのキップだ
(右写真=五輪最終予選で出場権を獲得した湯元)。他人に渡してなるものかとばかり、湯元は気合を入った練習を続けた。

■目を突かれ、弱気になってしまった全日本選手権決勝

 昨夏、国際大会で初のメダルを獲得し、世界選手権にも出場した。しかし全日本選手権決勝で高塚に敗れてしまった。第1ピリオド0−1のあと、高塚の指が目に入り、視界が消えて場外に押し出され(1失点)、目が開かない。無意識のうちにもタイムをアピールしてしまった。現行ルールでは出血を伴わない状況でタイムをアピールしたら1失点なので、0−3でこのピリオドを落としてしまった。

 「甘さがありました。目を突かれて気持が下がってしまった。向かっていく気持が出ていれば、『やり返してやる』という気持ちになったはず。そうならなかったのは自分の弱さでした。あそこで負けていました」。故意ではないのだから、高塚のこの行為をとがめる気持ちは全くない。試合では時々あること。そのアクシデントを乗り越えられなかった自分が悔やまれる
(左写真=目を突かれ治療を受ける湯元)

 試合の流れを奪われた湯元は自分らしさを出せず、ピリオドスコア0−2で黒星。この段階で五輪への道が遠のいた。年が明けての合宿で巻き返しをはかったが、出場権獲得の最初のチャンスであるアジア選手権(五輪予選第2ステージ)の日本代表は高塚に持っていかれた。高塚が優勝したら、湯元のチャンスは完全に消え去る。

 場所は違うが、海外修行で同じ韓国のソウルでその時を迎えた湯元は、「高塚決勝進出」の知らせを聞き、「もう終わった」とさえ思ったという。辛うじて希望がつながったものの、次のスイスでの五輪予選の日本代表も高塚に決まり、「今度こそ終わりだと思った」という。

 しかし、最後に自分にチャンスが回ってきた。「変な言い方だけど、神様は自分を見捨てなかったと思った。自分のやってきたことを認めてくれたんだと思った」。神様が自分のために仕組んでくれた運命? ワルシャワ決戦では神様の“おぼしめし”をしっかり生かして出場権を取った。

 だが、今度の闘いに勝たなければ、神様の導きを裏切ってしまうことになる。そのためには神頼みなどできない。帰国してから6・25決戦を見据えた壮絶な練習がスタート。「焦りも出たし、疲れ気味の時もあった」というのは人間なればこそだが、振り返ってみると「いい練習ができている」と言う。

■選抜で勝つことより、オリンピックで勝つための練習をやっている

 アテネ五輪で井上謙二(自衛隊)が銅メダルを取った直後は、後継者がだれか見当のつかなかったフリースタイル60kg級だが、いつしか“国内最大の激戦階級”と言われるようになった。そんな階級だけに、湯元は高塚だけでなく大沢茂樹(山梨学院大)と井上謙二にも黒星を喫している。しかし、「前の勝敗は関係ない。自分を出し切れば、絶対に勝てる。気を抜かず集中してやれば、だれにも負けない自信はある」ときっぱり。

 高塚がアジア選手権で2006年の世界王者を破ったことも、あの重圧を乗り越えて五輪出場権を取ってきた自分の経験の方が上だと思っている。さらに、「藤本先生からは『選抜で勝つことを考えて練習するな。オリンピックで勝つことを考えて練習しろ』と言われています。その通りだと思います」と話し、世界最高レベルの練習をやっている自負がある
(右写真=決戦へ向け練習する湯元)

 実際に、北京五輪の代表に決まった55kg級の松永共広(ALSOK綜合警備保障)と66kg級の池松和彦(K−POWERS)も日体大で練習しており、どの選手よりもハイレベルの練習環境の中で汗を流してきた。「笹本(睦)さん、松本(慎吾)さんからも激励されています。置いてきぼりは嫌ですね」と、日体大をあげてのサポートにしっかりとこたえる腹積もりだ。

 そんな湯元に対し、「ぶっ壊してやれ!」と言った藤本部長が言った。「北京で闘う選手で一番いい成績を残すのは、この階級の選手かもしれない。この時期まで、こんな必死になって代表争いをやっているんだから」。その選手が湯元であると思っていることは、聞くまでもなかった。湯元の毎日の練習は、恩師にそう思わせるだけの鬼神あふれる練習なのである。

(文=樋口郁夫、撮影=増渕由気子・矢吹建夫、樋口郁夫)



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