【特集】国士大復活の“切り札”! 学生レスリング界に和田貴広コーチ戻る【2008年5月16日】







 1996年アトランタ五輪と2000年シドニー五輪の代表選手で、2001年から日本レスリング協会専任コーチとして男子フリースタイルの全日本チームの指導に当た和田貴広氏(右写真)が3月いっぱいで専任コーチを降り、4月に母校・国士大の職員となってレスリング部のコーチに就任(国士大の厚意で北京五輪までは全日本チームの指導を継続して担当)。5月8〜11日に東京・駒沢体育館と青学大体育館で行われた東日本学生リーグで久々に学生大会のベンチに入った。

 大学の誘いと「自分のチームを持ちたいという希望があった」という動機から国士大に舞い戻った。専任コーチの時代は公平を期すため、母校のベンチに座ったり、母校を応援することを控えていた。久し振りに国士大のスタッフとして会場に足を踏み入れ、ベンチから見た学生リーグ戦は「純粋に面白かった」と言う。

 しかし、国士大は4勝3敗で1部Bリーグの4位に終わった。和田コーチは言うに及ばず、和田コーチが学生選手だった時の国士大を知る者にとっては寂しい結果だろう。

■「まずレスリングを好きになってもらいたい」…和田貴広コーチ

 国士大といえば、1976年モントリオール五輪には現役・OB合わせて6選手を日本代表に送り、日本レスリング界のを栄光を支えてきたチーム。学生レスリング界でも日体大、日大と並んで三強と言われた時代が長く続いた。

 和田コーチが主力だった1991年の全日本大学選手権は日体大を抑えて団体優勝を達成。翌92年の東日本学生リーグ戦では白星街道を突っ走っていた日体大に土をつける殊勲も達成した(最後は日体大が優勝)。

 その後、新興勢力・再興勢力の台頭もあって下位に沈み、2000年の全日本大学選手権で優勝して浮上を目指しながらも、勢いに欠けるというのが現状。2005年にはリーグ戦11位という屈辱も味わった。そこで、全日本のコーチとして培った和田コーチの指導力に期待が集まる。2004年アテネ五輪では軽量2階級にメダルを取らせ、その指導手腕には定評がある
(左写真:リーグ戦で選手にアドバイスを送る和田コーチ=左)

 もっとも、全日本チームと学生とでは技術や体力のレベルが違い、同じ指導内容というわけにはいかない。これまで全日本チームでやってきたことを国士大でやっても、選手はついてこれないだろう。和田コーチも「学生は減量の仕方からしてよく分かっていない選手もいる。モチベーションも日本代表選手のように必ずしも高くない」と認識。そうした事実をふまえた上で、「まず、学生たちにレスリングを好きになってもらいたい。本気になってもらいたい」と考えている。

■北京オリンピックのあと、住まいを大学そばに移して本格的な指導をスタート

 国士大で本格的な指導を始めるのは北京五輪が終わってから。住まいを国士大のある東京・永山に移す予定で、朝練習から参加。私生活の面でもしっかりとした指導を行い、選手を育てて生きたいという。

 リーグ戦を見届けた和田コーチは「これだけ熱い試合を見せられると、日本もまだ捨てたもんじゃないなって思う。時間はかかると思いますが、滝山(将剛)部長、朝倉(利夫)監督と協力して、焦らず、少しずつ強くしていければと思っています」と抱負を語った
(右写真:ベンチから熱く選手を見守った和田コーチ。左は朝倉監督、右は水橋徹コーチ)

 アトランタ五輪の盟友だった太田拓弥氏は早大のコーチとして手腕をふるい、リーグ戦優勝を狙えるまでのチームに育て、さらに発展中。国士大の先輩の吉本収氏は神奈川大の監督として学生王者を育て、学生界の活性化に貢献している。

 国士大の同期だった嘉戸洋氏は環太平洋大学で女子選手の育成という新たな分野に挑み始めた。現役時代、ともに汗を流した仲間たちがそれぞれ学生界で指導者として活躍しており、刺激材料にはこと欠かない。7年間、日本の最前線で指導に携わってきた和田コーチの学生レスリング界での奮闘が期待される。

(文=渋谷淳、撮影=矢吹建夫)



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