【特集】世界のマットで“鍛えられた”父の遺伝子、トルコで爆発か…男子ジュニア・フリー96kg級・内藤光祥(日大)【2008年4月28日】






 国際審判員として2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪のマットを経験した内藤可三・日本協会前審判員長の長男・光祥(日大)が、固い守りを武器に勝ち上がり、ジュニア・フリースタイル96kg級を制した(右写真は2回戦)

 東京工高時代の2005年に全国高校選抜大会と全国高校グレコローマン選手権で2位に入ったものの、全国一はなし。日大進学後も、昨年のこの大会や新人戦で3位入賞まではいっても、決勝に進んだことがなかった。「決勝で闘うのは久しぶりで、優勝は初めて。表彰台の一番高いところに上がり、足ではなく、手が震えました」と苦笑いし、「でも気持ちがいい」と続けた。

 3月27日生まれ。早生まれ選手の“特権”で大学3年生にしてこの大会に出場できた。「周りは年下の選手だし、ここで負けるわけにはいかなかった」と、秘かに優勝を狙っていた様子。「2位、3位で終わっていた時も、ずっと世界で闘うことを思っていました」と言う。

 この優勝で世界ジュニア選手権(7月、トルコ)への出場をほぼ確実したが、まだシニアの選手権などを意識するほどではないという。国内の大会を含め「目の前の大会をひとつずつこなしていくだけです」と話し、やっと世界に向けてのスタートラインに立ったというところか。

 8月の全日本学生選手権は「最高で優勝、最低でも3位入賞を目指す」と目標を掲げる。世界ジュニア選手権挑戦とともに今年の夏は暑く燃える夏になりそう。

 そんな長男をステージの本部席から見ていた内藤さんは「よく頑張った」と一言。国際舞台でのレフェリングは若手に道を譲ったが、「団長あたりで世界ジュニア選手権に行きたくなった」と話し、再び世界に出ることになりそうだ。

■内藤光祥(ないとう・みつよし)
 フリースタイル96kg級。1988年3月27日、東京都生まれ。東京・東京工高卒。日大3年生。2007年JOC杯3位。血液型A型。


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