【特集】推薦も合宿所もない公立高校の快挙! 一貫強化実らせた京都八幡高・浅井努監督【2008年3月29日】









 昨年の国体で3年生が退くと、部員がたった7人しかいなかった。公立高校なので、推薦制度もなければ、合宿所もない。全員が自宅から通っている地元の生徒。50kg級に選手がいないため、6階級で団体戦を闘わねばならなかった。

 そんな環境に恵まれない少人数のチームが、全国高校選抜大会で2年連続17度目の優勝を目指す強豪・霞ヶ浦を破り初出場初優勝を達成した。部員が少ない公立高校でも、選手が高い意識を持って日々の練習に取り組めば栄光はやってくる--。そんなことを教えてくれたのが京都府立京都八幡高校(八幡高と南八幡高が昨年4月に統合)であり、10年間にわたってキッズからの一貫強化に取り組んできた浅井努監督
(右写真)だ。「少ない部員の中でも、個々の選手の気持ちを高めて練習に取り組んできました」と言う。

■市内の小学生3000人にキッズ教室のビラを配ってスタート

 浅井監督は日体大時代に学生王者に輝き1992年バルセロナ五輪の有力候補だった。残念ながら五輪行きを逃したあと、京都で指導者の道を歩んだ。「普通の公立高校の教員でオリンピックを目指すのは厳しかった。前から、選手を辞めたら指導者と思っていましたから…」。

 選手生活に未練がなかったと言えばうそになるだろうが、社会人として生きていかねばならない厳しさの中で、その気持ちは消えた。代わりに出てきたのが指導者として全国一になることだ。しかし、赴任した八幡高にスポーツ推薦制度はないので強豪中学選手をスカウトすることはできない。ましてスポーツは盛んではなく、サッカーやバスケットボールでさえもチームが組めない時もある高校だったという。

 こんな状態であっても霞ヶ浦をはじめとした全国のトップチームと渡り合えるチームをつくろうと思い、その方法を模索した。周囲からは冷ややかな目で見られていたかもしれない。しかし浅井監督は本気だった。見つけた方法が、地元の小学生を鍛え地域密着のチームをつくることだった。

 当時の今井興治校長(現八幡市教育委員長)が「育てて強くすることこそ、真に優秀な指導者なんだ」と言ってくれたことも、その気持ちを後押しした。「キッズチームをつくりたい」と気持ちを訴えたところ、学校をキッズ教室の道場として開放してくれた。市内の11小学校の約3000人の児童にレスリング教室開校のビラを配り選手集めが始まった。10年前のこと。一貫強化のスタートで、その時に入部してくれた小学生が今の主力メンバーだ。

 優秀かつ素質のある選手を引っ張って強くしたのではなく、自らの力で選手を育てての全国一。「選手との信頼関係はどこにも負けません。選手は親よりも長い時間、私と一緒にいるんですよ。育ててきた、という実感があります」という言葉は、まごうことない真実だ
(左写真向こう側=優勝が決まったあと、選手1人1人と握手して回った浅井監督)

■強豪・霞ヶ浦を破った価値ある初出場初優勝

 今大会で本当に苦戦したのは準決勝の上田西(長野)戦だろう。3勝3敗のあと、120kg級での勝負。山原翔一と上田西の堀内大輔とは、同じ120kg級の選手ながら体の大きさがひと回り違い、パワーに押されて劣勢の連続。それでもピリオドスコア1−1とし、最後のコイントスに勝ってのクリンチから勝負を決めた
(右写真:第2ピリオド、山原=赤=は首投げで追いつき、望みを第3ピリオドにつないだ)

 浅井監督は「日ごろから必死の思いで練習してきた結果だと思います。最後の最後まであきらめずに闘うように言ってきた。その気持ちがあったからこそ、最後に勝利が転がり込んできた。選手を信じていました」と、その瞬間を振り返る。

 そして、高校レスリング界にさん然と輝く金字塔をつくっている霞ヶ浦との決勝戦。浅井監督は「団体戦というのは、伝統とか目に見えない力が働くもの。やはり霞ヶ浦という名前は怖かったです」と言う。

 2006年に霞ヶ浦との対戦がない状況で春夏連覇を達成した秋田商の鈴木信行監督が「周りの評価は『強い霞ヶ浦を破ってこそ本当の優勝だ』でした」と話し、2007年インターハイで霞ヶ浦を破って優勝した時に、「これで本当の全国一です」と話したほど。高校レスリング界は、霞ヶ浦を破らない優勝は一段落ちる優勝と見られているのが現実だ。今回の優勝は、初出場初優勝とともに価値ある全国一だった。

■全国中学生選手権V2の2人がチームを引っ張る

 メンバーのうち、60kg級の田中幸太郎(2年=4月から3年生、
左下写真)と74kg級の北村公平(1年=同2年生)は、ともに中学時代に2年連続で全国王者に輝いた強豪。田中は昨年の55kg級インターハイ王者であり、2本柱がチームを引っ張ったことは言うまでもないが、田中は昨年の国体のあと1階級上げ、1月の近畿大会では個人優勝を逃していた。

 「それが、かえってよかったんですよ」と浅井監督。今までの実力が60kg級では通じなかったことで、「去年の優勝は忘れてくれ、チャレンジャーとしてひたむきに練習に取りくんでくれた」という。エースがおごることなく練習に取り組めば、周囲もそれにつられる。すべてがいい方向に回転したようだ。

 「インターハイも頑張りたい」。春夏連覇を達成してこそ本当の全国一であることは言うまでもない。公立の推薦制度なしの高校でも全国一になれることを証明した“革命戦士”浅井監督は、今夏、真の全国一を目指す−。

(文・撮影=樋口郁夫)



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