吉田沙保里選手の連勝記録が「119」でストップ【2008年1月19日】








 2001年12月の全日本選手権の3位決定戦から続いていた女子55kg級、吉田沙保里選手(ALSOK綜合警備保障)の連勝記録が、中国・太原で行われている女子ワールドカップの予選リーグ3回戦、米国戦で「119」でストップした(左写真)。また1996年から続いていた国際大会無敗記録も「114」でストップした。

 吉田の記録をストップしたのは、米国のマルシー・バンデュセン(25歳)。これまで2004年の世界学生選手権59kg級優勝、05年ユニバーシアード3位などの成績はあるものの、シニアでは昨年の世界選手権が初出場で10位へ。米国の女子4階級のうち、ただ1階級、北京五輪出場権を獲得できなかった選手だ。

 試合は第1ピリオド、開始25秒、バックを取られて1点を失った。しかし1分30秒ごろ、場外へタックルを決めて3点を取り、3−1と逆転して試合が再開した。ここで国際レスリング連盟(FILA)のマリオ・サレトニグ副会長が試合を止めてビデオをチェックするように指示。相手のタックル返しを優勢と見て、スコアは0−4へ。最後に吉田が1点を返したが、1−4でこのピリオドを落とした。

 第2ピリオドは、開始27秒に吉田が1点を取り、そのままのスコアで終盤へ。吉田は流さずに1点を狙って攻撃を続けたが、ここで相手がタックル返しを仕掛け、吉田の体ごと回転。ここでもマリオ・サレトニグ副会長がビデオチェックを指示し、その結果、相手に2点、吉田に1点となった。再開時の残り時間は1秒。結局、2−2のビッグポイントによって相手の手が上がった。

 吉田にとっては納得のいかない判定だろう。痛恨の失点は、ともにタックル返しで、自らが仕掛けた技。第1ピリオドのタックル返しは、確かに吉田の肩もマットに向いていたが、これはタックルを決めて場外に出してからのように見える。

 昨年の世界選手権では、浜口京子選手とスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)との試合で、微妙な判定であっても審判団がビデオチェックをしなかったことが問題となった。そのために、サレトニグ副会長が強権を発動したのだろうが、審判団の協議を見ている限り、レフェリーもチャーマンも自分の意見を言うことなく、サレトニグ副会長の言うことに全面的に従ったといった感じ。

【第1P】吉田(赤)は粘ったものの1点を先制されてしまった。 【第1P】逆転を狙ってタックル。相手をしっかりテークダウンしたように見えるが、判定は相手の3点。 【第1P】最後に1点をl返したものの、1−でこのピリオドを落とした。

【第2P】序盤に1点を取り、試合を有利に進めた吉田。 【第2P】2点目を狙ってタックル。相手のカニはさみ(?)でやり直し。 【第2P】場外際でテークダウンを狙う吉田に、デュセンはタックル返しを仕掛けた。吉田の体が返ってしまった。

 栄和人監督(中京女大職)は試合後、「返されたら相手のポイントになってしまう、というのは分かるけど、こんな判定されたら、そうやって勝つんだ」と口にしたほど、納得のいなかい判定だった。

 吉田は、団体戦ということで自分の試合が終わってもマットサイドに残り、がっくりとうなだれたまま
(右写真)。後輩の試合も目に入らない様子。全試合が終わって控室に戻る時になると、涙がほほを伝わった。

 約50分後、日本からの来た報道陣の強い要請の前に取材を受けたが、まだ涙は止まらず、タオルに顔を埋めたまま。必死になって声を振り絞り、「勝てると軽くいってしまったのが敗因だと思う。返されたポイントだけど、負けは負けです。タックルに入って返されると、必ず相手に入った。返されたのだから、自分が悪いと思う」と振り返り、判定への不満と言い訳を封印した。

 吉田にとって不利な条件はあった。2kgオーバー計量で実施する大会であり、55kg級の場合は57kgで計量する。相手のデュセンは通常62kgあるそうで、普通なら7kgの減量をしいられるが、この大会では5kgの減量でいい。減量苦からくるスタミナ切れが少ない。

 しかし、これも規定のルール。「体重がない自分が悪い」と言い、負けた原因にはしなかった。「国際大会で初めて負けたのはショック。でも、まだ北京がある。これで、もっと練習しなければならないことが分かった。北京では絶対に優勝したい」と話し、前を向く気持ちを出した。

 栄監督も「審判にやられたとしか思えないけど、審判のせいにしていたら、落とし穴に落ちる。本番(北京五輪)でなくてよかった。オリンピックでは、すべての試合に集中力を出させる。この負けを謙虚に受け止め、これで強くなってほしいし、強くさせます」と話した。



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