【特集】2大会連続五輪出場を目指して、湯元健一(男子フリー60kg級・ALSOK綜合警備保障)が真の復帰戦へ【2009年12月19日】

(文=増渕由気子)



 天皇杯全日本選手権(12月21〜23日、東京・代々木競技場第2体育館)に“あの男”が帰ってくる。2008年北京五輪男子フリースタイル60kg級銅メダリストの湯元健一(ALSOK綜合警備保障=右写真)だ。北京五輪後、2009年の目標に一度は「世界選手権の優勝」を掲げたが、持病だった腰の手術などで戦列を離れた。

 今年の夏前からマットでの練習を再開し、9月の新潟国体の復帰戦で優勝。“試運転”を終え、メダリストの誇りを持って全日本選手権に復帰する。現在は100パーセントと言える状態で練習を積んでいる。北京五輪までは持病の腰痛と二人三脚だったが、手術によってその不安を取り除き、夏前にはフルに練習を再開。「自分の動きができている」と調子もよさそうだ。

 9月の新潟国体は、得意のタックルはほぼ封印した形となったが、余裕たっぷりでの優勝。学生トップクラスの内村勇太(拓大)や松本桂(早大)ら2012年ロンドン五輪のホープとなり得る若手に完勝し、1年間の休養は前進するためだったことを見せつけた。

■北京五輪後、戦列は離れたが心身ともに成長

 湯元の北京五輪出場への闘いは、五輪代表争いの勝負だった2007年全日本選手権で2位に終わるなど、出場絶望とも思われた逆境をはねのけての出場だった。原動力となったのは電光石火の片足タックルや、五輪銅メダルを決定づけることになるアンクルホールドなど。この決め技は世界で通用し、湯元の十八番と言える技だ。だが湯元は、「タックルはまだまだ荒削りでしたよ」と、北京五輪前の自身の出来栄えを過去のこととしかとらえていない。あくまで「進化している」ことを強調した。

 この1年半は国体以外の試合には出ず、全日本合宿にも顔を出さなかった(今年10月に五輪後初参加)。一方で、早大の太田拓弥コーチとともに展開しているダウン症などの知的障害者を対象とした「わくわくレスリング教室」で流される北京五輪のビデオなどを見ることで、「客観的に自分を見ることができるようになった」と話し、自己分析もできるようになった(左写真:子供達にも大人気の湯元兄弟=右が健一、和歌山で開講したわくわく教室にて)

 そのほかにも、地元・和歌山はもちろん、あちこちのキッズ教室や高校にゲストとして招待され、レスリングを教える機会も増えたことが、湯元の自信につながっている。「他人に教えることで、技を自分でも確認できるようになった」。

 何よりも、子ども達が頑張る姿と笑顔が一番の力になる。「この子達でも、こんなにできるんだから、僕はもっとやらなきゃいけない」。試合のマットからは遠ざかった1年半だったが、気持ち的には確実に成長したようだ。

■北京五輪出場を決めた代々木第2体育館にがい旋!

 今年4月からはALSOK綜合警備保障に就職し、“プロ選手”になった。本来は6月の全日本選抜選手権で復帰予定だっただけに、「早く自分がALSOKの看板選手になって、(関係者を)安心させたい」と責任感も十分だ。

 モチベーションはもう一つ。弟・進一(自衛隊=フリースタイル55kg級)との兄弟優勝だ。すでに双子で初となる2人ともの全日本王者を手にし、ともに世界選手権出場を果たしているが、同時にタイトル獲得・世界選手権出場は果たしていない。「来年は一緒にロシア(世界選手権)に行くんだ」という弟との約束も果たしたいところだ。

 不安要素をあげるとすれば、北京五輪出場を決めた昨年6月の全日本選抜選手権での湯元の記録は「初戦(2回戦)敗退」という点。今年学生二冠を制し、全日本学生連盟選出の年間MVPに輝いた小田裕之(国士舘大)に第1ピリオドはテクニカルフォールで取られるなどして黒星を喫している。

 もっとも、湯元は気にするそぶりを見せない。小田だけではなく、湯元を脅すであろう若手は次々と生まれている。一方で、プロ格闘技へ進んだ元全日本選抜王者の大沢茂樹がロンドン五輪出場宣言をするなど、ライバルは増えるばかりだ。だが、湯元はライバルというキーワードに迷わず答えた。「高塚でしょう。(五輪出場権を争った)試合からだいぶ経つので、もう一度対戦したい」(右写真=北京五輪代表をかけた闘いで高塚に勝った湯元)

 雌雄を決した昨年の6・25全日本選抜選手権から約1年半。湯元が、北京五輪出場を決めた縁起のいい代々木第2体育館のマットに戻ってくる。 


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