【特集】初代シューター(修斗選手)二世の渡部修斗(スーパータイガージム)が奮戦!【2009年11月23日】

(文=樋口郁夫)



 両スタイルと初段フリースタイルの66kg級に出場した渡部修斗(スーパータイガージム)は、1984年の日大レスリング部主将の渡部裕一さんの次男。フリースタイルは2回戦敗退だったが、グレコローマンは3位に入賞し、初段フリースタイルで優勝した(右写真=グレコローマンで3位に入賞した渡部)

 渡部さんはフリースタイル62kg級で学生2位などの実績を残し、現在の日本協会・栄和人女子強化委員長と闘ったこともある。卒業後、初代タイガーマスクの佐山聡氏が興した新興格闘技・修斗へ活路を求めた。「優一」と改名した修斗では初代ウエルター級王者に輝き、当時の総合格闘技ファンでは知らない人はいない存在へ。「修斗」という名前は渡部さんの修斗への愛情からつけられたことは容易に想像できる。

 渡部は、そんな父の期待を受け、群馬・太田倶楽部や父の経営するスーパータイガージム太田でレスリングに取り組み、栃木・足利工大付高ではインターハイ出場を果たした。

 現在は国士舘大に通う大学生。レスリング部のある多摩キャンパスではなく、世田谷キャンパスに通っていることもあってレスリング部には所属していないが、卒業後の総合格闘技入りを目指してレスリングに取り組み、主に豊島区協会などで練習を積んで、今回出場してきた。「グレコローマンは練習したこともないんです。でも、経験として出場しました」と、吸収できるものはすべて吸収しようという姿勢で総合格闘技入りにそなえている。

■親と比べられる二世選手の宿命と闘ってきた

 ただ、今はレスリング一本。来週の全日本コンバットレスリング・オープン選手権には出場するが、「総合の基礎でもあるレスリングをしっかりやりたい」と、打撃には取り組んでいない。7月の全日本社会人選手権にも出場しており、その時は3回戦で坂本将典(自衛隊)に敗れ、メダルにあと一歩届かなかった。今回も12月の天皇杯全日本選手権への出場権を目指して優勝を目指したが力及ばなかった。「修斗へ行く前に、レスリングで全日本選手権出場を果たしたい」という気持ちを持っており、来年もレスリングでの挑戦は続きそう。

 子供の頃、父がよく遊びで関節技をかけてきそうで、知らず知らずの間に“格闘技”に親しんできた。父の雄姿を知っている人から声をかけられ、うれしかった半面、勝っても「さすが渡部の息子だ」と言われ、自分の努力が無視されているようで嫌な思いもしたという。しかし、これは強豪だった父を持つ二世選手の宿命。この先、総合格闘技に進めば、もっと比べられてしまうだろう。そのためにも、しっかりした実力を身につけたいところだ。

 父がやっていた頃の総合格闘技は極めてマニアックな存在であり、世間一般には知られていなかったが、今は地上波のゴールデンタイムででも放映される存在になっている。そのため、「アマ修斗から始め、チャンピオンになってプロに行き、テレビに出て…」と、目標をしっかりと持つことができ、スターになる道も開けている。父から受け継いだ“修斗魂”が爆発する日はいつか。


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