【特集】押立吉男代表の遺志を引き継ぎ、新たな飛躍を目指す吹田市民教室【2009年11月19日】



 全国少年少女選手権の団体戦(現在は廃止)で20度の優勝を飾り、最大最強のキッズ教室を率いてきた押立吉男代表が亡くなられてから1年が経った(2008年10月31日没)。逝去後初めて行われた11月15日の押立杯関西少年少女選手権では、全国少年少女選手権の優勝階級で後塵を拝したゴールドキッズ(東京)に優勝選手数でリベンジして団体優勝。押立代表の遺志を受け継ぎ、日本一の座奪還に燃えている。

 押立代表亡き後のチームを支えた宮本輝夫会長と西尾秀明理事長(右写真=右が宮本会長)に、この1年間を振り返ってもらい、今後の展望を聞いた。

(関西少年少女選手権会場にて=聞き手・樋口郁夫)


■多くのコーチや保護者の協力でこの1年間を乗り切った

 ――押立代表が亡くなられて1年が経ちました。日本最大のキッズ・クラブをどう支えてきましたか?

 宮本 押立先生が偉大すぎましてねえ…(笑)。押立先生とはかれこれ50年ものつきあいで、いろんなことを教えてもらいましたが、あのカリスマ性にはとてもかないません。荷が重いというのが正直なところです。しかし、遺産をつぶすことはできない。西尾理事長のほか、コーチの皆さんの協力でこの1年間をやってくることができ、何とか押立杯を開催することができました。これからも多くの人の協力でやっていきたい。

 西尾 押立先生は週5回、必ずどこかの体育館での練習に参加していた(注・吹田市民教室は4ヶ所で教室を開いている)。亡くなられたあと、コーチに振り分けて途絶えないようにしてきましたが、週5回参加の大変さ、偉大さをあらためて感じました。その流れだけは止めたくない。コーチは誰もが仕事を持っているので大変ですが、この伝統は守って行きたい。大会運営の大変さも、ひしひしと感じます。これだけの大会を22年間もやってきたことも、押立先生の情熱ですね。

 ――滞ることなく1年間やってきたことは事実。それだけの結束があったと考えていいのではないでしょうか?(左写真=押立杯関西少年少女選手権開会式であいさつする宮本会長)

 宮本 コーチが何人もいましたからね。ただ、あまり多いと難しい面も出てくる。「船頭多くして舟山に登る」ということわざがあるように、多ければいいというものではない。このあたりを、どう調整していくかの難しさが出てきた。

 西尾 押立先生のやってこられたいいところを継承して盛り上げたい。いま、全国大会で団体戦はなくなりましたが、実質的な団体優勝という強さを取り戻したい。

 ――500選手規模の大会を毎年開催するというのは、すごいことですよね。

 西尾 指導者だけではできません。保護者の協力がありますからね。キッズ教室は、選手、保護者、指導者の三者が一体になれば、しっかりと運営できると思います。それによって選手も強くなっていくと思う。基盤がないのに指導者が熱を上げても、うまく回転しない。大会運営をすることがないチームであっても、そのチームを支えるのは保護者の力ではないでしょうか。

■五輪選手輩出のために、攻撃レスリングの重要性を選手と保護者に伝えたい

 ――強化については、いかがですか? 最近ではゴールドキッズに押され気味ですが…。(右写真=押立杯関西少年少女選手権全景)

 西尾 ゴールドキッズの台頭は刺激になっています。きのうも合同練習をやりましたが、学ぶべきことが多かった。

 宮本 私達の指導方針・理念は、目先の勝利ではなく、将来も活躍できる選手を育てること。それには、徹底した基本練習が大事。基本練習を中心にやっていく。保護者の中には「もっと多くの技を教えてほしい」と言ってくる人もいます。しかし、私は「前へ出る」といった基本技を徹底してやらせます。

 西尾 レスリングの基本はタックルで、これは押立先生の指導方針でもありました。今もそれは変えていません。世界で通じる選手になるためには、小学生、中学生ではまずタックルでしょう。

 宮本 それは選手にも保護者にも伝えています。ただ、どうしても今の結果を求めますね(苦笑)。難しいですよ。これまでは、レスリングを知りすぎたがゆえに、高校や大学に行ってから伸び悩んだという選手が何人かいますからね。そういうことを反省材料とし、世界で通じる選手を輩出したい。

 西尾 この教室からオリンピック選手を出したい。女子で世界チャンピオンになった選手はいますが(正田絢子、西牧未央)、男子を含めて、やはりオリンピックに出る選手を育て、金メダルを取らせたい。指導者のだれもが思っていることです。

 宮本 西牧は登り調子ですね。4日前(11月12日)に吹田市に世界チャンピオンになった報告に来てくれましたが、「絶対にロンドン五輪に出場します」と燃えていました。(左下写真=出身選手の中で最もロンドン五輪に近い位置にいる西牧)

■まず1人、オリンピック選手が出てほしい

 ――長年キッズ・レスリングの最強チームにいながら、五輪代表選手がいないという原因は、どこにあるとお考えですか?

 宮本 (キッズ時代に強すぎ)高校でも簡単にチャンピオンになれたことに一因があると思います。攻めての勝利ではなく、テクニックをうまく使ったような勝ち方で。そのため安易な練習になってしまった面があるのではないでしょうか。あるいは勝ち続けてきたがゆえに、もうひとつ上を目指すことなく満足してしまったところもあったのかな、とも思う。

 西尾 私たちより小さな教室から五輪選手が出ている。気にかかっていたことであり、自分自身にも問いかけています。小学生の時から“勝ち急ぎ”になっていたかな、という反省はあります。将来オリンピックへ行こうと思ったら、攻めのレスリングを忘れてはならない。そのことを選手と保護者にはしっかり伝えたい。

 ――全国少年選手権5連覇、全国中学生選手権3連覇を経て北京五輪で銀メダルを取った松永共広選手(焼津リトル〜現ALSOK綜合警備保障)も、沼津学園高校に進学した時は返し技に頼っていたレスリングだったそうです。井村陽三監督が徹底的に攻撃レスリングに矯正したのは有名な話です。

 宮本 私達の時代は今と違ってみんな高校に入ってからレスリングを始めた選手です。インターハイで優勝する選手というのは、ものすごい迫力で前へ出て攻撃する選手でした。今、ああいうレスリングで勝つ選手を育てる必要があるのではないかなと、私は思います。ルールが変わっていますから、一概には言えませんが…。

 西尾 タックルで前へ前へと出るレスリングが見られなくなりましたね。接近して難しい技でポイントを取って勝つレスリングが主流。まだ、これだ、という結論は出ていませんが、日本選手の持ち味の攻めて攻めてスタミナで勝つというレスリングを見直してみたい。

 宮本 男子の今までの最高成績は、高塚紀行(現日大コーチ)の世界3位(2006年)です。しかし、彼の運動能力が出身選手の中では一番というわけではない。高塚の持ち味は前へ出て攻めるレスリングだ。前へ出て攻めることが大事だということを、今の子供たちが感じてくれれば、将来のいい結果につながっていくと思う。だれか1人、オリンピック選手が生まれてくれれば目標ができる。とにかく目先の勝利にこだわるレスリングはやめさせたい。

 宮本輝夫会 大阪・大阪市立高〜明大卒。1960年全日本選手権グレコローマン・フライ級で2位。高校時代に押立吉男氏の指導を受け、それが縁で吹田市民教室の創設の時からコーチとして参加。昨年11月、会長に就任。70歳。
 西尾秀明理事長 桃山学院大進学後にレスリングを始め、押立氏の指導を受ける。1970年西日本学生選手権グレコローマン57kg級優勝。西日本選抜チームとしてソ連遠征し、強豪のアリ・アリエフに惜敗したこともある。62歳。

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