【特集】新潟で錦を飾った平尾清晴(新潟県協会) 国体優勝をステップに次なる目標は「世界一」【2009年10月7日】

(文・撮影=増渕由気子)



 第64回国民体育大会「トキめき新潟国体」が9月27〜30日に新潟市の白根カルチャーセンターで行われた。閉会式で登壇した日本協会の下田正二郎副会長は「茨城県の総合優勝おめでとう」と話し始めたが、「新潟県の活躍を忘れてはならない。過去に10度の総合優勝は、今後破られない記録でしょう」と、開催県である新潟県の功績をたたえた。

 レスリングの国体黎明期は、新潟から始まったといっても過言ではない。第11回から5連覇を達成し、数多くの名選手が生まれた。だが、41年も総合優勝から遠ざかっており、新潟は苦しい戦いが続いていた。2度目の地元開催で、”強い新潟復活”を心待ちに、ひな壇には池田進・新潟県協会会長や、かつて新潟の黄金期を支えた和田喜久夫・県協会理事長(1972年ミュンヘン五輪銀メダリスト)など重鎮らがずらりとならんだ(右写真=新潟県チーム、右から3番目が平尾

 成年チームのエース、2007年フリースタイル74kg級世界選手権代表の萱森浩輝(新潟県央工高教)は惜しくも準優勝。優勝の期待は、グレコローマン55kg級の平尾清晴(新潟・新潟県協会)に注がれた。

■新潟県の原喜彦監督が平尾の潜在能力を見つける

 平尾は日体大を卒業後、新潟県協会所属としてやってきた。国体強化選手になったのは、原喜彦・新潟県監督が2007年の全日本大学グレコローマン選手権の決勝戦を見てスカウトしてくれたのがきっかけだ。

 「高校、大学とタイトルがなかったのに、原監督が池田会長に『トップと差がほとんどない。2年間かければ優勝できるようなる』と推薦してくれたんです」。強化選手にならなければ、レスリングを続ける環境はなかったそうで、新潟県に感謝の気持ちを持ち続けながら、まい進してきた。

 その努力が実って今年6月の全日本選抜選手権では、大学時代から1度も勝てなかった強敵、峯村亮(神奈川大職)を撃破して2位。国体優勝も射程距離にとらえることができた。

 しかし、国体直前の状態は「基礎的な動きもできないほどだった」と調子は最悪だった。原因は「追い込みすぎ」。日体大の草津合宿の直後に全日本合宿を連続でこなした平尾は、ピークを国体に持ってくることができなかった。

 付け加えて減量苦も伴い、当日の朝で500グラム・オーバー。「棄権しなければならないかも」という不安に襲われながら、なんとか計量をパスした。「マットに立てるというだけでホッとして、優勝なんて考えてなかったです」。だが、この開き直りが平尾を優勝への道に導くことになる(左写真=優勝を決めガッツポーズの平尾)

■無冠で終わった学生時代から、2年間で国体優勝

 「もともと、余計なことを考え込んでしまうタイプなんですが、今回は何も考えませんでした」。無心で1戦1戦を勝ち抜き、苦手のオフェンスも頭脳戦ではなく、気持ちで攻撃した。ガッツレンチを1度決めれば、得意のディフェンスできっちりポイントを稼ぐ。このスタイルで、後輩で大学二冠王者の尾形翼(山形・日体大)のほか、強敵・峯村も2−1で撃破した。

 決勝戦はストレートで快勝。地元の応援も手伝って、大会で一番大きな拍手が平尾に贈られた。セコンドの原監督に連れられて、ひな壇の重鎮の方々にあいさつにいくと、全員が笑顔で平尾を迎えた。「池田新潟県会長からは、『ありがとう』と感謝の言葉をかけられました。感謝するのは僕の方なのに。優勝は新潟県のメンバーのおかげ。原先生をはじめ、全力でサポートをしてくれた」と、改めて新潟県への感謝を口にした(右写真=和田理事長から祝福される平尾)

 2年前の原監督の“選球眼”は間違っていなかった。無冠の学生時代からわずか2年で国体チャンピオンへとなった平尾。次の目標は「世界一を目指したい」。平尾が完全燃焼するのはまだまだ先だ。


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