【特集】世界選手権へかける(10)…男子フリースタイル96kg級・磯川孝生(徳山大職)【2009年9月4日】

(文=樋口郁夫)



 長らく小平清貴(現全日本コーチ)が独占してきた男子フリースタイル96kg級。小平の引退により、今年の世界選手権は磯川孝生(徳山大職)が日本代表として出場する。

 2004年に84kg級の全日本チャンピオンに輝き、翌05年にはアジア選手権で2位。世界を股にかけて闘う選手に成長するかと思われたが、その後、ブレーキ。多くのつまずきを乗り越え、最初に全日本王者になってから4年半の年月を経て世界選手権に初出場する。

■2005年夏、順調な成長がストップ、苦しい日々をおくる

 「初めての世界選手権なので、気負うことなく闘いたい」。今年4月に、山口県のいわゆる“国体要員”から徳山大に職員として就職。練習に専念できる環境から、職員として、また大学レスリング部のコーチとして、やることは多くなった。その分、生活にめりはりがつき、集中して練習ができた様子。「ベストを尽くして、やってきました」と言う。

 何よりも、職場や教えている選手たちのために頑張らねばならないという気持ちが出てきた。「(全日本合宿のため)職場とチームの練習を離れてしまうことに、申し訳なさでいっぱいです。それを埋めわせるのは、いい成績を取ることだと思います」。背負うものができると人間は強くなる。これまでとは違った磯川が見られるか。

 磯川は大分・日本文理大付高時代の2002年に高校三冠王に輝くとともに、JOC杯ジュニアオリンピックではフリースタイルでただ1人、大学生に混じって優勝。拓大へ進んだ2003年に史上11人目の1年生で全日本学生王者に輝く快挙を達成。同年の全日本選手権で2位に食い込むなど、ずば抜けた成績を残していった。

 2005年にその勢いが止まってしまった一因に、高校時代に1階級下で史上初の8冠王者(全国高校選抜大会2回、インターハイ3回、国体3回)に輝く偉業を達成した松本真也(網野高〜日大)が階級を上げてきたことがある。大学進学後の対戦では磯川が最初に2連勝したが、1年半、2年と経って松本がパワーアップすると形勢は逆転。

 2006年の世界選手権代表は松本に奪われた。階級を上げて思う存分パワーをつけた松本に対し、自らは減量苦との闘いがあった。何試合か続くと体力が極端に落ちていくのがわかった(右写真:2005年全日本選手権で松本と闘う磯川=赤。パワーアップした松本に分が悪かった)。学生時代に世界選手権の出場を果たすことはできず、松本が世界選手権とアジア大会(カタール)で闘うのを日本で見守ることになった。

 「苦しい時期でしたね。でも、今となってはいい試練だったと思います。松本がいたから、今の自分があるのだと思います」。

 卒業を機に96kg級へ。北京五輪への道につながる2007年12月の全日本選手権では、4連覇中の小平をあと一歩のところまで攻めながら黒星。1ポイントをめぐる攻防が続き、第3ピリオドのラスト10秒くらいまで勝敗が決まらないという内容で、まさに「惜敗」という試合だった。

 松本がそうだったように、階級をアップして通用するためには、普通は「2年かかる」と言われる。結果論になるが、もう1年早く階級を上げていれば、小平との差を乗り越えられたかもしれない。今年は階級アップして3年目。「あの時(最後の小平戦)より成長しているという自信はあります」ときっぱり。

■松本慎吾戦の黒星も試練! 「出てきてくれたことに感謝しています」

 だが神様は磯川に、その後、もう一度試練を与えた。昨年12月の全日本選手権に、グレコローマン・チームのエースだった松本慎吾(元全日本コーチ)がスタイルを変えてこの階級に参戦。初戦(2回戦)で対戦した磯川は、第1ピリオドの優位を生かせず、逆転負けしてしまった。「自分の弱さを知りました。すべてが劣っていました」。特に強さを痛感したのが、松本の勝利にかける集中力だという。

 第3ピリオドは磯川が完全にばてていた。「スタミナの差もあったのでは?」と聞くと、「松本先輩が、相手のスタミナを消耗させるレスリングをやってきたからです」と答えた。これも松本から感じた強さのひとつで、「世界で闘う時の参考になります」と言う。

 学生時代にフリースタイルで学生二冠王に輝いたこともある松本とはいえ、グレコローマンの選手に負けたことはかなりのショックだったに違いない。松本真也に負けた時とは別の厳しい試練だったが、磯川はきっぱりと言う。「松本先輩が出てきたことに感謝しています。あの負けがあったから、今、自分が代表になっているのだと思います」−。

 つまずきを向上のエネルギーと前向きに考える磯川。同年代のライバル松本真也から、今はよきコーチだがかつては壁だった小平コーチから、そして松本コーチから、それぞれ与えてもらったエネルギーを今回存分に発揮せねばならない。(左写真=小平コーチの見守る中で練習する磯川)

■“ゴールデン・エイジ”と言われたエリート集団の1人。だれよりも“雑草の強さ”を見せろ!

 磯川の世代は、大学の1、2年生の時から上級生をしのいで好成績を残した選手が多い。北京五輪フリースタイル60kg級で銅メダルを獲った湯元健一もそうだし、今回のチームにも、磯川、松本のほか、長谷川恒平(グレコローマン55kg級)、鶴巻宰(同74kg級)、湯元進一(フリースタイル55kg級)と顔をそろえている。

 いずれも、すんなりといったわけではなく、いくつものつまずきを味わった上での日本代表チーム入りだ。「ゴールデン・エイジ」と呼ばれたエリート集団といえども、簡単には勝ち続けられない。世界選手権のマットに立つのは、本当に大変なことだと感じさせられる。いくつもの試練をくぐり抜けてきた磯川だけに、「ゴールデン・エイジ」の中で、だれよりも“雑草の強さ”を見せてほしい。

磯川孝生(いそかわ・たかお)=徳山大職

 1984年6月10日、熊本県生まれ、25歳。大分・日本文理大付高〜拓大卒。少年時代から全国に名をとどろかせていたが、中学では全国3位が最高。高校へ進んで再び頭角を表し、2001年には2年生でインターハイ王者へ。2002年には4冠を制覇。アジア・ジュニア選手権4位、全日本3位と力をつけた。

 拓大へ進み、2003年の全日本学生選手権で史上11人目の1年生王者へ。2004年の全日本選手権84kg級で初優勝。2005年はアジア選手権2位など実力を伸ばした。

 2006年は学生二冠を制したが、全日本選手権は2位。2007年から96kg級へ上げ、全日本選手権2位。2008年は北京五輪出場権をかけてアジア選手権に出場したが7位で、北京五輪は逃す。同年の全日本選抜選手権優勝。2009年の同大会にも勝って世界選手権出場を決めた。176cm。

 ◎磯川孝生の最近の国際大会成績

 《2007年》

 【デーブ・シュルツ国際大会(84kg級)】=28選手出場
1回戦  ○[2−0(3-0,6-0)]Sonu Patel(インド)
2回戦  ●[0−2(0-1,0-6)]Travis Cross(カナダ)
敗復戦 ●[1−2(5-2,2-3,1-3)]Bj Padden(米国)

 《2008年》

 【アジア選手権】7位(10選手出場)
1回戦  ○[2−1(4-1,1-5,@-1)]Burenbaatar Narantsetseg(モンゴル)
2回戦  ●[0−2(0-3、TF0-7=1:12)]Kurbanov Kurban(ウズベキスタン)
敗復戦 ●[0−2(TF0-6=1:03,TF0-7=0:47)]Shabanbay Daulet(カザフスタン)


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