【特集】無名の存在から打倒・長谷川恒平の一番手に成長…男子グレコローマン55kg級・平尾清晴(新潟県協会)【2009年7月13日】

(文・撮影=樋口郁夫)



 どの選手も「こんなハードな練習はやったことがない」と口をそろえる長野・菅平での全日本合宿。期待度ナンバーワンのグレコローマン55kg級・長谷川恒平(福一漁業)は、ゴールデンGP決勝大会(7月17〜19日、アゼルバイジャン)に出場するため不参加だった。そのため、整列時の同級の最前列には全日本2位の平尾清晴(新潟県協会=右写真)が並んだ。

 愛知・名古屋工〜日体大時代の7年間に全国大会無冠。社会人になった昨年6月の全日本社会人選手権で初めて「優勝」を経験。今年6月の明治乳業杯全日本選抜選手権では、これまで一度も勝ったことのない同期の峯村亮(神奈川大職)の壁を破り、初めて全日本レベルの大会の決勝の舞台に上がったという成長株だ。

 レスリングを続けたい一心で、大学卒業後、地元から離れた新潟県にお世話になり、同県の地元国体(9月27〜30日、新潟市白根カルチャーセンター)優勝に力を尽くすことになった。社会人チャンピンになり、昨秋は国際大会(NYACオープン国際大会=米国)で銀メダルを獲得して、先が見えてきた。国体をもって選手活動を辞めるつもりはない。「世界チャンピオンを目指したい。今は差があるけど、長谷川先輩を破りたい」と目標を定めている。

■けがのため、大学1年生時は炊事当番が主な役目

 「いつも自滅して負けていました。今回はバランスを崩さないことを考え、自分のレスリングをやることができました」。全日本選抜選手権をそう振り返る平尾は、当面の目標だった峯村との一戦を、「今年から全日本合宿に呼ばれ、(峯村と)練習する機会が増えて、試合の時のイメージができていました」と振り返る。

 過去一度も勝ったことのない相手に白星を挙げられたのは、大きな自信になった。決勝に臨むにあたって、壁を越えたという安堵感で気がゆるむことはなかったし、相手が現在日本で一番勢い持っている長谷川だということでひるむこともなかった。「最高の舞台で、正々堂々と自分持てるものをすべて出そうと思った」そうで、0−2(0-2,0-1)の敗戦は、その結果なので「実力不足です」ときっぱり。「グラウンドで確実に返す技がないとダメですね」と言う(左写真=長谷川との決勝戦の第2P、グラウンドの攻撃権を得たが不発)

 高校時代に国体3位が最高で、大学1年生の時は負傷のためほとんどを炊事当番ですごした境遇から、ここまではい上がってきた。そのガッツをもってすれば、このあとの3年間で長谷川を脅かす存在になる可能性は十分。世界に目が向いている長谷川だが、国内にも目を向けなければならない状況を迎えるかもしれない。

■高校時代は往復4時間の通学に耐えながら国体3位へ

 レスリングを始めたのは高校に進んでから。総合格闘技が好きで、総合格闘技の強い選手にレスリング出身選手が多いので、「やってみよう」と思ったのがきっかけだった。しかし愛知県でレスリング部のあるところは少なく、選んだのが自宅のある豊橋から片道2時間かかる名古屋工高。自宅から自転車で通える高校も合格したが、「自分のやりたいことをやりたい」として、往復4時間の高校を選んだ。

 朝練習の7時半に間に合わせるため、家を出るのは5時半。「母は4時半に起きて弁当をつくってくれました。苦労をかけましたね」と振り返る。そんなハンディを乗り越えて最後の国体で3位へ。「家の経済状況も厳しかったし、就職するつもりでしたが、全国一になれなかったのは悔いが残りました」。恩師(下里勝監督)の勧めもあり、日体大の推薦入学を受けて合格。全国一を目指すことになった(右写真:菅平合宿の朝練習で先頭を切って走る平尾=左から2番目)

 ところが、新入部員の集合初日の練習で、OBとスパーリングをしてがぶり返しを受けた際、右肩を脱きゅう。「合宿所へ行くより先に病院に行きました」という学生生活のスタートとなった。これはすぐに復帰できたが、2週間後にまた脱きゅう。思い切って手術し、その年は負傷の回復を目指した闘いに終始する不遇を味わった。

 それでも全国一を目指す気持ちが萎えることなかった。肩に負担のかからないグレコローマンに照準を絞り、2年生の春の新人戦で3位へ。笹本睦、松本慎吾といったオリンピアンが間近にいることは最高の刺激材料だった。3年生の全日本大学グレコローマン選手権では、フリースタイルの選手である湯元進一(拓大=現自衛隊)に敗れる屈辱を味わいながらも、学生のトップレベルにまで力を伸ばすことができた。

■苦しい練習に耐えられるのは、同志の存在と打倒・長谷川の思い

 ここで壁だったのが峯村(前述)。2007年は全日本選抜選手権、全日本学生選手権、国体、全日本大学グレコローマン選手権と4連敗。ラストポイントの差で負けたような惜敗もあり、このままでは終われないという気持ちが、卒業後もレスリングを続けることにつながった。「レスリングが好きだってこともあるんですけどね。ちょうど新潟県から声をかけられ、期待にこたえたいという気持ちもありました」と言う。

 今年から全日本チームの合宿に参加することになった。「話には聞いていましたが、辛いですね」という一方、「みんな同じ気持ちを持って参加している同志です。周りが必死にやっているのを見ると、自分も頑張らねば、という気持ちになります」とも言う。

 苦しい時には「長谷川先輩の顔が目の前に浮かびます」と、はっきりした目標もあるから耐えられるのかもしれない。全日本(選抜)の2位になった以上、「長谷川先輩を超えなければ、その上の大会に出場できませんから」とも話し、世界を目指して闘いを続ける予定だ(左写真:嘉戸洋コーチの指導に耳を傾ける平尾=左から2番目)

 長谷川に勝つために必要と思うことを聞くと、「競技だけではなく、私生活からどんなことにも妥協せずに取り組み、周囲に元気を与えられ、影響力を持つ人間になることだと思います」と、人間としての成長を挙げた。「その前に、(国体のあとの)就職を決めないとなりません」とも。マット以外の闘いにも全力投球−。 “たたき上げ”選手の意地が3年後までに開花するか。


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