【全日本選抜選手権優勝選手】グレコローマン84kg級・斎川哲克(両毛ヤクルト販売)【2009年6月21日】

(文=増渕由気子、撮影=矢吹建夫)


 2004年アテネ・2008年北京五輪代表の松本慎吾(現日体大教)が引退したグレコローマン84kg級。松本の後継者となり、デンマーク世界選手権(9月21〜27日)代表を射止めたのは、全日本チャンピオンであり今年のアジア選手権代表の斎川哲克(両毛ヤクルト販売)だった。

 松本が引退した後は敵なしの強さで世界で活躍するはずだった。しかし初戦からまさかのづまづき。学生二冠王者の尾曲伸乃祐(青山学院大)に第1ピリオドを奪われると、第2ピリオドも胴タックルからテークダウンを奪われ、その後チャレンジの失敗もあり0−2で後半戦へ。後がなくなった斎川は、ラスト10秒を切ったところで起死回生のそり投げで3−2と逆転。第3ピリオドは圧勝するが、2回戦でもエンジンはかからなかった。

 学生の岡太一(拓大)に失点を許すスタート。すぐに盛り返して2−0のストレートで勝利するものの、いつもどおりの試合はできなかった。「意地になって失敗してしまった」と反省の言葉を口にしたが、その斎川を立て直したのは、一番尊敬する先輩の松本コーチだった。「(1、2回戦を踏まえて)考え直せ」。その一言で決勝戦は吹っ切れ大技を連発。最後は、松本コーチ直伝の俵返しで締めてみせた。

 斎川は2012年ロンドン五輪に向けて重量級のエースとして活躍が期待されるが、アジア選手権で初戦敗退に終わったように、世界は甘くない。「(グレコローマン96s級の)北村(克哉)らとともに、重量級も盛り上げていきたい」と抱負を話し、厳しいと分かりながらも世界に真っ向勝負を挑むことを宣言した。

 栃木県出身としては久々の世界選手権代表となった。同県出身で全日本選抜王者になり世界選手権代表になったのは、1999年グレコローマン97s級の山口孝二(自衛隊)以来10年ぶりのこと。

 昨年の国体では栃木県のジャージを誇りに3連覇を飾り、郷土愛を強く持つ斎川だが、1週間前にプロレスリング・ノアの三沢光晴さん(栃木・足利工大付高OB)が試合中の事故で亡くなり、心を痛めていた。斎川は足利工高出身で、三沢さんや川田利明選手ら有名プロレスラーを多く輩出している足利工大付高とは異なるが、「自転車で15分と近い場所にある」という。「三沢選手は昔から有名で大好きだったのでショックでした」と話し、「あこがれだったので…」と時折声を詰まらせながら話した。

 「三沢さんの逃げないところが好きだった」という斎川。プロとアマとの違いはあるが、三沢さんのように栃木県を代表するレスラーとして世界で活躍することを約束した。


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