【特集】拓大優勝の原動力! 須藤元気監督を抜てきした宮澤正幸・拓大OB会“最高顧問”【2009年6月12日】



 先月の東日本学生リーグ戦で4年ぶり3度目の優勝を遂げた拓大。すべての物ごとをプラスに考える元プロ格闘家の須藤元気氏を監督に迎えた布陣が見事に当たった。昨年11月、須藤監督を監督に推薦した人が、拓大レスリング部OB会“最高顧問”の宮澤正幸氏(79歳、右写真)だ。

 かつて日刊スポーツの格闘技(大相撲・柔道・レスリング)記者としてスクープや辛口記事を連発。横綱朝汐(初代)ら記者に口を聞いてくれないことで有名な関取にも執念深く食いつき、いずれも心を開かせたことは有名。1967〜74年には拓大の監督としてさい配をふるうとともに(その時のコーチが、現在の日本協会・福田富昭会長)、1966〜89年の23年間にわたり日本協会が発行していた機関誌をボランティアで編集していた。日本協会にとっては欠かすことのできない重鎮でもある。

■NHK教育テレビで須藤元気氏を見て「ただ者ではない」と確信
 
 本人は「OB会から話はあったけど、最高顧問という役職を受けてはいません。そんな肩書きは、私には必要ありません」と、この肩書きをつけられることにいい顔をしない。「リーグ戦でも新人戦でも、きちんと応援に行きます。肩書きは私には必要ないのです」。

 日刊スポーツ時代は「平社員のままでいいから現場に行かせてくれ」と懇願し、出世や肩書きには固執しなかった。日本協会では現在「顧問」の中にその名があり、天皇杯全日本選手権などの大会では、ひな壇の大会本部席に座って試合を見ても、だれからも文句は言われない。しかし足を運ぶのはいつも記者席だ。「私は生涯一記者です」。レスリング・ラブを貫き通しているからこそ、肩書きはというのは邪魔でしかないのだろう。

 現在は拓大の100年史編纂を請け負う嘱託職員として大学に出入りするかたわら、講師として授業も受け持っている。チームにコンスタントに接しているOBの中では最年長。昨年8月、秋本公太郎監督が59歳で急逝され、後任選びで西口茂樹部長やOB会から相談されるというのだから、本人の意思にかかわらず最高顧問的な立場にあることは間違いない。

 その時、宮澤氏の脳裏に浮かんだのがOBの須藤氏だった。プロ格闘家時代の須藤氏には、さほど関心がなかったという。引退したあと、須藤氏がNHK教育テレビに2回連続で出演したのを見て、「この人間はちょっと違うぞ」と思い始めたという。

 その後も注意深く見てみると、NHK総合にも何度か出演していた。「天下のNHKが、単なる格闘家やタレントを何度も登用するはずがない。この男なら、どこででも重用される人間だろう」と、その能力を確信したという

■OB会で須藤監督就任に反対があったとしても、「説得したでしょう」

 西口部長の教え子だから、本人の了承をとりつけるのに時間はかからなかった。拓大は1939(昭和14)年に日本で7番目の大学レスリング部としてスタートした伝統あるチーム。年配のOBが顔を利かせているイメージがある。30歳の若手で、しかも頻繁にテレビに出演する現タレントが伝統あるチームの監督につくことに反対はなかったのだろうか。

 宮澤氏は「1人、2人はいたかもしれないけど、私の耳には入っていない」と言う。仮にあったとしても、須藤氏を監督にすえることのメリットを説明し、「説得したでしょう」。NHKが重用する社会的信用をはじめ、「この男ならやれるという確信がありました」と語気を強める(左写真=リーグ戦優勝の拓大。左端の赤帽子が宮澤氏)

 監督に就任したあとは、「仕事もあるだろうに、こちらが想像していた以上に頻繁に練習に顔を出してくれ、合宿にも参加してくれた」という。マスコミからの注目は須藤監督のみならず選手にも向き、これが選手を奮い立たせたとも分析する。「(選手は)チラリとであってもテレビに映ると、いろんな人から連絡があり、気持ちがいいものです。須藤監督が就任してから、選手の気持ちが違っています」と言う。

 拓大のリーグ戦優勝の原動力は「やはり西口部長でしょう」。しかし、西口部長は選手と年が離れており、どうしても隔世の壁ができている。兄貴的な存在として須藤監督が間に入ってくれたことで、「リーグ戦ではすべてがうまくいきました。最高のコンビです」と言う。

■須藤元気監督は、レスリング界の宝!

 推薦しただけに、“不祥事”に対して厳しい姿勢をとることも忘れない。昨年末の全日本選手権前のこと。須藤監督が某スポーツ紙の取材に対し、「学生は女性に見られた方がやる気も出るし、集中もする」として、女子マネジャーを導入する案を口にした。この記事に「性欲をパワーに」という見出しがつけられた。

 宮澤氏は全日本選手権の時に須藤監督をつかまえ、カミナリを落とした。「面白おかしく書く方にも問題がある。しかし、そんな見出しをつけられるようなことを口にすること自体が問題。教育の場にいる人間として許されない」。その場では厳重注意にとどまったが、「今度こんなことがあったら、即座に解任する」とまで伝え、二度と起こさないようにクギをさした

 「言わんとしている意味は分かる。しかし、ここは芸能界ではない。大学から、教職員から、学生から、信頼されるレスリング部でなければならない」。須藤監督は神妙にその言葉を聞き、「すみませんでした」と頭を下げたという。元人気格闘家、現在も知名度のあるタレント・作家にしてこの謙虚さ。宮澤氏が須藤監督を再評価したのは言うまでもない。

 リーグ戦前には、須藤監督を扱ったテレビ番組で「名門・拓大」と書かれ、「ついに名門になったか」と苦笑してしまったという。拓大は戦前からのチームだが、東日本学生リーグ戦では2002年が、全日本学生王座決定戦は2006年が初優勝。宮澤氏の考える「名門」とは、歴史があり、かつ成績を残していること。その解釈からすれば、拓大が「名門」と書かれることはおかしい。「本当の名門にならなければ」と気を引き締めたそうだ(右写真=リーグ戦で優勝したあと、校歌を指示する宮澤氏)

 「須藤監督は、拓大だけにとどまらず、学生レスリング界、日本レスリング界にとって大きな存在です。ものすごい影響力のある人物なんです」とも言う。世間の注目をレスリングに向けさせるためにも、今月20・21日に行われる明治乳業杯全日本選抜選手権(東京・代々木競技場第二体育館)でも頑張らせ、「世界選手権の舞台に拓大から選手を送りたい」とエールを送る。

 生涯一記者であり、生涯一OBの宮澤氏のレスリングにかける情熱が、今後の拓大レスリング部に通じるか。

(文=樋口郁夫)


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