【追悼】新宮高・大代祥夫元監督を悼む【2009年6月8日】



 6月3日に亡くなった元和歌山・新宮高監督の大代祥夫氏は、1996年アトランタ五輪フリースタイル74s級の太田拓弥氏(現早大コーチ)をレスリングに出合わせてくれた最初の恩師。太田氏から追悼文を寄稿していただきました。


 中学に入学した私は、小学校4年生から始めた柔道部に入部しました。理由は、プロレスや格闘技が大好きだったからです。ただ、在籍していた和歌山県新宮市立城南中学校の柔道部は、練習は週3回、夏休みに入ると1週間くらしか活動がなく、練習量に物足りなさを感じていました。

 中学校1年の秋に、新宮高校でちびっ子レスリング教室が開講されることが、学校の掲示板に貼ってありました。「とりあえず格闘技がもっとできる」と期待して、2つ上の兄貴と友達で参加したのがきっかけです。

■先生・先輩に恵まれたちびっ子レスリング教室

 レスリングに関してはまったく知識がありませんでしたので、ちびっ子レスリング教室で習ったことは本当に構えなどの基礎の基礎です。生徒が多く、大代先生にマンツーマンでの指導というわけにはいかず、練習はいくつかのグループに分かれて、そのグループに高校生のサブ指導者が付くという形で行われていました(右写真:太田コーチ=前列左端=と大代氏=後列左から2番目=2007年新宮大会)

 たまたまですが、私たちのグループを担当してくれたのが、5つ上で現在、全日本男子チームのテクニカルディレクターを務める久木留毅先輩でした。

 中学校でレスリングに出会えて、しかも面倒見のいい先輩にも恵まれ、中学校は柔道とレスリングを楽しくできました。それで、高校から本格的にレスリングをやろうと決めたことで、出てくる悩みが進学する高校です。

 実は、現在の日本協会の高田裕司専務理事の奥様である葉子さんは、大代先生の教え子です。当時、群馬県で教員をしていた高田先生と霞ヶ浦高の大沢友博監督は日体大の先輩後輩で、関東ブロックの監督同士という仲。そんな縁があって、全国中学校選手権も出場していない私が、推薦で霞ヶ浦高校に進学することができました。

■直接言うことができなかった言葉「本当にありがとうございました」

 レスリングエリートの道を大代先生が作ってくれたといっても過言ではありません。その恩を忘れてはならないという気持ちがあったから、霞ヶ浦高や日体大のきつい練習を乗り越えることができ、最終的にはオリンピックで銅メダルを獲得することができました。

 現在、幸運にも早大でレスリング部のコーチ職につくことができ、ちびっ子レスリング教室やダウン症の障害者のクラブにも携わっております。やはり、自分がレスリングに出合えたのも、大代先生がちびっ子教室を作ってくれたからです。その影響もあって、私もちびっ子教室から生まれる“出合い”に貢献していきたいと思っております。

 大代先生は、他の方も同じ印象を受けると思いますが、本当に厳格で厳しい先生でした。今でも竹刀を片手に持ちながら練習に出ていた、そのいでたちを思い出します。そのため、私は先生に伝えたい一言を、面と向かって言えずにいました。それが「本当にありがとうございました」という言葉です。ついに直接伝えることができず悔いが残ります。お通夜のときに、奥様にそのことを伝えましたが、生きている間に先生に直接言いたかったです。

 大代先生は“オリンピック銅メダリスト”太田拓弥の生みの親です。そしてレスリングの基礎をしっかり教えてくれました。この気持ちは一生変わりません。先生、本当にありがとうございました。

(構成:増渕由気子)


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