【訃報】元日本協会理事長・猪狩則男氏【2009年5月20日】



 1969年4月から81年3月までの12年間、日本協会の理事長を務めた猪狩則男氏が今年1月3日、肺炎のため入院先の病院で死去されました。93歳。妻・智恵子さんによると、本人の「万一の場合は家族葬にし、公表しないように」という遺志により、長男・博史氏を喪主として家族だけで葬儀をしたという。自宅は非公表。

 猪狩氏は柔道の選手として早大に入学したものの、体が小さいこともあり、日本レスリング生みの親の八田一朗氏(故人)に誘われてレスリングへ。同期には全日本10度優勝の風間栄一氏(故人)がおり、厳しい練習の中から実力をつけて、1937(昭和12)年の全日本ジュニア選手権ライト級で優勝。同年の全日本選手権同級では3位に入った。太平洋戦争によって選手生活を断たれ、終戦後は国際審判の道へ。1956年メルボルン五輪、1960年ローマ五輪に参加したあと、1964年東京五輪ではグランド・ジュリー(審判長)を務めた。

 1972年ミュンヘン五輪にも総監督として参加。理事長在任中の1980年に起こったモスクワ五輪のボイコット騒動の時は最後まで「参加」を主張した。理事長を退任されたあとは、日本協会の名誉副会長などを経て最高顧問へ。ほかに科学技術学園高校や国士舘大の理事などを務めた。


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