【特集】レスリング・ルールを日本語に訳す“歩くルールブック”…福田耕治・国際審判員(大阪・同志社香里高教)【2009年5月14日】



 日本のゴールデンウィーク期間中にタイ・パタヤで行われたアジア選手権。日本勢は4スタイル(男子グレコローマン、男子フリースタイル、女子、ビーチ)合わせて金メダル5個、銀メダル5個、銅メダル5個を獲得。新生ジャパンは2012年ロンドン五輪に向けて幸先のいいスタートを切った。

 アジア選手権で活躍したのは選手だけではない。選手以外にも監督・コーチ、トレーナーなど計20名の関係者が日本代表選手団としてタイへ渡航。審判員として参加した福田耕治審判員(大阪・同志社香里高教)も、大会初日の男子グレコローマンを皮切りに、7日のビーチレスリングまで職務をまっとうした(右写真=左端が福田氏)

■国際審判員らしく英語はペラペラ。ルールブックの翻訳は福田氏の“仕事”

 福田氏が国際審判員になったきっかけは、約30年前に当時国際レスリング連盟審判委員会の重鎮でありアジア・レスリング連盟の会長でもあった東俊光氏(故人)が「国際審判員に若手を入れなければ」との方針を唱え、白刃の矢を立てられたのがきっかけ。高校の部活動でレスリングを教えていた福田氏は「世界トップのあらゆる技術をじかに見ることができるし、それを生徒に還元できる」と審判の道を歩き出し、1982年のワールド・カデット・フェステバル(米国)で国際デビューを飾った。

 以後、数多くの世界選手権や大陸選手権のほか、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪のマットでも試合をさばいた。国際審判員として活躍するかたわら、もう一つ、重要な職務に就いている。それが、FILAから通達されるルールを日本語に翻訳することだ。最終的なルールは審判委員会で決めるが、その委員会の会議で使う“たたき台”の日本語ルールを毎回作るのが、英語教諭でもある福田氏の役割だ。

 すなわち、本職の高校教員、国際審判員、空いた時間にFILAからのルール改正の通達を翻訳と、3つの“仕事”をこなしている。五輪直後はルールが根本的に変わる節目でもあるから、今シーズンの福田氏はいつもより多忙だ。(左写真=2004年アテネ五輪で試合をさばく福田氏)

 FILAが発したルールを正確に読み取るには労力がいる。「フランス語を一度、英語に直したものですから、その時点で少し意味が変わっている場合があります。その英語は受身を多用しており、自然な日本語に直すには気を使います」。

 さらに、翻訳作業の難点がある。「通常ルール改正は、第何条の何項を改正しますと通達するのが普通ですが、FILAの場合は、変更点の文章だけが送られてくるのみ。どこの項目に該当することなのか、そこから調べなければならないのが大変なところです」。毎年のようにルール変更があるレスリングだからこそ経験を積むことができ、今ではそんな苦労も笑い飛ばせるほど余裕が出てきた。

■「チャレンジ」の導入で審判の技量が高まる…福田氏の主張

  今回のアジア選手権で焦点となった新ルールは、「チャレンジ」(セコンドのビデオチェック要求)の行使だ。福田氏は「選手の権利としては、いいことだと思う」と話したが、いざ大会が開幕すると、セコンドがチャレンジ権を行使しても認められず、ビデオチェックが行われずに試合が進んだり、試合が終了したりする事態が多発。日本も含めて不満顔で引き上げるチームがあった。それについて福田氏は「チャレンジ権は、瞬時にマットチェアマンに申請しなければいけません。選手の動きが次のシチュエーションに入ったら受け付けられないのです。今回は初めての経験でちゅうちょしたセコンドが多かったのではないでしょうか。出すタイミングをもっと勉強してほしいですね」とキッパリ。次大会からの改善をうながした。

 ただ、今回の「チャレンジ」導入で、審判内で頻繁に行われていたビデオチェックがなくなった。チャレンジも1試合に1回しか行使できないため、審判の都合による試合中断が、以前に比べてたいぶ減ったのは明らか。「各審判が主観を磨き、判定(ポイント)の原理である3分の2を高めることができると思う。チャレンジ導入で試合進行も少し早くなったと思う」とルール改正が大会運営にプラスになったと感じたようだ

 五輪競技に残るために、今後も3スタイルの区別化をはかるFILAがルール改正を発することは多々あるだろう。その度に、福田氏をはじめとした審判委員会の人たちの尽力を忘れてはならない。

(文・撮影=増渕由気子)


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