【特集】兄に続いて学生二冠王者に輝いた男子フリースタイル84kg級・松本篤史(日体大)がアジアに挑戦【2009年4月23日】



 ゴールデンウィーク真っ最中に行われるアジア選手権大会(5月2日〜7日、タイ・パタヤ)まであとわずかとなり、4月21日に、ビーチを含めて4スタイルのべ25選手の日本代表が正式に出そろった。昨年12月の天皇杯全日本選手権の優勝者が基本的に代表入りしているが、男子フリースタイル84kg級は天皇杯で優勝した小幡邦彦(山梨学院大職)が引退したため、準優勝の松本篤史(日体大=左写真)が代表入りとなった。

 松本は階級を上げた大学2年生の時(2007年)に一気にブレーク。同年の世界ジュニア選手権で5位となり、昨年は全日本学生選手権と大学選手権で優勝し学生二冠王。学生界でナンバーワンの地位を築いた。

■「いい試合で満足」から「勝たなければ不満」へ

 学生タイトルを総なめにした松本だったが、2008年はシニアの壁にぶつかって試行錯誤したシーズンでもあった。同階級には、小幡以外にも北京五輪予選代表の鈴木豊(自衛隊)や、2006年世界選手権代表の松本真也(警視庁)など力のある選手が多い。全日本レベルの舞台でいつもベスト8どまりだった松本にとって、社会人選手の存在は大きなハードル。その選手に、もし1点でも取ればそれで成長を感じた時もあった。

 だが、学生で無敵のなった昨年は、そのうれしさが消えていた。「当初、小幡さんなどといい試合をしただけで満足感がありました。そういうところで成長が止まっている気がしました」。社会人選手にも勝たなければならないと勝負に対してどん欲になり始めた。

 12月の全日本選手権大会の2回戦で松本は松本真也と激突。第1ピリオドを奪うが、第2ピリオドはタックル&アンクルホールドで失点。流れは松本真也に傾きかけた。だが、「いつもみたいに、そこで気持が折れなかったです」(松本)。強い気持ちを発揮して元世界選手権代表の松本真也から白星を挙げてベスト8の壁を打ち破り、一気に2位となった(右写真=昨年の全日本選手権決勝で小幡邦彦と闘う松本)

■「隆太郎の弟」ではなく「松本篤史です!」

 松本の得意なスタイルは、常に足を使って動き回ることだ。「このスタイルは日体大に入って藤本先生(英男=部長)に教わりました。不器用な自分に与えられた課題だったんです」。そのスタイルを貫いて3年生で学生王者にまで上り詰めた。だが、「研究されたり、(相手が)慣れてきています」と話し、学生界に敵なしの存在にもかかわらず、「(下の選手と)差は縮まっています」と、慢心どころか危機感を持っている。

 そのために、松本は新たな課題にチャレンジしている。「もうひとつ、コレというのを加えたい」と新技を獲得中だ。アジア選手権では、休まないレスリングに加えて、覚えたての技を多く使うことが目標だ。「メダルは取りたいけど、世界での戦いが本当に未知なので、今回は伸び伸びやっていきたい」。

 今年度は日体大の主将になった。部員80人をまとめる松本は、主将の激務と2番手ながら初出場のアジア選手権のプレッシャーからか、「体重は減り気味」と告白。だが、減量苦がないことから、試合ではいつもどおりの“休まないレスリング”が展開できそうだ(左写真:全日本合宿で練習する松本=右)

 以前、松本はグレコローマン60kg級で活躍する「松本隆太郎(日体大〜群馬ヤクルト)の弟」という印象が強かった。兄は2005年に2年生で学生二冠王になり、2007年アジア選手権5位、同年全日本2位の成績を残したエリートだったため、松本はいつも“隆太郎の弟”呼ばわりされてきた。そのことに触れると「悔しかった。年も2つしか違わないのに」とポツリ。

 その悔しさをバネに、自身も大学3年で学生界のエースに成長し、大学4年で日本代表のシングレットを手に入れた。「6月(全日本選抜選手権)は兄弟そろって優勝できれば」と話す松本が、アジア選手権で本格的なシニアの国際舞台デビューを果たす。

(文=増渕由気子)


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