【特集】大分国体の熱を生かして県全体の強化へ…大分・日本文理大付高・勝龍三郎監督【2009年4月3日】



 昨年9月に開催された大分チャレンジ国体から半年が経った。大分県でレスリングの総本山となっているのが、日本文理大と同大学の付属高校だ。同県は優勝が使命の地元開催国体で第33回(1978年)の長野大会以来、30年ぶりに地元Vを逃してしまったが(9位)、強豪選手を他県から招へいすることより、地元選手の育成に力を入れ、純粋に大分県の“レスリング偏差値”を上げようと努力してきた。

 「少年部門で一階級優勝でき、地元の反応は良かったです」と話すのは、日本文理大および付属高校の勝龍三郎監督(日体大卒=全日本選手権3度優勝、1994年アジア大会2位など、左写真)。少年グレコローマン74kg級で亀井竜昇の優勝の反響は大きく、国体後は佐伯市民に“日本文理はレスリングが強い”というイメージが定着したそうだ。

 今回の全国高校選抜大会の団体戦では1、2回戦を勝ち抜いてベスト16へ。個人戦でも66kg級と120kg級の2階級で3位入賞を果たした。全員が高校入学後にレスリングを始めた選手だそうで、キッズ・レスリング出身選手が主流となった現在のレスリング界では評価できる結果だろう。

■勝龍三郎監督の指導の根底は“セルゲイ・イズム”

 同高はフリースタイル96kg級全日本選抜王者の磯川孝生(山口県協会)や2007年大学王者の大月葵斐(当時早大)ら強豪選手を輩出しているが、一般的には初心者からのたたき上げチーム。初心者軍団を率いて高校選抜選手権でベスト16に進出するチームを作り上げてしまうのだから、“育てる力”は抜群だ。それは、自らが全日本チーム入りしていた時に日本協会がロシアから招へいしていたセルゲイ・ベログラゾフ・コーチ(五輪2度を含め世界V8)に指導を受け、根性論より合理的にレスリングを強化する術を会得していることが大きい。「今でも役に立っている」と話す(右写真=1995年世界選手権で闘う勝龍三郎監督)

 指導方針は“生徒主義”。部員に練習スタイルを強要しない。週1回でも毎日でも、各自が決めたサイクルでの練習を認めているため、部員も増え、全員が無理なく続けられる。そのため個性が強いが、そこを勝監督は団体戦の戦略にうまく使っているようだ。

 今後の課題は、国体で盛り上げた熱をどのように持続させるか。そこが勝監督の腕の見せ所となる。大分県でレスリング部がある高校は3つしかなく、普及にはまず底辺の拡大が急務だ。全国的に見て高校のレスリング部は商業高校や工業高校に多く、普通科に進学したい中学生が、やむなくレスリングをあきらめてしまう現状がある。全寮制など入部の敷居が高ところが多く、軽い気持ちで始められない一面も。もっと気軽にレスリングができる環境はないのか―。

■日本文理オープン化計画スタート

 その結果、勝監督は新しいプロジェクトを生み出した。日本文理大学オープン化計画だ。レスリングに興味がある人ならばキッズから社会人まで、学校のマットを解放する。「本格的に形にするのは来年からになりますが」と前置きしたが、さっそくこの4月から試験的にスタートさせるようだ。

 「大分県でレスリングをやりたい人はいるんですが、練習する場所がないんです。学校には、よく「レスリングをやりたい」と外部の方から問い合わせが数多くあります。キッズクラブからシニア教室のことまで多数です。なので、文理大学、付属高校以外の選手でも、うちで練習してもいいようにマットを開放します。柔道部や野球部の生徒の掛け持ちも、受け入れます」。勝監督は、日本文理だけではなく、大分県全体の強化、そして西日本、全国へとつながる強化を思い描いている(左写真:個人戦3位の66kg級・吉田幸司=左=120kg級の坂元将悟とともに)

 総合格闘技ブームなどでシニアからレスリングを始めたいという人も増えてきた。それに応えるため、「社会人チームを作って、毎年夏の全国社会人選手権の団体戦に出る」といったプランがすでに確立済み。「そのシニア選手の子供がちびっ子をやれば、親子教室もできる」と勝監督の構想は尽きない。

 プロ野球やJリーグでも、地域密着型のチームは地域活性化に役立っている。大分国体で佐伯市がレスリング競技に熱視線を送っている今だからこそ、日本文理大のオープン化計画が、県のレスリング強化のカギとなりそうだ。

(文・撮影=増渕由気子)


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