2009年世界選手権 担当記者の世界選手権


 2012年ロンドン五輪へ向けての最初の世界選手権。本ホームページでは、樋口郁夫、矢吹建夫、保高幸子の3人でカバーし、試合結果・内容、写真、選手の声などをいち早く報じます。担当記者が接した世界選手権を、裏からブログ風に報じます。興味のある方のみ、おつきあいください。(樋口)


9月18日(金) 9月19日(土) 9月20日(日) 9月21日(月) 9月22日(火) 9月23日(水)
9月24日(木) 9月25日(金) 9月26日(土) 9月27日(日) 9月28日(月) −−−



【9月18日(金)】

新型インフルエンザ対策のため全員がマスク着用で移動。
飛行機の最後部でウォーキングの甲斐選手。カメラを向けると緊張して右手と右脚が同時に出た。
最近ちょっとした人気者の栄監督。隣合った人から感激される。
 女子チームのフライトと同じオランダ航空でデンマークに向けて出発します。リムジンバスで集合時間の朝9時の20分くらい前に成田空港に到着。バスの窓から自衛隊の面々の姿を見かける。しかし、集合場所である北ウイングのCとDのカウンターにはなかなか現れず。まだ時間があるので、買い物でもしているのかな、と思っていたが、それでもなかなか現れない。

 不思議に思って藤川コーチに電話してみると、何と南ウイングのCとDの間で待っていました。自衛隊員でも、こんなミスをするものなんですね。有事の際に敵を待ち伏せする場所を間違ったら大ごとになるけど…。今はこんなことが笑い話になる平和の時代だからいいよね。筆者も人のこと言えないよ。先月、ポーランドに行った時は、第1ターミナルと第2ターミナルを間違ってしまい、急いで移動したんだ。

 今回は、成田空港から乗るのは東京近郊に住んでいる人だけ。愛知県に住んでる中京女大勢は中部国際空港から成田空港に来て、ゲートを出ることなくアムステルダム行きの搭乗口に向かいます。11日に公開練習の時に、きちんとリリースを配布したのに、それを忘れて成田空港に取材に来た記者が1名あり。

 そのことを伝えると、「あ、そうだった」と、やっと気がついた。記者って、こんな人間、珍しくないんですよ。金メダル候補の一人の坂本真喜子選手を取材できたことだし、だれも取材できないで帰ることになったら、デスクから大目玉だ。青色見出しの朝刊ポーツ紙の名誉のため、黙っていてあげよう。

 飛行機はアムステルダムまで11時間の飛行。長いように思えるけど、筆者からすれば、昼間、10時間以上も何もしない時間を持てるって、本当に幸せなことだと感じます。特に今回は前日までインカレがあり、3、4日は記事のアップや動画の編集で寝る時間も満足に取れない日を送って空港に向かったので、この11時間の休息が特にありがたい。もっと余裕を持った毎日を送りたいとは思っているけど、これが現実。記者というのは、9時から5時の勤務で、土・日曜日は休み、というものではないのです。

 アムステルダム空港で約4時間の待ち時間。とにかく広い空港。降りたゲートから次に乗るゲートまで、延々20分も歩く。途中、吉田沙保里選手を見つけて記念撮影を頼んでくる日本人あり。やっぱり人気者−。飛行機の中でも、隣に座った人が「あの人、吉田選手ですよね。意外に小さくてキュートなんですね」って言ってきたし、スチュワーデス(今はこういう言い方せず、キャビンアテンダントというのが普通らしい)も降り際に「吉田選手、かわいいですねー」って言ってきたよ。

 ゲートC15でひとまず解散。タバコを吸うコーチは、まず喫煙所を探す。しかし、なかなかない。スタッフに聞いて、10分以上も引き返したところに1ヶ所だけあるらしい。「じゃあ、行ってきます」だって。タバコを吸わない人からすれば、「そんな思いをしてまでも吸いたいの?」という感じ。禁煙は時代の流れ。そろそろ思い切った方がいいと思うのだが…。

 アムステルダム空港から約1時間、夜10時ころにビルン空港。東京スポーツの中村亜希子記者は前日にビルン入り。出発する前に「オレを置いて、ひとり旅立つのか」というメールを送ったら、「三つ指ついてお待ちしています」という返信。そのメールを信じ、期待してビルン空港のゲートを出る。そこには…。

 中村記者の姿はなかった^^; 傷心の思いでチームのバスへ。どこかの観光客一行が、何かの手違いでバスが来ていないので、乗せてくれと頼んでききたらしい。大型バスで席が空いていることもあり、運転手もそれを受け入れた。人がよすぎるように思えるが、田舎の空港で他に足がなさそう。時間も時間だし、それが人間味ってものかな。そのため、やや遠回りで時間をくってしまい、ホテル着が夜12時すぎ。

 みんな疲れた中で、部屋を割り振ってもらって午前1時近くに解散。日本時間は朝8時。筆者はネット環境の確認やら何やらで寝たのは3時。前日起きてから28時間ぶりの布団がありがたかった。あとで分かったことだが、中村記者は11時半までホテルで待っていたんだって。ありがとう!(チームを待っていたのだろうけど…)
24時間以上の長旅でぐったりの栄監督。向こうは吉田選手。 中村記者が待っていなかったビルン空港。夜は閑散としていた。 空港内に世界選手権のためのカウンターがあった。

【9月19日(土)】
 女子チームは朝8時半にフロントロビー集合なので、それに合わせて朝8時前に起床。8時20分にはフロントロビーへ。そこには誰もいない。早かったかな、と戻ると、コッテージ風の宿泊棟入口に木名瀬重夫コーチの姿が。「10分前集合をやったのに、誰もいなかった」と言ったら、「みんなギリギリに来ますよ」とか。

 そうか。こちらは貧乏性だから、何かにつけて早く行動しないと落ち着かない。ちょっと損な性格かもしれないが、人を待たせることに罪悪感を感じるというのは、いいこともある。このホームページも、筆者のような性格の人間がやっているから、いち早くアップしているのであって、のんびりした人間がやっていて、1週間後に結果が載るようなら、今の時代は相手にされないだろう(と自画グランドファーザー…。じゃなくて、自画じーさん…。じゃなくて自画自賛)。

 朝食の会場では、2日前に現地入りしていた男子フリースタイルチームと会う。初日に試合のある米満選手は、もうほほがこけていた。いよいよ減量も本番。元気もりもりは米満選手と宴会部長を争う松本真也選手。「やりますよー」とニコニコ顔。この選手にプレッシャーというのもな無縁のようだ。

IDカードの発行を待つ間に記念撮影に応じてくれた女子チーム。
ビル・メイ記者と中村亜希子記者(プライバシー保護のため画像処理しています)
男子の練習。中嶋ドクターは佐藤満強化委員長とガチンコ・スパーリング。
 朝食後はIDカードの作製で隣にある試合会場内へ。徒歩5分。今回の大会は宿舎から会場までの移動に神経を使う必要がなく、選手にとっては楽そう。IDカード発行には、出場する選手の場合、パスポートが必要であることが判明し、数選手が取りに戻る。その間を使い、国際レスリング連盟のデータベースを担当しているハルトマット・サンドナーさんが、7選手と1人1人面談してデータを確認。

 自衛隊の選手が、所属を聞かれ、「アーミー(陸軍)」と答えていたので、筆者が「ノー、ノー。日本にアーミーもミリタリー(軍隊)も存在しないよ」と口出し。アーミーがあったら、憲法第9条違反だ。自衛隊とは「Self Defense Forces」と言うのです。ビル・メイさんが毎月執筆してくれている英文ニュースのページには、各選手の所属も英語で書いてあるから(当然だけど)、見ておいてね。

 吉田沙保里選手が、自分のデータベースにある写真(左写真)は昔のものだから変えてくれ、とクレーム。サンドナーさんが「女性は若い時の写真の方がいいだろう」と諭したが、「若すぎます」と抗戦。最初に世界カデット選手権に出た時の写真かな? なら10年以上前の写真だ。変えてくれというのももっとも。サンドナーさん、「いまカメラを持っていないから、この大会中に撮影します」と言ってくれた。

 12時すぎにチェコから800km、車を飛ばしてきてくれたビル・メイさんと再会。途中のドイツの高速道路は整備されていて、時速120kmくらいで飛ばして来たそうだけど、その横を猛スピードで追い越していく車もあったとか。「160km以上は出ているだろう」とか。メイさんには、車でオーストリアやポーランド、ハンガリーの大会に行ってもらっているけど、くれぐれも交通事故には注意してください。

 メイさんとプレスルームを見学にいく。そこには、愛しの東京スポーツ・中村亜希子記者がただ一人、熱心にパソコンをたたいていた。「きのう、三つ指ついて迎えてくれなかったじゃないか」と言うと、「待ってたんですよ。11時半まで」だとか。「空港で迎えてくれるかと思った」と言うと、「タクシー代高いんです。片道2万円近くするんですよ。ごめんなさい」だって。

 どこの会社も経費節減が至上命令の時代。「ホテルで待っていてくれたのだから、ま、いいか」と納得(追跡取材によると=記者というのは裏をとる習性があるのです=、筆者を待っていたのではなく、フリースタイルのコーチと飲んでおしゃべりしていた、というのが真相らしい。簡単にだまされてしまう筆者でした)。

 このあと試合会場を見学。スタッフの話によると、グレコローマンは約4000席の前売り券が売り切れているそうだ。デンマークはあまり強い選手はいないが、北欧だけにグレコローマンの人気が高いようだ。午後3時から、男子フリースタイルと女子がともに練習。それを取材し、メイさんと車で1時間かかるビルン空港へ矢吹カメラマンを迎えに行く。タクシー代が2万円もかかたのでは、ホームページの経費が吹っ飛んでしまう。バスは1日3本しかないので、夜6時すぎにいい便があるかどうか分からない。ここはメイさんに感謝。でも、大会は空港から近いところでやってほしいね。

 矢吹カメラマンを宿舎のB&B(Bed & Breakfast=日本で言う民宿)に連れて行ったあと、夜8時に中村記者と合流。今回の大会は各日とも試合終了が9時半で、仕事が終わってからでは夕食を食べにも行けないだろうから、大会前に晩さん会。分厚いステーキはおいしかったけど、4人で2万円近くかかり、「高いー」。ファミレス的な安いところを選んでこの値段。地元の名店なら、もっとかかった。

 デンマークは物価が高い。男子フリースタイルのチームも、近くのスーパーに買い物に行ったら、目玉が飛び出るような金額だったそうだ。2005年のアジア選手権があった中国の武漢なんて、4人で火鍋を腹いっぱい食べ、ビールもけっこう飲んで総額2000円で、びっくりしたことがある。こんな国での大会の方がいいなー。
決戦を待つ試合会場。観客の収容人員は約4000人。 練習後の吉田沙保里選手を取材する中村亜希子記者。 夜、ヘルニングの街を散策。人口8万5000人とは思えない小さな町。 ステーキを前に満足そうな中村記者。


【9月20日(日)】

 時差ボケのせいか、朝5時すぎにいったん起きてしまう。何とか寝ようとしたが、眠りに入れず、7時近くからパソコンに向かう。8時半にホテルで朝食のあと、早々と会場のプレスセンターへ。さすがに一番乗り。30分くらいすると、ビル・メイさんと矢吹カメラマンも到着。日本の記者・カメラマンはさすが仕事熱心!

 東京スポーツの中村亜希子記者は、やや遅れて到着。いつものところからバスがいっこうに出なかったので、オーストラリアのコーチと一緒に、約30分、歩いてきたとか。そのコーチは日本の総合格闘技イベント「バーリ・トゥード・ジャパン」に出たこともあるそうで、国士舘大の朝倉利夫監督がオーストラリアにコーチ留学に行った時のコーチでもあるそうだ。

 でも、オーストラリア人と英語で30分もたわいもない話をができるなんて、中村記者は国際派だ。イタリアでサッカー取材が続いたあとはイタリア語がけっこう話せるようになっていたし、愛ちゃんを追って中国に滞在したこともあるので、広州の世界選手権(2006年)の時はレストランのオーダーはすべて任せることができた。アテネ五輪の時は半年間もアテネにいたのでギリシャ語が書けるようにもなっていた。いったい何ヶ国語を話せるのか。来年の世界選手権はロシア開催なので、ロシア語も期待しよう。

計量会場。いよいよ大会が始まると感じさせてくれる場所。
計量後の湯元選手にビデオでインタビューする筆者(後頭部、画像処理しています。間もなく栄監督と兄弟か?)
 11時半からのフリースタイル3階級の計量会場に向かうと、先に行っていたその中村記者が血相を変えて戻ってきた。「米満選手が体重オーバーなんですって」と心配そう。1時間前で150グラム・オーバーだとか。筆者は「それなら何とかなるだろう」と楽観し、計量会場へ。

 すでに気がついていると思いますが、この大会から、動画によって大会のリアル感を日本にお届けする試みをテスト。計量会場の騒然さを映したあと、計量が終わってひと息ついた湯元進一選手にインタビュー。「これ、どうするんですか?」と聞いてきたので、「すぐにホームページにアップするよ」(クリック)と答えたら、「ハ−!」と驚きの表情。

 デンマークでの出来事を直後にVTRで日本に伝えられる…。テレビの衛星中継のような金のかかる装置はいらない…。文明の進歩だよね。ただ、動画というのはデータが重いので、アップするのに時間がかかって仕方ない。写真が2、3枚入った普通のページだと、5KB(キロバイト)とか、重くても15KB。データは一瞬にしてアップできます。

 でも、5分の動画だと150MBもするのです。1000KB=1MB(メガバイト)なので、30万倍の重さ。この会場にはワイヤレスLANが通っているけど、スピードという点では有線LANより劣るケースが多く、本当に時間がかかる。その間、他の作業ができないわけではないので、並行してやることになるけど、中断したらまた最初からやらなければならない。

 アップの点で改善の余地あり。こうしたことは、実際にやってみて分かること。とにかくやってみて、そこからよりよいものを目指していきますので、最初のうちは多少の不備があっても目をつぶってください。あと、放映権のからみがあるので、試合のVTRは流せませんので、ご了承ください。

 計量とほぼ同時刻にFILAの幹部会が行われ、ロンドン五輪での女子7階級実施が絶望的になったとのこと。というより、8月のIOC理事会での決定事項の中での1項目(階級の増加は別の階級の削減と引き換える旨)を、FILAが見落としていたような気がする。いずれにせよ、福田会長もがっくりの表情。五輪の肥大化抑制の流れの中で、女子が7階級になる日はいつになるのか。

 この日から日本テレビの濱本さんが東京から、アムステルダムから松川美樹さんが合流。東京スポーツの菊地カメラマンも夕方に到着し、いよいよ一般メディアの人もやってきた。五輪予選だった2007年ほどの盛況さはないものの、こうして取材に来てくれる社があるのはレスリング界にとっていいことだ。2001年までは東京スポーツしか来てくれなかったのだから。

 夜10時、本ホームぺージの執筆をする保高幸子カメラマンがグレコローマン・チームのバスで到着。タクシーだと2万円近くもかかるので、チームの人間ではないが、目をつむってもらって、チームのバスにちゃっかり便乗。さすがに一番上にはジャンパーをはおっていたが、その下は肩が出ている服で登場。寒い地に来るのに…。ま、水着姿でなかっただけ、まともということか。

 彼女はカメラマンが本職だが、記事もけっこう書いているので、今回は執筆を中心にやってもらう。今回はスペインとスウェーデンで空手の取材をしてからのヘルニング入り。期待してください。
メディア陣。左から松川、濱本(以上日テレ)、中村、菊地(以上東スポ)。最終日には中村記者の美貌を公開します! 長旅の疲れも見せずにカメラにポーズをとってくれたグレコローマンの元木康年コーチ。 ジャンパーの下はオフショルダー(肩が出ている服)の保高記者。こちらは顔出しOK。適齢期の独身です!

【9月21日(月)】

 いよいよ試合開始。今回は午後1時開始という変則。いや、これが普通になっていけば、変則とは言わないな。来年からはどうなるのかな。朝ゆっくりできるのはいいけど、途中の休憩もほとんどなく、全試合終了が夜の9時半。従来は朝9時には会場に来ていなければならなかったけど、途中で3〜4時間の休憩がはさまり、8時前には終わった。どっちがいいかな?

午前中は地元の若手選手を集めた練習。栄和人監督も指導を頼まれた。「カズヒト・サカエ」の指導は定評ある!
試合会場外観
クラリッサ・チャンと筆者
 会場では、女子72kg級の世界チャンピオンのスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)とばったり。今年2月の全日本チームのブルガリア遠征の時、ブルガリア語ペラペラの筒井穣さん(サンボの審判=セルビアに在住)の通訳のもと、インタビューしたので、筆者の顔を覚えていてくれている。「ドブロウトロ」(おはよう)とあいさつし、「クラシーバシー」(きれいですね)とお世辞。にっこりと返してくれた。

 ブルガリア語は、1991年にバルナで世界選手権があった時にいくつか覚え、プレスルームの女性スタッフ相手によく話した。だからなんだろうな、今でもその時に覚えた言葉って覚えているんですよね。よく話したから、脳みそから消えないんだよね。1994年のフィンランド世界選手権でも、その時に覚えた「キイトス」(ありがとう)、「オレカオミス」(きれい)、「ミナ・ラッカスタン・シノワ」(アイ・ラブ・ユー)の3つのフィンランド語だけはしっかり覚えているし(注=フィンランドに行ったのはこの時1回限りです)。言葉は、繰り返し使うことが、覚える最大の秘訣なのです。

 プレスルームで矢吹カメラマンにズラテバのことを話すと、「浜口家から絶縁されますよ」だって。そんなことないって。頭突き事件の直後は恨みもあっただろうけど、京子ちゃんのお母さんは「もうノーサイドよ。今は偉大な世界チャンピオンと認めているわよ」って言っていたよ。認めるべき点はしっかり認めることが、人間に一番大事なことであって、それができるかできないかで、人間の器の大きさが分かるのですよね。浜口家の皆さんは、小さな人間ではありません! でも、さすがにズラテバに「オ・ビッチョム・テ」(アイ・ラブ・ユー)だけは言えないけど…。

 続いて、アメリカの48kg級の世界チャンピオン、クラリッサ・チャンの姿を見かける。8月にポーランドに行った時、ビル・メイさんの通訳でインタビューさせてもらった。母親が日本人なので、日本人に対してとても親密に接してくれるのです。インタビューのお礼にと、去年の世界選手権で優勝した時のパネル写真をつくって持ってきたので渡す。坂本真喜子ちゃんのライバルになる選手だけど、まあ国際親善ということで許してね。

 午前10時すぎには東京スポーツの中村亜希子記者も登場。このブログで、唯一、顔出しNGの記者。でも、「私だけ顔出しNGってのも、かえって変ね」だって。その通りです。中村記者には、あっちから、こっちから(というほどではないと思うけど)メールが入っていて、「顔をオープンにしろ」と圧力をかけられているそうです。その通り! 減るもんじゃないんだから、顔出ししようよ^^

3週間ぶりの対面で、保高記者は中村記者に熱いキッス!
ロンドン支局から来た読売・近藤記者(右)。北京五輪までのレスリング担当記者だ。
7日65万円のディナー席。記者席とマットの間にあるのです。
試合会場全景
 プレスルームでは、ビル・メイさんがスタッフ相手に奮闘している。プレスへの対応がなっていないので、カリカリ来ているのです。メイさん、あまりカリカリきちゃダメだよ。期待するから頭にくるのであって、筆者のように、最初から期待していなければ、頭にもこないって(短気な筆者も、時にはいいこと言うでしょ。これも年のせいかな)。でも、レスリングって、こんなことやっているから、世界の記者から相手にされていないんだよ。サッカーや陸上でこんな対応だったら、国際記者協会も黙ってはいないよ(と、徐々に怒りのボルテージが上がっていく。冷静に、冷静に)。

 多くの記者が取材に来て、国際レスリング連盟(FILA)の記者への対応を徹底的にたたいてほしいとうのが、筆者の正直な気持ち。ま、FILAのお偉方は、レスリングの発展より、自分たちがいかにいい思いをするかを熱心に考えている人が多いのです。記者がどんな思いをしているかより、自分たちの泊まるホテルは「5つ星を用意しろ」と強硬に要求するとか。これはFILAに限らないかもしれないが…。

 そのメイさん、会場の入口でまた口論している。12時開場の予定が、12時半だという。試合開始は1時だというのに、確かにこれはひどい。会場は記者席が明らかに少なく、場所の取り合いになることは必至。カメラマンと記者の区別もなく、記者カードの筆者もマットサイドまで行ける。そのエリアは出番を待つ選手と同じで、チョー煩雑。選手だって、こんなゴチャゴチャしたところで試合を待つなんて、集中力がそがれるんじゃないかな、と思う。

 記者席の前はディナー席。調べたところ、1ブース5000ユーロ-(約65万円=7日間)で売り出しているそうだ。最近では野球場にもディナー席がある場合もあり、収入確保という点では反対しないけど、記者席や応援席の前につくらなくてもいいだろう…。野球場はたいてい一番後ろだ。選手を必死になって応援し、試合のもようをレポートする人間より、金持ちを優遇するわけね。世間だけでなく、レスリングの会場でも私たち記者は肩身の狭い思いをしなければならないのだろうか(共同、読売、朝日、東京スポーツなど一部の記者を除く)。

 敗者復活戦とファイナルの間の短い休憩時間にプレスルームに戻ると、スタンカ・ズラテバの姿が。足をテーブルに上げてパソコンを見ている。さすがに度胸がよくて、態度がでかい。普通、選手はプレスルームには入ってこないものだし、入らせない場合の方が多い。「パソコンを見たい」とか何とか言ってOKをもらったのだろうけど、女性たるもの、あの格好はちょっとね…。

 もし吉田沙保里選手や浜口京子選手が、こんなことをやっていたら…、幻滅するよね。一流選手は、ふだんの生活から一流であってほしい。ズラテバはマットの上では一流だけど、それ以外では決して尊敬すべきチャンピオンじゃないな、と思った次第です。

 この日は米満選手が銅メダルを獲得する一方、湯元選手、磯川選手が2回戦敗退。全試合が終わったころ、もう気持ちも落ち着いただろうからと、ビデオでのミニインタビューを申し込むが、2人ともあまりいい顔をしてくれない。そりゃ、そうだ。これでニコニコ顔で応じていてはおかしい。でも、「日頃から応援してくれている人へのメッセージをぜひ」と言うと、しぶしぶながらも応じてくれた。深く感謝するとともに、2日目以降の選手もぜひお願いしますね^^
試合を待つ選手とカメラマン、TVクルーが混在するスペース。 狭くて少ない記者席。左から中村(目線はいつはずれる?)、近藤、保高。 記者席に侵入したズラテバ。このシーンの前には足をテーブルに上げていた。

【9月22日(火)】
 大会2日目。試合の前に計量会場へ。すると、吉田沙保里選手のお母さんや栄夫人らの姿が。遠路はるばる応援に来てくれたのです。それはありがたいことだけど、こうして計量会場へ応援の人が何の制限もなく入れるってのも、ちょっと変なんじゃない? ここにいた吉田さんたちをどうこう言うんじゃないですよ。でも、キッズの大会じゃないんだから、試合をやる選手のスペースと応援団のスペース、もちろん取材する人間のスペースなどは、きちんと区分けするべきじゃないかな。

 レスリングの大会運営の未熟さって感じがしてしまうのです。あまり固いこと言わないのがレスリングのよさなのかもしれないけど、これじゃあ、一流スポーツって言えないよね。その計量会場では、懐かしいロシア人の顔が。1994年から98年まで全日本チームのコーチをやっていて、和田貴広・現国士舘大コーチ(前日本協会専任コーチ)を育てたセルゲイ・ベログラゾフさんです。

1日1回はこの記者の写真を。日ごとに顔の露出が大きくなっていく!(手前は東京スポーツの菊池カメラマン)
シンガポールのコーチになったセルゲイさんと遭遇。
取材エリアをめぐって激しく対立したスタッフと日本からの報道陣。共同・・戸部記者が大人の対応!(中央は保高記者)
 ことし3月まではロシア女子チームのコーチをしていたけど今はシンガポールに招へいされ、同国のコーチだそうです。シンガポールのレスリングはあまり聞かない。まだほとんどやっていないそうです。女子にいたては、たった4人(熱心に取材していた東京スポーツ・中村亜希子記者談 ← どうやらロシア語もできるらしい。来年が頼もしい)。「普及からやらないと」と、パンフレットなどを持ってレスリングをやるよう呼びかけているとのこと。「来年はコクシカンに遠征に行くよ。日本に行くのは楽しみだ」と言っていました。

 でも、保高記者はセルゲイとは面識がないそうだし、日本でセルゲイさんと接していたレスリング記者も少なくなった。日本を去ってから11年。時が経つのも早いね。

 さて、初日は12時半にならなければ中に入れてもらえなかった試合会場が、この日は改善され、報道陣は11時半には中に入れた。それを知らず、12時すぎに中へ。前日座っていた記者席に「Japan Wrestling Federation」と書いた紙を貼り付けていたにもかかわらず、それがはがされ、隣の席に移されていた。確保したと思っていた場所にはトルコの記者がいる。

 他に席がなかったら、既得権を理由に抗議しようかと思ったが、幸い、中央寄りに席が空いていたので、そちらに移る。無用な争いはしないようにしましょう(昔に比べればずいぶん大人になったでしょ^^ もう頭のてっぺんが薄くなっているのだから、カッカするのはカッカよくない…じゃなくて、カッコよくないよね)。

 しかし、しばらくするとイランの記者が「そこはオレ達の席だ」と言ってきた。この時は、ロンドン在住半年以上の読売・近藤記者が流暢な英語で、やんわり、時に強硬に「ここは指定席じゃない」と突っぱねてくれ、退散させてくれた。こうして、筆者にしては珍しく、だれとも争わずに2日前が始まった。今までだったら、IDカードを作るのが遅いとか、何だかんだとブチ切れていたものなあ…。

 でも、試合が始まるとブチ切れそうになる場面に直面。前日までは自由に取材できたエリアが、すなわちミックスゾーンがつぶされていたのです。ウォーミングアップ場につながる入口で係員に「どこで取材すればいいんだ」と聞くと、「選手をここまでつれてきて、ここで聞け」とのこと。「どうやって選手を呼んでくるんだ。ユーが呼んできてくれるのか」と聞くと、「知らない。オレ達の仕事じゃない」だって。「スタピッド!」言って抗議しようとすると、「おまえ達と議論する気はない」だって。筆者は「何だ、この野郎!」と沸騰寸前。

 少しは物分かりのよさそうな人間が「英語を話せるか?」と聞いてきた。議論できるほど話せないし、カッカしそうだったから、そばにいた保高記者に「対応しろ!」と押しつける(無責任!)。日大芸術学部卒の保高記者だが、世界中を飛び回っているので、筆者よりよほど英語を話せる。筆者と違って冷静に対応。さらに共同通信ローマ支局から来た戸部丈嗣記者が、さらに柔らかい口調で交渉。この状態では困るので、上と交渉して改善してもらうと話がつき、この場は引き下がった。筆者がでしゃばったら、まとまるものもまとまらない。言葉が話せなくてよかった^^

前田選手の敗者復活戦。相手がなかなか現れず、手持ち無沙汰の様子。
女手ひとつで翔吾選手ら2人を育てたお母さん(赤)。熱心にビデオを回していました。
 こうした時に頼りになるのはビル・メイさん。話をすると、すぐにプレス担当のところに飛んで行ってくれた。メイさんも若い頃はかなりの“瞬間湯沸かし器”。米国ミネソタ州でレスリングをやっていた時には、同じくミネソタ州でレスリングをやっていたボブ・バックランド(有名プロレスラーで元WWE王者)と一触即発になったこともあるとか(筆者のまったくの想像ですが…)。今は強硬に主張する中にも、大人の対応。プレス担当を動かしてくれ、ミックスゾーンを確保。

 前日までと違ってウォーミングアップ場に入れなくなったけど、これが普通なのでしょう。でも、プレスのIDカードを見たら、プレスもウォーミングアップ場に入れるようになっているのですね。逆に、選手のIDカードにはプレスセンターにも入れるようになっている(昨日のズラテバは不法侵入ではなかった)。変な大会運営! これじゃあサッカーや陸上からは、絶対に格下に見られるよ。

 試合を終えて執筆とアップロードを終え、夜0時半にホテルに帰ると、ロビーでは試合の終わった選手たちがビールを飲みながら歓談していた。ホテルの周りは店ひとつなく、このロビーが唯一の疲れを発散させる場だ。筆者もフロント脇のミニバーでビールを買い、部屋へ戻ろうとすると、途中で田南部コーチとクリナップの今村浩之監督とばったり。田南部コーチに「(前田選手が)マンスロフに負けたこと、悔しかっただろ」と聞いてみた。マンスロフは田南部選手のライバルだった選手だ。

 同コーチは「そうですねー」と即答。選手を退いても、かつてのライバルが勝つ姿を見ると悔しいのだろう。田南部コーチの打倒マンスロフの思いは、後を継いだ松永共広選手が北京五輪で達成してくれた。今度は前田選手がぜひとも達成してほしいと思った。いや、達成しなければならない!
レスリング恒例のイランの応援団。撮影していると栄監督が「樋口さんも入ってきなよ。ぴったりだよ」だって。
北京五輪で松永選手に噛みついた“吸血鬼”クドウゥコフが、1階級アップして優勝。体はひと回り小さいのに、よく勝ったね。 執筆を終え、ホテルへ帰る時のプレスルーム。いつもながら、最後に出るのは筆者でした^^;

【9月23日(水)】
 この大会と並行して午前中に地元の若い選手を集めたユースキャンプという一種のレスリング教室が毎日行われている。昨秋の東京での世界選手権でも、試合の合間にちびっ子レスリング教室が行われたが、それと同じような試み。世界選手権を観戦させるだけではなく、ふだんは接することのできない一流選手から指導をうけさせようという試みだ。

帽子姿で登場の栄委員長。あいさつのあと、脱ぎました。
坂本日登美コーチが中心になっての準備運動
 この日は女子の栄和人強化委員長が依頼され、藤川コーチ(なぜかフジヤマ・コーチと紹介された)、木名瀬重夫コーチ、坂本日登美コーチとともに指導することになった。通訳はビル・メイさん。栄委員長は最初に「いま私が帽子をかぶっているのでは、指導に神経を遣いすぎて髪の毛がなくなったからです。(悪党を意味する)スキンヘッドではありませんので誤解しないでください」とあいさつ。メイさんがウィットに富んだ通訳をすると、選手は大爆笑。

 続いてリラックスさせるために、コインを使った手品を披露。コインが消えてしまう絶妙な手品に選手からは驚嘆の声が。栄流リラックス指導で選手の体の筋肉をやわらげたあとで練習開始。筆者は執筆の仕事があるからプレスセンターに向かったが、メイさんの話によると、坂本コーチも絶妙のタイミングでアシストしてくれたそうで、いい指導だったという。栄委員長は11月にチュニジアで予定されている国際レスリング連盟(FILA)の女子コーチ・クリニックにも指導者として呼ばれている。

 ただ、今回メイさんのように通訳がいない。招待状には「英語とフランス語で指導」となっている。11月までにその2つをマスターできるだろうか。日本語と奄美大島語の2ヶ国語を話せる栄委員長なので、大丈夫だろう。

 11時半から女子の計量。応援に来た山名慧選手のお父さんが、中部国際空港に着いてからパスポートを忘れたことに気づき、福井まで取りに戻って、フライトを変更してやっと到着したそうだ。「恥ずかしいわよ」と山名選手。シルバーウイークの最中に、よく他のフライトがあったね(お父さんからは「恥ずかしいから記事にしないで」と頼まれましたが、山名選手から「大丈夫です」との承認をもらいました。お父さん、ごめんなさいね^^)。

 筆者も、帰国に際し、空港に着いてからパスポートをホテルに置き忘れたことに気がついたことが3度あります。2回がフロントに預けておいて、スタッフが返すのを忘れたケース(ともにソフィア)。もう1回が部屋のセキュリティーボックスに置き忘れてチェックアウトしたケース(太原)。ともに空港からホテルが近かったので間に合いましたけど…。でも、行く時にはパスポートだけは(Eチケットになる前は航空券も)何度も確認しますけどね…。

中村記者の携帯電話を見つけた保高記者(再現写真です)
福田会長を取材する中村記者。格闘技情報は東京スポーツを。
記者が入れないエリアで福田会長を取材した中村記者。ガードマンの目をすり抜けて出入りしました。
 試合が始まると、本ブログの人気者となり、「早く顔出ししろ」とあちこちから要望されている東京スポーツの中村亜希子記者が一大ピンチに! 坂本真喜子選手の取材のあと、携帯電話が見当たらなくなったのです。記者席の上や下、かばんの中を探しても見つからない。記者席は仮設スタンドにあるので、その下に落ちたのではないかと、やぐらの下までも探しにいったけどない。取材で通った場所、日本コーチ陣と話した場所、キャンディを買った売店…筆者も一緒になって追跡。

 あきらめかけた時、保高記者が「あったー!」と大声。記者席のと観客席をつなぐ継ぎ目に落ちてしまい、記者席に敷いてある薄い(筆者の頭のことではありません)カーペットに隠されていたのでした。盲点でした。取材に向かう時に落ち、一見して見えないところにタイミングよくはさまったようです。「よかった」と胸をなでおろす中村記者。

 携帯電話自体は2000円くらいだそうで、あきらめのつく金額。すぐに回線止めてもらえば好き勝手に使われることもなく、別に会社用の電話があるので仕事での不便はないけど、今や人間の分身ともなった携帯電話をなくすのは、やっぱり気持ちのいいものではないよね。よかった^^ (奇しくも、FILA殿堂入り表彰でこちらに着いた吉村祥子さんも携帯電話をなくしながら、数刻後に発見!)

 日本では、さいたまスーパーアリーナで「戦極」が行われ、柔道のアテネ五輪銀メダリストの泉浩が打ち合いにいって、逆に強打を受けて壮絶KO負けしたという情報が入ってきた。「戦極」のアドバイザーの福田会長に話すと、もう情報が入っていたようで、「打ち合っちゃなあ…」と第一声。総合格闘技をやるなら、打撃も身につけなければならないけど、デビュー第1戦の柔道出身選手なら、まず組みついて絞め技や関節技にいくべきでは、と思った。

 その福田会長、グルジアの選手を中心に「戦極」のリングに上がってくれそうな選手をリサーチしているもよう。「いい選手はたくさんいるよ」だって。格闘技情報は東京スポーツをぜひ購入ください^^

 試合は51kg級の甲斐友梨選手のみが3位決定戦に進みました。第1セッションが終わると、福田会長が筆者のところへ来て、「(女子の)初日で決勝進出なしとは何事だ。たるんでる、って厳しく書け!」と、すごい剣幕で言ってきて、筆者が怒られてたと勘違いするほど。でも、書く側からすれば、いい会長です。「あんなことまで書くな」「もっと手柔らかに書け」と言ってくる人は少なくないけど、福田会長は結果が出ない時はどんな厳しいことを書かれても、一切文句言わない人なんです。

 古くは1991年の世界選手権、日本が32年ぶりにメダルなしに終わった時、報道陣(とっても、その時は東京スポーツのほか1社しか来ていなかったけど)に「32年ぶりに金なしって、でかでかと書け」って言っていて、「この人は違うな」って思いました。結果が出ない時は厳しいことを書かれても受け止めろ、というのは歴代の強化委員長に引き継がれているようだ。

 ま、協会のホームページならば、ちょっとは手ごころを加えますけど、それであっても成績が悪かったら、「女子の強化委員長は頭を剃って反省しろ!」くらいは書きますよ^^

 51kg級の表彰式では、国歌演奏のあと、カメラマンが4選手を表彰台の中央に集まってくれることをリクエスト。しかし2位の北朝鮮選手は、よほど悔しかったとみえて、さっさと帰ってしまった。「何とかしてくれ」というカメラマンの要望に応え、甲斐選手が舞台裏まで追ってくれ、連れ戻してくれました。カメラマン一同、甲斐選手に感謝!
39歳で世界選手権出場を果たすノルウェーのグドルン・ホイエ。吉村祥子さんほか、第1回大会に出場した選手、見てる? 久木留毅コーチと保高記者が真剣にレスリング・サイトを見るシーンを、佐藤満強化委員長がパチリ。 「戦極」のジャッジをカットし、吉田沙保里選手の応援に駆け付けた綜合警備保障の大橋監督。

【9月24日(木)】
 大会も中日。この日は女子だけだから、イランの記者はホリデー。前日は記者席の私の隣にはイランのラジオのアナウンサーが陣取り、携帯電話からの小型マイクに向かってしゃべりまくっていた。携帯電話の発達で、ラジオ局もコンパクト化している。通信・新聞社だって同じ。23年前に初めてハンガリーの世界選手権を取材した時は、記事を送る特殊な送信機を持たされれた。カメラマンは重たい現像機と電送機を持たされて大変な時代だった。

男子フリー・チームが帰国。
福田会長を取材する中村記者。とにかく取材熱心な記者だ。
ウォーミングアップ場では、米国のコーチが女子選手と総合の練習をやっていた。米国でも総合は人気がある?
 1992年にイランで行われたアジア選手権の時は、東京スポーツのカメラマンが空港でその電送機を「検査する」とかで取り上げられ、翌日返してもらった時には見事に壊されていたこともあった。そのカメラマンは現像・送信という仕事がなくなり、増えた自由時間を満喫していたなあ(中村亜希子記者がまだ純情な高校生の時です。長野の高校生でした)。

 また、1997年にフランスで行われた女子の世界選手権(浜口さんが最初に京子ちゃんを肩車した大会)では、同じく東京スポーツのカメラマンが、変圧器につなぐのを忘れて電送機のコンセントに入れてしまい(今のパソコンなどのように自動変圧器などない時代です)、ボンという音ともに台なしになったこともあった(中村記者がまだ純情さを残していた大学生の時です)。

 この時は本社からすぐに代わりの機会を送り、試合には間に合ったようだが…。東京スポーツのカメラマンは、その紙面通り、ハチャメチャの人が多い。今も変わらず純情な中村記者も大変だ^^; (これらの記事の抗議は私のところへ。間違っても中村記者にはしないよう、お願いします)

 話はそれたが、イランの記者がいなくなるので、記者席はスカスカになると思ったが(筆者の頭のてっぺんのことじゃないですよ)、アメリカとかの記者もいて、そんなに減った感じはしない。自分の座っていた関に「JWF」と書いた紙を貼り付けておいたが、それが見事にはがされていた。そこで、イランの記者が座っていたところに陣取ったら、しばらくしてドイツの記者が「そこはオレの席だ。紙をがはってあっただろ」とクレームをつけてきた。

 「スタッフがはがした。ノンリザーブド・シートだ」と抗戦。隣から読売の近藤記者も「きのうはイランが座っていた」などと助け舟。筆者のあまりしゃべれない英語に業を煮やしてか、「向こうに席があいている」とか何とか言って去っていった。近藤記者が「樋口さん、1大会で1度はぶち切れるんですね」と茶化してきたが、私は結構冷静に対応していました。近藤記者の方が、よほど興奮していましたよ。ホント。

 この日は日本のエース、吉田沙保里選手が登場。初戦はマダガスカルの選手。実は前日の計量の時、吉田選手がシングレットの背中に「MAD」と書いてある選手を見て、「あれ、どこの国ですか?」と聞いてきたんですよ。筆者も中村記者も即答できなかった。「MDA」なら旧ソ連のモルドバ、「MKD」なら旧ユーゴのマケドニア。

 見るからにアフリカの選手のようだから、アフリカだろう。「マダ…」と考えたら、マダガスカルと思ったが、自信がない(皆さん、マダガスカルって国知っていましたか? どこにあるか知っていますか?)。吉田選手がたまたま気にかけた選手と1回戦を闘うのだから、抽選って面白いですね。

 その吉田選手と西牧選手とが優勝し(どうでもいいことですが、吉田選手は10月5日生まれ決戦の決勝戦を制しました)、この大会、初めてメーンポールに日の丸が上がりました。厳密に書けば「ポール」ではなく、フラッグがつり上がっていくものなのです。でも「メーンポールに…」って方がカッコいいですよね。このあたりの描写も、きちんと書かなければならないのかな?

 夜は10時から、吉村祥子さんの国際レスリング連盟の殿堂入りの授賞式。2007年までは、マット上か表彰台のところで授賞式が行われていたけど、今回はなく、ディナー形式でのパーティーでの授賞です。レスリング選手なら、マットの上ででもやってほしかった思うのですが…。それに、よりによって夜10時からやらなくてもいいでしょ。

 まあ、吉村さんの晴れの舞台にケチつけるのはよくないので、このあたりにしておきましょう。吉村さんは日本から重たい晴れ着を持ってきて、2度目の成人式…じゃなくて、世界レスリング界の栄誉あるパーティーに出席していました。吉村さんがお金を出して招待したご両親も、まな娘の親孝行に目がウルウル。このあと、ノルウェーなどを観光するそうです。皆さん、親孝行、してますか?

 プレスセンターが12時で閉まったので(前日までは1時までいても大丈夫でした)、保高記者、中村記者と徒歩数分の筆者のホテルへ行ってロビーで執筆をしていると、その吉村さんがやってきた。お祝のしるしにビールをごちそう。吉村さんはさすがにいい気分のようで、私たちの仕事が終わるのを待って、いろんな話をしてくれました。初めて聞くプライベートの話も。ここでは書けませんけどね。
記者室横の部屋で審判が横になっていた。審判の控室はないのか? 決勝戦の選手入場の際に花火が噴き上がる演出。 ミックスゾーン。だれも使っておらず、何の役にも立たない!
金メダルの吉田沙保里選手と記念撮影する日テレ・濱本さん。公私混同ではいか?(筆者もやったことあります) 「アー・ユー、モントリオール・ゴールドメダリスト?」と聞かれ、サインを求められた高田裕司専務理事。 翌日に帰国する福田会長のゲキ。福田会長は新潟国体のあと、IOC総会のため、またデンマークに戻ってきます。

【9月25日(金)】
 いよいよグレコローマンがスタート。デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの男子はレスリングといえばグレコローマン。フリースタイルはあまりやっていません。会場は試合開始前からデンマークと近隣3ヶ国(あとひとつはフィンランド=ここは少しはフリースタイルをやっているもよう)の応援団で異様なムード。

 観客席は仮設スタンドだけど、大勢で足を踏みならすので、その下を通る時は「これが崩れてきたら、命はないだろうな…」という恐怖心に襲われてしまう。できるだけ通らないようにしたいけど、記者席に行く時はどうしても通らなければならない。事故がないように、と祈ってしまう。

 試合では日本期待の長谷川選手が3回戦でロシアを撃破。名前が「マンキエフ」なので、北京五輪のチャンピオンかと思ったら、ファーストネーム(口語では「下の名前」って言いますけどね)が違うので、弟か。それでも欧州3位のロシア選手を破ったということはすごい。

 しかし、続くルーマニア戦で黒星。世界で勝ち抜くことは厳しい。佐藤満強化委員長に、「ワンマッチのプロは、相手を徹底的に研究して闘うことができるけど、アマはそうはいかない。よく分からない選手がひょんと出てくる。ここを勝ち抜くのは大変だね」と話をすると、「そうですよ。チャンピオンになるのは、アマの方が大変ですよ」。ホントにそう思います。

熱狂的な声援を送るノルウェーの応援団。
選手を待つ間にミドルキックの練習の保高記者。あこがれのスーリアンにウインクされ、気分はハイ!
72kg級決勝をスクリーンで見つめるズラテバ。シャツは自衛隊のものでした。
 そのしばらく後には、72kg級で抜群の強さを持っていたスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)が中国選手に黒星。第3ピリオド、クリンチの攻撃権を得て、「あー、やっぱりズラテバか」と思いながら、そこから勝てなかった。中国は国内のビッグイベントの関係で一番手の選手はないのですよ(中国語ペラペラの中村記者が中国のコーチに取材してくれたところによると、中国の一番は五輪チャンピオンの王嬌。その下はだれが2番か分からず、2番手グループとして何人かいるとのことで、そのうちの1人だという)。

 これまで2006年のアジア選手権と今年3月のワールドカップにしか出ていない選手なので、ズラテバにとっては全く未知の選手だったのだろう。こうした事実からも、トーナメントを勝ち抜く難しさを痛感。もっとも、ズラテバの場合はテーブルに脚を乗せてパソコンを見ているような態度の悪さを勝利の女神が嫌ったのだと思うけど(意味が分からない人は本ページの21日を見てください)。そのズラテバ、試合後には胸に「PTS」(自衛隊体育学校の略称)と入ったシャツを着ていました。去年の東京・世界選手権の時に誰かにもらったのかな?

 グレコローマン55kg級のハミド・スーリアン(イラン)も、その勝負の厳しさを知ってい選手だろう。2005〜07年に世界一になりながら、北京五輪では3回戦でロシア選手に敗れ、結局5位。その屈辱をばねに、今回も優勝しました。保高記者が、この24歳のイラニアンの大ファン。この日着てきた服の色(こげ茶色)までスーリアンのウォーミングアップの服に合わせるのですから(本人は偶然だと言っていましたが…)。スーリアンもスーリアンだ。試合前だというのに、保高記者を見つけると、ウインクする余裕。すごいね!

 夕食の時、グレコローマンの松本慎吾コーチ(日体大教)に会う。日本で行われている全日本学生王座決定戦では、日体大が日大に3−4で初戦敗退という結果が入ってきていた。「日体大、初戦敗退だってね。何年ぶりかな」と話しかけると、松本コーチの顔が険しくなり、「日本に帰ったら、鍛え直しますよ!」。その表情に筆者は震えあがってしまいました。言わなきゃ、よかった^^;

 「前田(翔吾)君がいれば、4−3で勝っていたと思うよ(注・世界選手権出場のため不参加)」ととりなしましたが…。まあ、帰国する頃には、少しは怒りがおさまっていると思うので、日体大の選手たち、筆者を恨まないでね。

スーリアンの試合を実況中継するイランのラジオ・アナウンサー
女子トレーナーの楠原さんは、この大会を最後に異動でチームを離れる。吉田選手から「泣くな!」と声をかけられていた。
 試合後の記者室では、11時20分になって、いつもの嫌なヤツが来て、「あと20分で閉める」と言ってきた。初日、2日目は0時半までいても平気だったけど、3日目から厳しくなり、「まだ仕事が残っている」と言い合ったりもした。この日も「もうすぐ閉める」と、人間味のかけらもない一方的な通告だ。ホテルのロビーにも無線LANが通っているので、仕方なしに引き上げる。

 中村亜希子記者が「プレゼント」と言って、東京五輪招致のバッジをその無愛想なスタッフにやると、「オー! サンキュー」と言ってにっこり笑顔。えーーーーー!!! この男でも笑うことあるの? そうなんだ。北風と太陽の童話ではないが、こういう対処術もあるのですね。さすが世界の亜希ちゃん。国際派記者はやることが違う。見習わなければならないと思う筆者でした。

 場所をホテルのロビーに移して執筆。中村記者と保高記者が終わったので、ビールタイム(筆者はまだ執筆です。日本から増渕記者が送ってくれた学生王座の記事もあるし)。前夜、吉村さんと飲んで、あまったツマミが部屋にあったことを思い出し、保高記者に鍵を渡して取りに行ってもらう。

 行かせてから、この日の朝に洗面所で洗たくしたパンツなどを干してあることを思い出した。「盗まれなければいいけど…。保高には、男の下着を集める趣味はないだろうな」と心配していると、ニコニコ顔で帰ってきた。「パンツもらったわよ」と言われるかと思ったら、「ね、ね、ね、スーリアンがいた! 写真撮って」と、これまでにないはしゃぎよう。

 中村記者を含めて3人でその場所へ。スーリアンも、日本女性からも人気があると知って悪い気はしないのだろう、いろんな記念写真に応じてくれた。「オレがツマミを取りに行かせたからぞ。感謝しろよ」と言うと、「はい、ありあがとうございます」と涙ながらに答え、三つ指をついて感謝きてきた(オーバー!)。この記者でも、こんな殊勝な気持ちで他人に感謝することがあるのだと初めて知りました^^

 気分がハイになった保高記者はこのあとはしゃぎまくり。2200曲収録してあるというパソコンの音楽を流し、中森明菜らの歌を歌いまくり。その時、ミニバーの窓をたたく人物あり。この日で帰る日本テレビの濱本さんと松川記者、それから女子の木名瀬コーチだ。コーチの部屋で飲んでいて、ホテルに送り届けようとしていたらしい。

 中に入ってきて、保高記者のワンマンショーを観賞。目立ちたがり屋の保高記者は観客が3人増えて、さらにフィーバー。その脇で筆者は必死に執筆。木名瀬コーチが「樋口さん、こんなところでよく記事かけますね」って言ってきたけど、こんなふうになることが分かっていれば、自分の部屋で書いていたよ! 午前2時すぎ、執筆とアップ終了。前日も遅かった筆者は「もう寝ます」と言って退散。さて、何時までワンマンショーが続いたのでしょうか。
中森明菜を絶唱する保高記者。気分は最高にハイ! 日テレ松川記者と別れの抱擁。保高記者は女性にはよく抱きつく。 木名瀬コーチも入ってフィーバー。右端は執筆中の筆者(撮影=菊池) 最後はメキシコ選手も乱入。世界に顔を売る保高記者でした。


【9月26日(土)】
栄監督の指導ぶりを自らのサイトにアップした米国記者。
ポーランド(赤)が試合終了を気づかずに米国(青)突っかかり、殴り合い寸前となった試合。
 大会も残すところあと2日。女子チームもこの日の早朝、帰国の途に着いた。前夜が遅かったので、お見送りできなかった。ゴメン。

 グレコローマンの盛んなこの地域では、いよいよクライマックスですが、日本からの報道陣は、日本テレビのほか、時事通信、東京新聞(中日新聞)と去っていって、晩秋といった感じ。髪の毛が、じゃなくて枯れ葉が少しずつなくなっていくあの感じって、嫌ですよね。

 明日は誰もいなくなった…ということはありません。まだ東京スポーツをはじめ、共同通信、朝日新聞、、読売新聞、フリーの記者、フォト・キシモトのカメラマンと残っています。最後の力を振り絞って、グレコローマンの熱戦を追います。
 
 それにしても、会場のムードは異様だ。グレコローマンって人気があるんですね。試合前、米国の記者がパソコンを持って日本記者の席にやってきて、動画を見せてくれた。23日に女子の栄監督が指導したユースキャンプのもようで、これをネットにアップしたところ、非常に好評で、「ためになった」というメールが1万通(のわけない)も送られてきたそうだ。

 思わぬところで評価を高めた栄監督。いずれ世界のあちこちから引っ張りだこになることを想定し、英語とフランス語をしっかりとマスターした方がいいと思うのですが…。無理かな^^;

記事執筆に際し、熟考する中村記者^^
ブルサを取ったイラン女性。きれいな人が多かった。
 試合は、残念ながら日本選手がすべて予選で負けてしまいました。夕方は中村記者と日本の総合格闘技で出そうな選手選手を視察。アゼルバイジャンやグルジア、ロシアの選手は総合格闘技に向いていそうな選手が多い。ある選手に片言の英語でインタビューさせてもらいましたが、こんな選手が本気になって向かってきたら…ナイフ持っていても勝てないって思わせるようなすご味を持っています。

 総合をしっかり練習してリングに上がれば、きっと強くなると思えるような選手ばかり。でも、今回の世界選手権に出てきたってことは、ロンドン五輪を目指すということだから、プロに行くものかな? (いずれ東京スポーツに掲載されるでしょう。格闘技情報は東京スポーツを購読ください^^)

 午後のファイナルは、試合をしっかり観戦…。というわけにはいかず、やはり試合の合間に第1セッションの原稿を書いていました。速報記者って、記事執筆に追われて試合をじっくり見られないことの方が多いのです。全試合終わってから書けばいいじゃないか、と思うかも知れませんが、それだと睡眠時間がどんどん少なくなって、1週間はもたないでしょう。それでもファイナルに日本選手が出ていないので、昨日までよりは余裕がある。

 今までみたいに午前の部と午後の部に分かれていれば、間の3〜4時間の休憩時間に午前の部の記事をすべて仕上げて、ファイナルはゆっくり観戦ということもできましたが、そうではないので、結局、執筆がファイナルにまでずれこみました。国際レスリング連盟のラファエル・マルティニティ会長に言わせると、来年からもこの方式になる可能性が高いとか。記事執筆に追われることが続きそうです。

 そのおかけで、9時半には保高記者も含めて執筆がほぼ終了。大会が始まってから1回も街へ食事に行っていないので、矢吹カメラマンとともに街へ(保高記者、ビル・メイさんは他の用事のため不参加)。東京スポーツの中村記者、菊池カメラマン、共同通信の戸部記者と合流し、最初で最後(だろう)の晩さん会。

 来年からも今回のようなスケジュールだと、こうした場を持つことが少なくなる。いや、なってほしい。日本選手が連日、ファイナルに進めば、食事に行く時間なくなるのだから。私たちはグルメめぐりをしに、ここに来ているのではないのです!
大会唯一の晩さん会。左から矢吹、菊池、戸部、中村。
帰路のタクシーを探しにスカンジナビア・ホテルへ来たら、FILAのマルティニティ会長にばったり。 選手宿舎で飼っている犬と猫、仲良く共存していました。

【9月27日(日)】
 大会もいよいよ最終日。体全体に疲れがただようが、選手のことを思うと、そんなことは言っていられない。特に、この日は鶴巻選手が1回戦で北京オリンピックのチャンピオンと対戦する。北京でそのグルジア選手が優勝した時、観客席いた鶴巻選手は「ボク。この選手に勝ったことあります」と言った。その選手と1回戦で激突。運命とは面白いものだ。

中村記者は大学時代の友人の弟に偶然にも遭遇。「ケンタロウ君」と呼んでいました。
記者席の後ろはフィンランドの応援団。すごい地響きだった。
 会場は前日に続いて異様な盛り上がり。サッカーの会場を思わせる熱気。こちらの選手は、応援にも命をかけている人が多いのだろう。日本でも、リーグ戦ではこれに近い盛り上がりはあるが、それとはケタ違い。参考までに、地元デンマークが出場する74kg級決勝の会場のもようをVTRにアップしましたので、見てください。
 
 さて、鶴巻選手のは1回戦で見事に五輪王者を撃破。すぐに義理の姉にメールを打ちました。すると、「マジですか?」という返信。ふざけてメールするわけないでしょ。義理の姉というのは、私の大学の後輩の元女子選手なんです。全日本選手権などの時は、必ず会場にいますよ。その子が、去年の東京・世界女子選手権に妹を役員として参加させた時に、鶴巻選手と劇的に出会ったのです。

 もし筆者が「広報の役員はいっぱいだから、今回は遠慮して」と断っていたら、2人は永久に出会わなかったわけですよね。筆者もキューピットの役目を果たしたのですよ^^ 筆者もたまには人に感謝されることをするでしょ。次は姉ちゃんのキューッピットをやらないとね。

 さて、熱狂的なフィーバーの中、全試合終わりました。ビル・メイさんは明日、約800kmを運転してプラハに帰ります。睡眠不足は運転の大敵なので、今夜は早くに就寝。プレスセンターでお別れです。その後、11時半にいつものあんちゃんが来て、「クロース。こっち(いつもの出口方面)は鍵がかかているから、こっちから出てくれ」とのこと。キャッシュデスペンサーでお金を下ろそうと思っていたので、困ったと思ったら、保高記者がその旨を説明してくれた。

 すると、「それなら」とか言って、わざわざついて来てくれ、キャッシングするのを待ってくれ、閉まっていたノアの鍵を開けて送りだしてくれた。きのうの中村記者のバッジが聞いたのかな? 最初のイメージほど悪人ではないようだ。

 ホテルのロビーで、保高記者、中村記者、菊池カメラマンとビールで打ち上げ。フランス・チームがいて、2人の女性記者、けっこう人気があった。日本でもこうだといいのにね^^
男子グレコローマン・チーム之最後の記念撮影をする保高記者。 ファイナルは豊田コーチが記者席に来て、解説してくれました。 ホームページの執筆陣。1週間のご愛読、ありがとうございました。
筆者が毎日5回、お祈りしたイスラム教徒のための部屋。(ウソ!) フランス選手に人気抜群だった中村、保高記者。 ホテルのワンちゃんとたわむれる2人。最高にいい顔をしていた。

【9月28日(月)】
 大会も終わり、やっと日本に帰れます。私はオランダ航空(グレコローマン・チームと一緒)、矢吹カメラマンがコペンハーゲンまで国内線で行き、そこからスカンジナビア航空。保高記者も同じコースですが、コペンハーゲンで空手の取材をこなしてから日本へ。菊池カメラマンはアムステルダムまで私たちと同じで、そこからちょっと遅れた便で日本へ戻ります。

 中村記者はといえば、ロンドン経由で帰る佐藤満強化委員長、伊藤広道副委員長、久木留毅テクニカルディレクターに連れて行かれ、電車でコペンハーゲンへ向かいました。国際オリンピック委員会の総会取材です。10月2日、日本に朗報はもたらされるでしょうか。

 10日間のご愛読、ありがとうございました。
日本チームの健康面をサポートしてくれた中島ドクター(左)と小松ドクター。 最後に顔出し! 中村記者