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【特集】未知への挑戦! 48kg級に挑む51kg級世界V6女王、坂本日登美(自衛隊)【2010年4月30日】

(文=増渕由気子)
 

 世界V6、そして2000年以降、国際大会無敗の記録を持つ坂本日登美(自衛隊)が現役復帰し、51s級から48s級に下げて3度目の正直となる五輪を目指す(右写真=3月の全日本合宿で練習する坂本)。復帰第1戦、そして48kg級という未知の闘いとなる明治乳業杯全日本選抜選手権(5月1日開幕、東京・代々木競技場第2体育館)が間もなく始まる。

 坂本は、妹で48s級の真喜子とともに2004年アテネ・2008年北京両五輪を目指したが、ともに夢はかなわなかった。そのため、姉妹で世界女王&五輪メダリストになった伊調千春・馨姉妹と常に比べられてきた。

 北京五輪の国内選考の第一弾となった2007年ジャパンビバレッジクイーンズカップで、坂本は吉田沙保里(ALSOK綜合警備保障)に完敗した。気持ちを切り替え、2007年アゼルバイジャンの世界選手権の51s級で優勝したが、北京五輪へつながることはなかった。さらに2008年の東京・世界選手権の51s級でぶっちぎりの強さを見せて優勝。世界V6を節目に現役引退を宣言した。

 「世界を6度取っても、オリンピックに出場してないので、(V6の達成感などは)何も思わない」。五輪競技である以上、それに出場しなければ意味がないと、キッパリと言い放った。「自分の夢は真喜子に託します」−。

■五輪が女子7階級なら日登美の運命は変わっていたのか?

 「オリンピックが7階級だったら…」。五輪だけ4階級に絞られる現状に、むなしさを感じるしかなかった。

 4階級の悲劇をモロに食らった、最強の女王―。坂本のイメージはそうとらえられがちだ。だが、一概には言えない。55s級で坂本が歯が立たなかった吉田は、アテネ五輪の頃は体重が増えないことが悩みだった選手。吉田の壁だった山本聖子(現スポーツビズ)の存在を考えれば、五輪で7階級が実施されていた場合、吉田は51s級の選手になっていたかもしれない。

 坂本も「そうですね。そのことは考えたことがあります」と認めている。51kg級で吉田と闘って確実に勝てたのか。いずれにせよ、坂本は吉田と対決せねばならない運命だったのかもしれない
(左写真=2006年全日本選手権で吉田に挑んだ坂本)

 48kg級に出場することになった場合、避けられないのは真喜子との姉妹対決だ。一時は吹っ切れて、姉妹対決を決意した時期もあった。実際、ここ数年、全日本選手権の舞台で数組の兄弟、姉妹が対決している。だが、家族からは「真喜子と日登美が闘うところは見たくない」という意見があった。出した結論は、自分の思いを妹の真喜子に託すことで消化しようとしていた。

■コーチになって思ったこと、「これでは世界で勝てないよ」

 現役引退後、中京女大(現至学館大)時代の恩師の栄和人・女子強化委員長に声をかけられ、全日本チームのコーチになった。現役世界女王の坂本の存在感は抜群。自身のノウハウを惜しげもなく選手たちに教えた。だが、若手の練習に対し、日に日に不満がつのっていった。「こんな状況では世界で勝てないよ…」。どん欲に世界を目指している選手が、ほとんどいないことに気づいてしまった。

 転機が訪れた。妹・真喜子から「結婚して、当面主婦業に専念したい」と告白されたのだ。真喜子を世界女王にするのは、坂本のもう一つの目標だったが、真喜子の気持ちは十分に理解できた。真喜子は17歳で全日本を制し、アテネ五輪ではプレーオフまでもつれて敗北。その後も伊調千春の最大のライバルとしてマスコミから常に注目されていた。

 「今までずっと走り続けていたから、休みたいと思う気持ちは分かります」。坂本も、ひざのけがでアテネ五輪前に一度マットを離れ、地元に戻るなど計2度“引退”している。真喜子の希望を受け入れた。

 ただ、真喜子はこう告げた。「ロンドンは日登美が目指したほうがいい」。妹の引退は、裏を返せば、姉妹対決をせずに坂本が48s級に参戦できる環境が整ったことを意味していた。奇しくも同学年の山本聖子が昨年復帰した。三度目の正直として五輪を目指すなら、2012年ロンドン五輪しかあり得ないと思った日登美は、決心した。「もう一度やる!」。
(右写真=2008年10月の世界選手権で闘う坂本。約1年7ヶ月ぶりに実戦に挑む)

 真喜子だけではなく、弟の将典選手(フリースタイル66kg級)も昨シーズン限りで自衛隊体育学校を離れた(一般自衛官へ)。坂本三兄弟で一つの五輪金メダルを―。その期待は日登美が背負うことになった。1年のコーチ活動を経て、選手時代とは違った経験を積んだ坂本日登美が、若手に本当の強さを見せつける−。


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