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【特集】全日本社会人選手権でひときわ目立った“元祖最強双子レスラー”清水一成・光二さん【2010年7月10日】

(文=増渕由気子)



 ともに全日本王者の肩書きがある湯元健一(ALSOK綜合警備保障=2008年北京五輪銅)、進一(自衛隊=2010年アジア選手金)は、レスリング界にとって最強の双子レスラーだ。2012年ロンドン五輪では、双子で五輪出場、金メダル獲得の期待がかかる。

 時代をさかのぼっても双子レスラーは存在する。先日、山形市で開催された全日本社会人選手権。多くの地元レスラーが参加し、地方開催とは思えぬ盛況ぶりを見せた。特に熱かったのが、マスターズB(41歳以上50歳以下)に出場した清水一成さん(山形県教育庁=チームは「山形ク」)。思い切りのいいファイトを見せて決勝に進出。敗れたものの会場を盛り上げた。

 そのマットサイドには、笑顔でカメラを回す弟・光二さん(山形・天童一中)の姿が(右上写真:兄・一成さん=右=弟・光二さん)。2人は山形商業高校でレスリングを始め、2人そろって強豪・日体大に進学した。

 兄・一成さんは、大学3・4年生(1989・90年)の全日本大学選手権52kg級を連覇。弟・光二さんは、大学2年生(1988年)から3年連続でグレコローマン52kg級の学生王者に輝き、3年生の時に新設された全日本大学グレコローマン選手権でも2連覇を達成した強豪。1992年バルセロナ五輪の日本代表第1次選考会で優勝した。

 高校時代から、数回、決勝の舞台で兄弟対決もしたことがある。真骨頂は、大学2年(1988年)の全日本学生選手権グレコローマン52kg級。お互いに勝ち上がって決勝で激突。その時は、弟の光二さんがグレコローマン専門選手の意地を見せて15−0のテクニカルフォールで勝った。まさに“元祖最強双子レスラー”だ。
(左写真:1990年全日本学生選手権で3連覇を達成した光二さん=中央)

■光二さんの過去の栄光と挫折−どちらの話も子供たちは真剣に耳を傾ける

 身長157cmと小柄ながら、中学校まで一成さんは野球、光二さんはバスケットボールをやっていた。中学校の恩師が「山形商業高校のレスリング部が小柄の選手を探している」としてレスリングを勧めてきたことがきっかけでレスリングを始めたが、すぐに没頭した。「双子で活躍したことで、取材をよく受けて話題になったりしたんですよね」(光二さん)。

 光二さんは現在、中学校の教師でバレーボール部の顧問をしている。レスリングは中体連に加盟していないため、「中学教師のレスリングの関係者はほとんどいない」と寂しそうに話す。しかし、レスリングの経験が人気獲得のポイントになっている。「私は、レスリングで海外遠征にも多数行かせて頂きました。一般的に、なかなか経験できることではありません。昔の経験を子供たちに話すと、真剣に耳を傾けますね」。

 体育の柔道の時間で鮮やかな投げ技を披露すると、必ず聞かれる質問がある。バレーボールが専門だと思っている子供たちは、こぞって「先生は、昔何をやっていたんですか?」と興味津々。。時にはタイガーマスクの覆面をかぶって、子供たちのヒーローにもなるそうだ。

 部活動やちびっ子レスリングには直接的にかかわっていないが、今でも、興味がある生徒がいれば、進学の相談に乗っている。「山形県では、レスリングは優遇されている競技。チャンスが多い競技だと思いますし、(強くなれば)海外などにも行けて、得るものが多いですよね」。

 光二さんが、レスリングにこだわる理由はもう一つある。「私は、オリンピックに行けるチャンスがありましたが、かなわなかった。バルセロナ五輪の一次選考会で優勝した時、実は4年後のアトランタ五輪を視野に入れていました。でも、アトランタへの道のりは、環境が整わずにうまくいきませんでした。チャンスはなかなか巡ってきません。“やれる時に”やっておかないと、“やりたい時に”やれない自分がいるんです。今しかないんだということを、子供たちに伝えたいですね」。レスリングを通じた人間教育に、今後も力を入れていく予定だ
(右写真=1991年12月のバルセロナ五輪第1次選考会で世界選手権代表にフォール勝ちして優勝した光二さん)

■「山形を強くしたい!」…兄・一成さんも強化に奔走

 一方、兄の一成さんは山形県教育庁のスポーツ保健課課競技スポーツ推進室に勤務。山形県のスポーツタレント発掘事業である「YAMAGATA ドリームキッズ」の運営などにかかわっている。

 数年前までは高校で教べんを執っていたこともあり、山形県のレスリングのことはいつも気がかり。「グレコローマン74kg級世界選手権代表の鶴巻宰(自衛隊=米沢工高出身)などのスター選手も出ているけど、山形県でレスリング部のある高校は山形商業、山形南、米沢工業、明新館と4つしかありません」と危機感を募らせる
(左写真=1992年アジア選手権で闘う一成さん。4位に入賞した)

 「インターハイに出て終わりではなく、全国の舞台で勝ち上がれるように意識を高くしたい」と、県レベルの底上げを目標に掲げた。そのためには競技人口の拡大が不可欠。一成さんは声を大にして呼びかける。「自分の高校にレスリング部がなくても、山形県教育庁スポーツ保険課に連絡ください。できる環境を紹介します」。

 一成さんの地道な活動に加えて、始動したばかりのドリームキッズからレスリングの志望者が数人出れば、山形が全国表彰台を目指すことも現実味を帯びそうだ。



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