▲一覧ページへ戻る


【全国少年少女選手権総括】「ヒロシマでしかできない大会を−」を貫いた大会運営【2010年7月29日】

(文・撮影=増渕由気子、千羽鶴写真提供=大会実行委員会)



 世界で唯一、ウラン系原子爆弾が投下されたヒロシマ。終戦から65年を迎える節目の年に、全国少年少女選手権が開催された(右写真)。大会開催が正式に決定したのは1年前。1993年に男子グレコローマンのアジア選手権、1994年にアジア大会、1996年に広島国体を経験しているだけに、運営には多くの関係者が「問題ない」と口をそろえ自信を見せていた。

 今大会、企画総務委員長として運営を切り盛りのは、広島クラブの代表でもある広島県協会の衣川知孝事務局長。地元で建設会社の代表取締役でもある衣川さんは、今大会の実行委員会事務所を自分の会社内に設置。大会申込書から、電話対応まで事務処理の場所を提供した。

 レスリング関係者が「アジア大会や広島国体には、誰でもが何らかの形で関わっている」と口をそろえるが、今大会の運営には、不景気の影響もあり、資金の面なども含めて、以前のビッグイベントと同じようにはいかなかった。企画総務委員長の衣川さんの妻・小百合さんは「レスリングを見たこともない方たちにも、ボランティアとしてたくさん手伝っていただきました」と話す。また、「インターネット動画配信も、『世界と子供たちを繋げましょう』というボランティアの方からの持ち込み企画だったんですよ」と話す(右写真=大会を支えた人たち。左から衣川知孝・協会事務局長、衣川小百合さん、倉本大地さん、富樫雅司さん)

 それでも、初のヒロシマ大会を成功させようと、様々な試みがなされた。史上初となるインターネットライブ中継のほか、大会を3日で行うのではなく、1日目は午後からの計量と開会式のみに設定し、試合は2日間で実施。1200人もの選手が出場したが、進行は滞りなく、1日目は午後5時前に、最終日は午後2時前には全試合が終了するなど、スムーズな運営ができた。

■来場者にお願いした平和祈願の千羽鶴は2015羽

 一方で、式典委員長の富樫雅司さんは、「広島でしかできない大会をやりたかった」と、こだわりを持った大会を目指した。原爆投下から65年が経過し、戦争の非業さが子供たちに伝わりにくくなっている。「この夏休みは、レスリングの試合とともに、平和学習を一緒にしてほしかった」と富樫さん。会場の広島グリーンアリーナから目と鼻の先には、原爆ドーム、さらに5分歩くと平和記念公園が広がっている。

 この立地条件を生かさない手はない。「当初は、原爆被害者の象徴、佐々木貞子のパネルを飾るなど、多くの案を出しましたが、まずは試合運営が第一ということもあり、実現できませんでした」と少し残念そう。それでも、会場に折鶴コーナーを設け、来場者に平和祈願として千羽鶴を折ってもらった
(左写真)。大会2日間で折られた鶴は、2015羽にのぼった。広島大会を十分にアピールできたと言えるだろう。

 今大会は、東京開催の時には地元感覚で参加できたクラブからも評判がよかった。埼玉の和光少年少女クラブの藤川健治監督は「地方開催のために、エントリーを取りやめた選手はいません。逆に、広島でやることにより、今大会は家族総出で応援に来ています」と話した。

 来年は新潟で開催される。昨年は新潟国体が行われ、毎年3月には全国高校選抜大会が開催されるなど、レスリングの運営には慣れている。どんな工夫をこらした大会になるか楽しみだ。



  ▲一覧ページへ戻る