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【特集】女子ワールドカップ出場選手の声・表情【2010年3月29日】

(文=樋口郁夫)  
 

三村冬子 甲斐友梨 松川知華子 正田絢子 伊調 馨 新海真美 浜口京子



 【48kg級】三村冬子(日大)

 昨年に続いての出場。シニア初の国際大会ともなった昨年は「当たって砕けろ」という気持ちだったが、今年は「最初の試合の自分が勝たなければ」という気持ちだったという。

 そのせいか、初戦の趙沙沙戦(中国)は動きが硬く、0−2で黒星。「初めてのタイプ。ポイントを先制されて焦った」という。第2ピリオドは1−1のラストポイント勝負にまでもつれ、「最初からしっかりやっていれば勝てた」と悔いが残った。

 3位決定戦のウクライナ戦でもラストポイントによって2ピリオドを落としてしまい、「気持ちの弱さを実感しました」と反省したが、その中でも「自分から攻めて取りにいけたのはよかったと思う」という光明もあった。

 坂本日登美(自衛隊)の参戦により、世界への道は厳しいことが予想されるが、この経験を今後に生かせるか。


 【51kg級】甲斐友梨(アイシン・エィ・ダブリュ)

 世界3位の選手として初めて世界規模の大会に出場したが、初戦の李絵(中国)戦で黒星。第2ピリオドの終盤に3点タックルを決めるなど調子が出たが、エンジンがかかるのが遅かった。

 「 なぜかフワフワしていた」とのことで、第1・2ピリオドともにかかってしまったガッツレンチは、「いつもと違う場所を極められ、防げなかった」そうだ。世界には多くのタイプの選手がいることを思い知らされた大会になったようだ。

 最終日は夕方から3位決定戦の1試合だけだったが、これも「最初は動きが悪かった。その日の初戦はいつも動きが悪い」という。スロースターターの返上と、パワーでくる外国選手に対して縮こまらないことを課題に挙げ、今年の世界選手権優勝を目指すという。


 【55kg級】松川知華子(ジャパンビバレッジ)

 4試合全フォール勝ちという快挙を成し遂げた。得意のがぶり返しも何度か決めることができ、実力アップを感じさせる内容だった。

 しかし第1試合の楊森蓮(中国)戦は、グラウンドで一気に6点を取られテクニカルフォールされる屈辱も。「いつものくせ。1点を取られて確実に守らなければならないのに、無理に返そうとして…」と反省した。

 終わってみると、4試合フォール勝ちは気持ちよさそう。3位決定戦のイリナ・カリフ(ウクライナ)戦では、第2ピリオドに納得できない判定を受け、その後に怒涛の攻撃。「あれで吹っ切れた」と振り返り、それが第3ピリオドとのフォール勝ちへつながった。

 「意識せずに技が出た時は、きちんと決まりますね」。体に覚え込ませることが実戦で使える唯一の成功法ということか。日本協会の福田富昭会長は「あの吉田(沙保里)と練習を積んでいるんだ。強くなるのは当りまえ」と期待を寄せた。


 【59kg級】正田絢子(京都・網野高教)

 ワールドカップの出場は2005年以来5年ぶり。初戦の劉風鳴(中国)に黒星スタートとなった。昨年11月にはニューヨークの大会に出場しているが、「アメリカの大会に参加そた」という感覚。国際大会となると2008年10月の世界選手権以来、1年以上となるため、試合勘が戻っていかなったようだ。

 その世界選手権も東京で開催されたものであり、国内での大会という感覚だったという。感覚的な国際大会は2007年9月にアゼルバイジャンで行われた世界選手権以来で、このあたりが少しは影響したのか。「指をすごい力で握られ、気持ちの面で負けていたかも」と振り返った。
 
 また第1ピリオドに先制点を取り、安心してしまった面もあったという。「普段、(教え子の)高校生に「1試合、1試合を大切に」と教えているだけに、「自分でそれがせきなかった。反省材料です」と言う。

 しかし最後の3位決定戦で快勝。「勝って終わることができた。終わりよければ、よしとしましょう」と、気持ちは上向いて大会を終えることができた。「中国の強さを実感した」という発見とともに、実りある遠征となったようだ。


 【63kg級】伊調馨(ALSOK綜合警備保障)

 2008年8月の北京五輪以来、約1年8ヶ月ぶりの国際大会は、出場4試合で失点0という内容で4連勝。その中には昨年の世界選手権3位のジャスティン・ボウチャード(カナダ)もおり、休養のブランクを埋めて五輪時の実力に戻ったような結果を残した。

 しかし本人は「100パーセントじゃないことに気がついた。体力も技術も、まだまだ伸びしろがある」と振り返った。特に初日は「(攻めこめない)臆病な自分がいた」と厳しく分析。世界3位の選手を破ったとはいえ、約9ヶ月のカナダ滞在中に何度も練習していた相手で「やりやすい相手」とのこと。

 この4連勝は「強い選手が出ていなかったから」と分析し、「相手はダメ元で向かってきていて、それをさばいただけ」と、攻撃できなかった内容に不満は残ったようだ。

 しかし「来てよかった。来なかったら、マンネリの練習が続いていたと思う」と話し、今後へ向けての貴重な経験にはなった様子。世界一返り咲きに向けて、大きな転機となりそうなワールドカップ出場だった。


 【67kg級】新海真美(アイシン・エィ・ダブリュ)

 67kg級としては2006年以来のワールドカップ出場(2007年に72kg級で出場)となった大会は、2勝2敗とやや不本意な内容で終わった。
 
 3位決定戦のアラ・チェルカソバ(ウクライナ)戦は、ウクライナのチャレンジ(ビデオチェック要求)によって判定が覆り、負けとなった。「マリオ(国際レスリング連盟の審判委員長)が出てきたので負けになるかな、と思った。沙保里さんの時(2008年のこの大会で吉田沙保里の連勝記録がストップした時)もそうでしたから」と振り返り、「自分が攻めていない時だったので仕方ありませんね」と反省。「だれがどう見ても自分のポイント、というレスリングをしなければなりません」と、自分への厳しさを口にした。

 1回戦で闘った中国選手は、昨年の72kg級の世界チャンピオン。1−2で敗れたものの、撮られた2ピリオドはいずれも0−1で、「恐れる相手ではない。手の内が分かったので、次に闘う時には負ける気はしない」ときっぱり。世界選手権で闘うことになっても、自信を持って闘えそう。「今後につながる大会だったと思います」と大会を振り返った。


 【72kg級】浜口京子(ジャパンビバレッジ)

 初戦で2008年10月に苦杯を喫した洪雁(中国)にリベンジしたあと、2回戦で世界ジュニア・チャンピオンのナタリア・ボロベバ(ロシア)の飛行機投げを受けた際にろっ骨をひねり、屈辱のフォール負け。「腕をがっちり決められていて、「防ぐことができなかった」と言う。

 試合直後は、息をすることも声を出すことも苦しいという激痛に襲われ、以後の試合の棄権も考えた。しかし3回戦が始まる前に「団体戦での棄権はよくない」と思い、薬とテーピングでこらえて出場を決意。相手は4年前に負けたことのあるオヘネワ・アクフォ(カナダ)。思うように攻撃ができない状態だったにもかかわらず、第1・2ピリオドとも2分間を0−0で闘う善戦。

 結果としてクリンチの攻防の双方で敗れてしまったが、「この状況でアクフォとここまでできたことが収穫。自信になる」と言う。

 最終日も痛みをこらえて出場し、ウクライナの若手選手を2−1で下して地力を見せた。負傷後の2試合も試合内容をしっかり覚えており、「落ち着いて闘うことができた」と言う。「やっとレスリングが分かってきた」とも口にし、2012年ロンドン五輪へ向けての巻き返しを誓っていた。


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