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【特集】自衛隊を退官し、故郷から世界を目指す2007年アジア銀メダリスト、大館信也【2010年3月18日】

(文=増渕由気子)
 

 「4月から高校の先生になります」。3月6日に自衛隊の朝霞駐屯地で行われた全自衛隊選手権で、大会運営側に回っていた大館信也(自衛隊=左写真)が笑顔で話しかけてきた。2012年ロンドン五輪を目指して、昨年再出発したばかりなのに、突然の告白。レスリングを続けるのに最高の環境である自衛隊体育学校を去って、地元・青森で母校の八戸工大一高の教員になるその理由は―。

■負傷も治り、これからという時に急展開

 自衛隊を辞めることについて、大館は「選手として一区切りつけることは間違いないです」と、第一線で闘う選手としてピリオドを打つことを認めた。昨年1月にひざの半月版を痛め、約8ヶ月間の辛いリハビリを乗り越え、今年は本格的に世界選手権やアジア大会の日本代表を狙いにいく予定だっただけに、急展開の出来事だった。

 自衛隊の同学年では2006年ドーハ・アジア大会3位の田岡秀規(フリースタイル55kg級)や、2008年全日本選手権2位の谷岡泰幸(グレコローマン60kg級)らは現役続行を決意。「ともに頑張ろうと思っていた」と、退官は自分の本望ではなかった(右写真=2008年全日本選手権決勝で闘う大舘)。

 「青森へ帰るのは家庭の事情です。親父の具合が悪くて…。長男ですから、親としてはそばにいてほしいと言われました。でも、気持ちはすでにロンドン五輪に向いていましたから、青森へ帰ることは、まだ考えられなかったんです」。その気持ちを青森に向けたのは、母校・八戸工大一高の存在だった。

 2000年に全国高校選抜大会、インターハイと春夏連覇を達成したことのある東北の強豪高校だ。「ボクの弟が優勝時の主将だったんですよ」と誇らしげに話すものの、近年は生徒集めも苦戦し、今季は学校対抗戦で東北ブロックを勝ち抜けず、3月27日から始まる高校選抜大会には出場を逃したという。

■地方在住で世界を目指すのは、厳しいことは知っているが…

 「監督やコーチからは、おまえが教師として戻ってきてくれたら、うれしいよ」と常に言われており、実際に青森に帰ることが決まると、すぐに教員になれるように取り計らってくれたという。「最終的には指導者になりたいと考えていましたが、まだ時期尚早だなと思っていました。しかし、自分をこれだけ必要としてくれる人がいるのを知って、(青森でやっていくんだと)腹が据わりました」。

 4月からは保健体育の教師が大館のメーンの仕事となり、そのかたわらでレスリング活動を続ける
(左写真=自衛隊大会では審判も務めた大舘。今後は教員がメーン)。気になる選手としての活動だが「全日本社会人選手権と国体に出て天皇杯(全日本選手権)の資格は取りたい」と意欲は満々。

 近年では、地方を拠点に置く選手が世界選手権に行くケースも珍しくなくなった。男子フリースタイル74kg級の2007年世界選手権代表の萱森浩輝(新潟・新潟県央工高教)もその一人。「遠征でよく一緒になることが多く、励まされることが多かった」と振り返る。

 さらに、地元には大館のお手本となる先輩がいる。フリースタイル63kg級の元全日本王者の金渕清文(光星学院高教)だ。08年大分国体では準優勝、昨年の新潟国体では優勝と、レベル高い66kg級で、指導と選手活動を見事に両立している。大館も、「地方で日本のトップに居続けることは甘くないと思いますが、あわよくばという気持ちはあります」と、これからも上位を狙っていくつもりだ。

■目標とする指導者は和久井始コーチと和田貴広コーチ

 指導については「和久井始コーチ(自衛隊=前全日本コーチ)のような情熱を持つこと」を念頭に置いている。「レスラーになって、初めて自分以外の人のために勝利を捧げたいと思った」というほど熱心に指導してくれた。退官することを報告した際、「まだまだこれからだろう」と寂しそうな表情を見せた和久井コーチのためにも、新天地での活躍を見せなければいけない。

 大館に“世界が身近である”と教えてくれたのは和田貴広(現国士舘大コーチ)だった。「自分が国士舘大に入学した時、和田先輩はシドニー五輪直前でバリバリの現役。一緒に練習してそのすごさが分かった」と、自身も上を目指すきっかけになったそうだ。

 自衛隊時代の一番のハイライトは2007年のアジア選手権(キルギス)準決勝、イランのケルマニ・メフディ・タガビとの一戦だ
(右写真)。タガビは当時、世界ジュニア選手権を連覇した若手成長株で、2009年にはアジア選手権と世界選手権で優勝している。「そのときのセコンドには和久井さんと和田さんが座ってくれたんですよね。尊敬している2人が付いてくれて、安心できましたし、これ以上ない喜びだった」。信頼できる両コーチのサポートのおかげで、その大一番を勝ち抜いてアジア選手権銀メダルに輝いた。

 「和久井さん、和田さんのような指導者になりたい」――。新たな夢と抱いて、大館信也が指導者の道を歩みだした。


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