【特集】「プロの試合の厳しさを痛感しました」…ドイツから帰国の松永共広選手(ALSOK綜合警備保障)に聞く【2010年1月26日】



 2008年北京五輪男子フリースタイル55kg級で銀メダルを獲得し、昨年秋から今年にかけてドイツの“プロリーグ”、ブンデスリーガに参戦した松永共広(ALSOK綜合警備保障)が、リーグ戦の全日程を終えて帰国した。

 ブンデスリーガのクラブチーム「RWGメンブリス・ケーニヒスホーフェン」に昨年の夏すぎから合流。マイナーリーグを含めて15試合に出場し、14勝1敗という成績をおさめた。ブンデスリーガには過去にも日本人選手が参戦したことはあるが、五輪代表選手がシーズンを通して所属したことは初めて。初物づくしの世界に挑んだ松永に話を聞いた。(聞き手=増渕由気子)


■けがをしていても、チームのために闘わねばならなかった

 ――ブンデスリーガ参戦お疲れ様でした。リーグ戦を終えて今の気持ちはいかがですか?

 松永「厳しかったです。けがをしても休ませてもらえないという厳しい戦いでした」

 ――けがの部分は?

 松永「リーグ戦途中に首を痛めましたが、『出てもらわないと困る』と言われました。試合をやめて帰国も考えたほどでしたが、プロなので参戦を続けました」

 ――チームのフリースタイル60kg級は松永選手のみの登録だったのですか?

 松永「実は若い選手がもう1人いました。首の状態は医者からも試合を辞めることを勧められるほどのもので、2番手の起用をフロントに提案してみましたが、やはりチームの勝利を考えると、僕に出てほしいといわれましたね。これがプロの厳しさなんだなと思いました」(右写真=試合を待つ松永選手、本人提供)

 ――1ポイントが勝敗を分ける本格的なリーグ戦は、日体大時代の学生リーグ戦以来だと思いますが。

 松永「試合は、55kgから始まって、120、60、96、66、84と続き、大将戦は74kg級です。大学のリーグ戦とはまた違った感じで、いい経験になりました。学生時代と同じく、自分が勝ったり、ポイントを稼がないとチームに貢献できません。僕は真ん中くらいの試合順でしたので、チームの勝負が回ってくることはありませんでしたが、74kg級の選手のプレッシャーはとても大きいと思います。僕のチームの74kg級は19歳の選手でした。こんな若いうちから大将としてプレッシャーのかかる中、闘うなんて貴重な経験を積んでいると思います」

 ――松永選手は29歳ですが、10歳も年下の選手が大将を務めていたのですね。

 松永「そうですね。リーグ戦には18歳くらいから42歳くらいまで幅広い年齢層の選手がたくさんいました。日本にはない環境でしたね」

 ――北京五輪銀メダリストという肩書きはチームにどう映りましたか?

 松永「いい意味で期待されていました。しかし、五輪2位の実力はどんなものかと試されている感じもしました。日本では毎週試合をやる環境などありませんし、本当に厳しい戦いでした」

■4月末の全日本選抜選手権に出場し、世界選手権出場を目指す

 ――夢に挑戦したシーズンもあっという間に終わってしまいましたが、また参戦したいという意思はありますか?

 松永「それはあります。次はいつという明確なプランはありませんが、また参戦してみたいです。次回は優勝に絡むような戦いをしてみたいですね。今回はメンブリスに所属しましたが、違うチームにも興味があります」(左写真=ブンデスリーガで闘う松永、ビル・メイ提供)

 ――さて、北京五輪後に抱いていた一つの夢はかないました。今後のプランを教えてください。五輪後は「燃え尽き症候群になった」とおっしゃっていましたが、今はどのような気持ちですか?

 松永「肉体的にはかなり戻りました。予定ですが、4月末の明治乳業杯全日本選抜選手権に出場したいと思っています」

――アマチュアに現役復帰ですね。今年はアジア選手権と世界選手権に加えて4年に一度のアジア大会があります。非常にやりがいがあるのでは?

 松永「アジア大会は出場したことがありません。ぜひ行きたいですね。2002年まではは(田南部)力先輩がいたので出場のチャンスがなく、2006年大会(カタール・ドーハ)は国内で田岡(秀規=自衛隊)選手に負けてしまいました」

 ――五輪で悲願のメダルは取りましたが、世界選手権でメダル、そして優勝するというのは、一度燃え尽き症候群に陥った松永さんでも非常にやりがいがある目標ではないでしょうか?

 松永「そうですね。まだ世界選手権も2回しか出ていませんし、優勝を目指してみたいですね」

 ――フリースタイルの55kg級は勢力図が激しく変わっています。強い若手もたくさん出てきました。その中で、松永選手のライバルで同期生の田岡選手が今も第一線で活躍していますが(昨年は全日本社会人選手権で優勝し、全日本選抜選手権、全日本選手権はともに準優勝)。

 松永「若手が育ってきているのは知っています。同い年の田岡選手が頑張っているのは励みになりますね。また決勝で闘えればいいなと思っています。

★ブンデスリーガ 

 ドイツにあるレスリングのクラブチーム対抗戦の総称。サッカー・リーグの名称と思われている面もあるが、サッカー以外にもレスリング、卓球などの種目がある。レスリングは東リーグと西リーグに分かれており、各リーグ10チームずつ所属している。それぞれ8月下旬に開幕し、一次リーグは12月下旬まで。翌年1月からは、各リーグの上位4チームが2次ラウンドに進み、1月の下旬と2月の上旬にリーグ優勝者同士の決勝ラウンドを行う。

 試合形式は、10人の対抗戦で55、60、96、120kg級はシーズンによってフリースタイルかグレコローマンが行われ、66〜84kg級は常時両スタイルが実施される。日本人では過去に日体大卒の柳川益美・現群馬大部長が1974年に「エファレン」に1シーズン所属。その後、柳川氏の紹介で2人ほどブンデスリーガに参戦している。1984年ロサンゼルス五輪金メダリストの宮原厚次(自衛隊前監督)は、1989年にドイツにコーチ留学した際に、コーチとして参戦している。

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