【特集】全日本選手権の初戦敗退で闘志に火がついた!…男子フリースタイル66kg級・小島豪臣(K−POWERS)【2010年1月25日】

(文=樋口郁夫)


 2009年世界選手権の銅メダリスト、米満達弘(自衛隊)が欠場した同年12月の全日本選手権男子フリースタイル66kg級。同級のだれもが、この機に乗じて日本王者を狙い、世界への飛躍をもくろんだ。

 2006年ドーハ・アジア大会銀メダリストで、2008年北京五輪前は同代表の最右翼とも考えられていた小島豪臣(K−POWERS)は、初戦で池松和彦(福岡大助手=優勝、2004年アテネ・2008年北京両五輪代表)に黒星(右写真)。そのため新年最初の沖縄での全日本合宿に参加できず、屈辱の思いで2010年のスタートを切ることになった。

 しかし、その実力は全日本の強化スタッフから十分に認められている。1月16日からの第2回合宿(東京・味の素トレーニングセンター)への参加を認められ、3月に予定されている全日本チームのベラルーシ遠征に声がかかって、自費ながら参加することが内定した。

 2012年ロンドン五輪を狙う同級の強豪選手の中で、米満に一度も負けていないのは小島だけ(不戦敗を除く)。けがに襲われたりもして、ドーハ・アジア大会のあと日本代表に手が届いていないが、2012年に照準を絞ってじっくりと実力をたくわえている。

■「中途半端に勝つよりは、初戦で負けた方がよかった」

 全日本選手権は初戦敗退という結果だった。だが、強化スタッフは結果だけではなく内容で選手の実力を見極めている。負けたとはいえ、池松との実力に大きな差はない。それがゆえに、上位入賞ならずとも全日本チームの合宿や遠征に声がかかったわけだが、それであっても、「初戦敗退」という結果を変えることはできない。新年のスタートの合宿に呼ばれなかったことは「寂しかった」と言う。

 ただ、「中途半端に上へ行って負けるより、初戦で負けた方がよかったです」と言う。2位や3位なら、満足感とは言わないが、最低限度のラインはクリアしたという気持ちにはなるだろう。初戦敗退からは何の達成感も得られない。その分、発奮しなければならない気持ちが生まれる。自分を追い詰めるためには“いい結果”だったのかもしれない。

 その全日本選手権の池松戦を振り返ってもらった(左写真=池松のガッツレンチを受けてしまった小島)。答の第一声は「弱いから負けたんです」。具体的な敗因などは一切語らず、「負けて見えてきたことがあった。その課題を克服したい。自分のレスリングを見直すいい機会だった。このままじゃいけないことが分かった」と、この黒星を上昇のためのエネルギーにしようとする姿勢を示した。

 池松はすでにベテランの域に入っており、体力的には小島や2位に入った佐藤吏(ALSOK綜合警備保障)の方が上だろう。だが「精神力がすごいんです」と評する。具体的な強さを問われても、何がどう強いかは表現できないようだが、五輪に2度出場している選手の持つ強さ。「それを超える精神力をつけなければ、いつまでたっても勝てません」と言う。

■3月にはベラルーシで欧州選手相手に合宿と試合を予定

 北京五輪出場を逃したとはいえ、視線は常に世界に向いていて、行動に移している。そのひとつが、韓国のソウル体育大学への度重なる遠征だ。個人のつてで実行している海外武者修行。ふだんの練習拠点としている日体大での練習が、同大学部員の不祥事によって自主練習しかできなくなっただけに、韓国のトップチームで練習できることは大きい。日体大の活動停止がいつまで続くか分からない状況下では、ロンドン五輪へ向けて貴重な練習環境を確保したといっていい。

 もちろん練習だけでは不十分。前述の通り、この冬は自費ながら全日本チームの遠征に加わってベラルーシへ出向き、合宿と試合出場を果たしてくる。海外での試合出場は、2008年11月にアジア選抜の一員として参加したCSKAカップ(モスクワ)以来。個人戦に限れば2007年3月のヤシャ・ドク国際大会(トルコ)以来となる。

 佐藤満強化委員長(専大教)から声がかかったものだというが、「最近、(国際大会が)少なかったので、試合勘を取り戻したい。練習と試合とは違う」との理由で、自分からお願いしようと思っていた矢先だったという。「楽しみ」と言い、「1月、2月はしっかり体をつくりたい」と万全のコンディションで臨む予定(右写真:全日本合宿でライバルの一人の藤本浩平と闘う小島=左)

 全日本チームは1月下旬からロシアと米国に分かれて遠征第1弾を実施するが、「そちらには呼ばれても参加しなかったと思います。自分の考えたメニューをしっかりこなし、3月に最高の状態をつくりたい」と、この冬の計画を描いていた。ベラルーシで全日本選手権での汚名を返上したあとは、明治乳業杯全日本選抜選手権(4月30日〜5月2日、東京・代々木第2体育館)での逆転の日本代表権奪取にかけるのは言うまでもない。米満に対して相性がいいだけに、燃える気持ちは十分だ。

■アジア2位に輝いたとはいえ、甘さがあった北京五輪前

 「今後も東京で行われる全日本合宿には参加したい」と言う小島。これまでは、呼ばれても、けがをしている時には断ることがあったそうだが、今はそうした気持ちはない。多少どこかが痛くても全日本の合宿には参加したいそうで、「けがを治すことも大切だけど、みんなと練習したい」という気持ちになっている。

 「(以前の)そういう気持ちだったことが、自分の甘さだったんですよね」。負けたことで、かつてないやる気が出てきたことだけは確かだ。「いま、こういう経験してよかったです。北京五輪の前みたいに、途中で勝ちながら最後に負けることはしたくないですから」−(左写真:スパーリングの合間にも構えの練習。絶え間なく動いていた小島=背中)

 北京五輪で銀メダルを取った55kg級の松永共広(ALSOK綜合警備保障)は、期待されながら2006年につまずき、同年の世界選手権とアジア大会に出場できなかった。その時、周囲は「(負けたのが)今年でよかった」と口にしていたが、あの黒星があったからこそ、北京での松永があった。

 今回は初戦敗退に終わった小島。“災い転じて福となす”という言葉を実践し、松永と同じ、いや松永以上の成績を残すことができるか。


iモード=前ページへ戻る
ニュース一覧へ戻る トップページへ戻る