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【特集】「東北のみんなを元気づける!」…現役続行の男子グレコローマン74kg級・田村和男(ワセダクラブ)
【2011年4月8日】

(文=増渕由気子)


 2010年の全日本選手権―。最大の“事件”は、男子グレコローマン74s級で起こった。高校、大学と無冠で、全日本学生選手権2位が最高という田村和男(当時早大=現ワセダクラブ、右写真)が、一気に全日本チャンピオンに上りつめた。それも2回戦でアジア大会2位の鶴巻宰(自衛隊)を、決勝で昨年の世界選手権5位の金久保武大(ALSOK=当時マイスポーツハウス)を破る文句なしの優勝だった。

 田村は岩手県の旧松尾村出身。中学までは相撲に精を出し、専大北上高へ進んでからレスリングを始めて早大に進学。早大では珍しいグレコローマン専門選手として活躍し、大学4年で全日本学生選手権74s級で準優勝した。身長165cmと小柄だが、相撲上がりのパワーは破壊力満点だ。

 一夜にしてシンデレラボーイとなった田村だったが、優勝インタビューでは「今日は学生最後の試合で、引退します」と、競技生活に終止符を打つと宣言した。早大の太田拓弥コーチは「現役続行させる」と鼻息を荒くしたが、有終の美を飾り、卒業後は地元に戻って職を探すという田村の意思は固く、ナショナルチームの冬の遠征は断ってしまった。

■地元の恩師の「引退待った」で現役続行を決意

 だが、岩手に帰郷した田村を地元関係者がほうっておくはずがない。地方新聞で田村の優勝は大きく掲載され、どこへいっても祝福された。地元の恩師たちに引退のあいさつに出向いたが、高校の恩師・田口裕道監督からは「もったいないからやれ」と激励され、相撲時代の恩師たちにも「(五輪出場を)期待している」と現役を続けるように口説かれた。

 地元で公務員を志望していた田村だったが、「このように応援してくれるとは…」と予想以上に地元が自分に期待を寄せていることで気持ちが揺れた。「よし、続けるぞ!」−。この3月に卒業の見通しがついていたが、単位を残して留年を選び都内でレスリングを続けることを決意した。

 冬の遠征不参加から一転、2月の全日本合宿は正式メンバーとして初参加。これまでの“通い参加”とは異なり、主役の一員としてコーチから集中的に指導を受けた。
(左写真:2月の全日本合宿で、最前列で激励の高木義明文部科学大臣の話を聞く田村=右から3人目)

 「合宿についていくだけで精いっぱいだった」と、挑戦者の気持ちのまま走り抜けた合宿は、練習メニューのすべてが新しく、海外遠征で培った計算され尽くしたナショナルコーチの技術指導では、ノートにメモしながらすすめたという。

 全日本レベルの練習は、肉体的には辛かったが、気持ちは「楽しい」としか記憶が残っていない。それは現役を続ける新しい目標を見つけたからだ。「全日本レベルの選手たちは意識が高く、妥協しないんです。目からうろこですね」。」。所属先に戻った後は、全日本で浮き彫りになった課題の克服に励んでいる。


■レスリングで地元のみんなを笑顔にする

 4月29〜30日の明治乳業杯全日本選抜選手権(東京・代々木競技場第2体育館=同級は30日)で優勝すれば、9月の世界選手権(トルコ・イスタンブール)に出場できる。だが、田村の気持ちは今、それ以上のものに膨らんでいる。「五輪に出たい。今年の世界選手権も行きたいけれど、大切なのは年末の試合(全日本選手権)」。
(右写真=昨年12月の全日本選手権、優勝を決定づけたシーン)

 その気持ちをいっそうに強くしたのは、3月11日に発生した東日本大震災だ。田村の実家は岩手の内陸部のため、津波の被害はなかったが、沿岸部の宮古商高をはじめ、東北には田村のアイデンティティー(主体性)を作り上げた馴染みの土地が甚大な被害を受けてしまった。特に宮古市は今年のインターハイ開催地。地元が盛りを見せる矢先の出来事だった。

 田村が今、できること−。「僕ができることはレスリングしかないので、応援してくれた地元のみんなのために、レスリングで元気づけられれば最高です」。東北の復興へのパワーを、田村はレスリングで注入することを誓った。


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