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【特集】安達巧監督就任2大会目にして優勝…日本文理大
【2011年5月23日】

(文・撮影=樋口郁夫)




 3シーズン前に初優勝を遂げた以来の決勝進出となった日本文理大。今回、3季連続の決勝進出を果たし初優勝を目指す中京学院大。西日本学生リーグ戦の新たな1ページとなった決勝は、日本文理大が4−3で競り勝ち、安達巧監督になってから初めての栄冠を手にした。(右写真=胴上げを受ける安達監督)

 試合は、日本文理大が不利を予想された初戦(55kg級)を取ったことで一転して有利となり、3連勝し、あっさり勝負が決まるかと思われた。しかし勝負は分からない。中京学院大が3連勝して3−3。第6試合(84kg級)の加藤敬典は第1ピリオドを落とし、絶体絶命の状況から第3ピリオドのラスト1秒で勝ち越すという内容。試合の流れは中京学院大に傾いて7試合目に突入した。

 雌雄を決する66kg級は大激戦。ピリオドスコア1−1のあとの第3ピリオド、日本文理大の佐々木将吾がリードして終盤へ。中京学院大の高橋啓が攻め、一瞬だがスコアが逆転。しかし佐々木が返してフォールの体勢へ持ち込み、値千金のフォール勝ち。日本文理大陣営が歓喜に包まれた。

■教えてきたことを、選手が忠実に実行してくれた

 日体大を指揮していた安達巧監督を迎えてから1年あまり。安達監督は、昨年のこの大会は、日体大の対外活動停止期間中だったため活動を自粛していたので、セコンドにつくようになってから2大会目にしてチームを優勝に導いた。

 安達監督は、優勝を決めた最後の試合の佐々木の粘りのフォール勝ちもさることながら、初戦で濱田裕馬主将がラスト5秒の攻撃で逆転勝ちしてくれたことが、「優勝のポイントだった」と振り返る
(左写真=逆転勝ちし、マット上を駆け回った濱田)。濱田は桑木に対して、これまで1度も勝ったことがなかったという。

 しかし、安達監督が指導してきた攻撃レスリングを貫いてくれ、持てるものを出していた試合だった。負けても怒れない内容で、「よくやってくれた。第2試合以降につながる」というねぎらいの言葉が脳裏をよぎりかけた直後に展開された逆転勝ち。「あの1勝が、本当に価値ある1勝でした」と、主将の意地を褒め称えた。

 「優勝があたりまえという日体大での優勝とは、ひと味違いますね。後藤(秀樹)コーチが基礎をつくっていてくれたので1からというわけではないけど、優勝を勝ち取ったという気持ちです」と、新チームとして初めて宙を舞った感想。「教えてきたことを選手が忠実にやってくれたことが、何よりもうれしいです。優勝できなくとも、今回の試合内容だったら満足。だから決勝は『負けてもいいから、今の闘いをしろ』と言った」という。それが、選手が伸び伸びできた要因なのかもしれない。

 日体大時代に部員の不祥事を経験した反省から、選手との距離は今まで以上に近づけたという。「生活もしっかりさせました。去年は授業をさぼる選手もいたけど、そうしたことがなくなりつつあります。授業にしっかり出て生活のをきちんとすることが、競技力の向上にるながるんです」と話し、マットを降りたところでのめりはりも優勝の原動力だったようだ。

■西日本で競り合ってレベルを上げ、東日本に追いつく!

 優勝に大きな貢献を果たした濱田主将は「後輩に感謝しています」と第一声。第1試合となった自身の試合は「すごく緊張したけど、ここで負けたらチームが負けると思い、気合を入れていきました」と振り返る。過去3戦3敗の選手が相手だったが、「ここで勝たないとチームが勝てない」と言い聞かせ、ポイントを取られても攻める気持ちを忘れずに闘ったという」ラスト10数秒からの逆転勝ちは「無意識に出た」と言う。

 就任2大会目にしてチームの頂点に立ち、西日本で不動の地位を築く足掛かりができたと思えるが、安達監督は「今回は、たまたま勝ったようなものです。まだ絶対の強さではない」と話し、手綱をゆるめるつもりはない。「東日本の大学とはまだまだ差があるし、夏のインカレ(全日本学生選手権)では1人でも多くの選手が3位以内に入れるように指導していきたい」と話す。
(右写真=最後の試合でフォール勝ちし、優勝を決めた日本文理大)

 確かに、優勝が決まった最後の試合は、負けた高橋も攻撃したゆえのフォール負けであり、中京学院大からすれば責めることができない黒星。最後まで試合をあきらめることのない敢闘精神は、今後の成長を予感させてくれる。全体でも、次に闘えば勝敗はどちらか分からないような試合が少なくなかった。日本文理大が抜け出した優勝ではない。この優勝で満足してしまっては、すぐに引きずり降ろされるだろう。

 もっとも、安達監督の目標は自チームのリーグ戦優勝ではない。決勝で闘った中京学院大以外にも、「徳山大、福岡大、立命館大と横一線。みんな競っていけば、西日本のレベルが上がる。東日本に追いつくよう、みんなで頑張りたい」と話し、西日本全体の発展を望んだ。



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