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【特集】西日本学生界に新たな力を呼び起こせるか、創部10年目の帝塚山大
【2011年5月30日】

(文・撮影=樋口郁夫)




 日体大と拓大OBが監督やコーチとして率いるチームが上位を占めた今年の西日本学生春季リーグ戦(5月21〜22日、大阪)。東日本の大学と大学日本一を争う日も、そう遠い日のことではないような状況になってきたが、西日本学生界のレスリングを支えているのは、そんなチームだけではない。西日本の大学出身の監督が率いるチームも、チャンピオンを目指して奮戦。東日本に追いつくべく努力を重ねている。

 そのひとつに、2001年に創部された帝塚山大(奈良市)がある
(右写真)。今季は二部リーグで3勝2敗。勝ち数の関係で4位に終わったが、内容次第では2位の可能性もあった。昨年の春季大会では2位に躍進しており、悲願の二部優勝(一部昇格)を視野に入れられるところまで実力をつけてきた。

 石山直樹監督は「0からのスタートでした」と振り返る。10年を振り返り、理想と現実とのギャップに苦しめられながら、「今の4年生が入学してきた頃から、やっと理想のチームに近づくことができました」と話す。同監督は大会の競技委員長として会場設営や運営面にも尽力し、会場を出るのはたいてい一番最後だ。競技力向上以外の部分でも西日本学生レスリング界のステータスアップに情熱を燃やしている。

■東日本と西日本を融合したようなチームづくりがスタート

 石山監督は岐阜・各務原高〜同志社大のOB。3年生の時(1990年)にチームがリーグ戦で優勝。これ以降、同志社大は優勝を経験していないので、現段階では「優勝カップを持った最後の選手です」とのこと。帝塚山大の入試課に就職し、しばらくは同志社大のコーチを務めていたが、「何らかの形で大学に貢献したい」という気持ちと、「自分の思うチームを新たに作ってみたい」という気持ちがつのり、帝塚山大でレスリング部の創部に挑むことになった。

 自分の思うチーム…。それは東日本と西日本を融合したようなチームだという。東日本の大学は著名な指導者のもと、トップを目指して、表現は悪いかもしれないが管理された中で練習に打ち込んでいるイメージがあった。対して西日本は学生の自発性に任せるチームが多かった。その中間をとり、監督が指揮しながらも選手が自主性によって積極的に練習するチームが目標だ。
(左写真=試合後のミーティング)

 自らの7年間の選手生活を振り返った時、一番楽しかったのは「練習のプロセスの充実」だったという。そうした理由もあり、勝つことをだけを目標にするのではなく、「練習好きな部員が集まるチーム」を理想として掲げた。

 しかし、マットや練習場もなく、選手を集めるルートもなかった。強豪大学のOBなら、高校の監督をやっているOBが全国にいて、最初からある程度のルートをつくることはできるだろうが、そうした状況ではなかった。それでも、レスリング部をつくるという気持ちは揺らがなかった。

■理想と現実のギャップに苦しむ

 練習場は、マット10枚ほどを敷ける談話室を使用できることになった。選手集めに関しては、懇意にしている高校の先生が選手を送ってくれ、辛うじて1人を確保。練習場や監督の勤務時間の関係で毎日同じ時間に練習はできないなど困難は多いながらも、監督1人、選手1人のレスリング同好会が何とか動き出すことができた。

 翌春、3人の選手が加わりチームとしての体をなしてきた。2年後の2004年年春季にはリーグ戦に出場を果たし、京都産業大を破って6位スタートというまでに成長した。ところが、思うどおりに進むことばかりではない。選手に「一致団結して頑張ろう」という気持ちが感じられず、このままでは意味がないとばかりに秋季リーグ戦の出場は辞退という苦渋の決断。前進のために、あえて後退する荒治療を選んだ。
(右写真=セコンドで選手にアドバイスを送る石山監督)

 その“治療”によって部を去る選手がいる一方、「部のムードがよくなる」と喜んでくれた選手もいた。しかし、選手の自主性に任せていては、なかなか練習に打ち込んでくれないのが現実だ。練習に出てこない選手が必ずいて、優勝を目指して練習に打ち込んでくれるチームづくりはなかなか現実のものとはならなかった。「指導力不足と言いますか、目指すことが徹底できなかったんです」と、大きな挫折を味わったという。

■試合と練習は、1話でも欠けると成立しない連続ドラマ!

 しかし、3年前の秋、当時の1年生が「このままでは駄目だ」と立ちあがってくれ、部のムードが一新したという。きっかけは特になく、「彼らの気づきでしょう。先輩が練習に来ない状況などに、『これでは駄目だ』という気持ちが芽生えたようです」と分析する。それからは、上級生がいなくても練習するようになり、練習時間も増えた。だれもが嫌がる補強練習にも率先して取り組むようになり、個々の選手の実力が目に見えて伸びていったという。

 「これだけの練習ができるんだ、と思えば、それが自信になって、すべてにいい方向に回転するんです」と石山監督。それらの選手が上級生になれば、下級生も見習う。その成果が昨年春季の2位という結果につながったようだ。

 石山監督の教えのひとつは、「試合と練習の関係は、連続ドラマ」というのがある。「15回の連続ドラマは、ひとつが欠けても意味はない。1回練習を休んだら、それを補わなければならない。試合もそのうちのひとつ。すべてがそろって連続ドラマが完結する」という理論。試合では、出場しない選手も必死の応援が展開され、予選の試合であっても決勝戦のようなムードがある。これも石山監督の「マット上の選手を孤独にするな」という方針からくるもの。どんな試合でもチーム一丸となって闘わせることも、石山監督の目指すものだ。
(左写真=大体大戦の74kg級で勝ち、チームの勝利を決めた4年生の平野誠)

 「強豪チームのような十分な環境や支援体制があるわけではなりません。選手も才能派より努力タイプが多い。その中でどこまで強くなれるか、日々挑戦しています」。“純西日本チーム”の奮戦に注目だ。



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