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【特集】3大被害(地震・津波・原発事故)を乗り越えろ! クリナップ・キッズ
【2011年6月24日】

(文・撮影=樋口郁夫)




 東北太平洋岸に甚大な被害をもたらした東北太平洋沖地震(東日本大震災)。福島県沿岸は地震、津波、原発事故と3つの災害に見舞われた。クリナップのレスリング場がある福島県いわき市は、福島第一原発のある双葉郡の南側約50kmに位置する(中心部=北部は30km圏内)。地震と津波によって約350人の人が亡くなったか行方不明となり、住宅被害は3万戸を超えた。その後、原発事故と向き合わなければならなかった。(右写真=今も海岸部の道路には瓦礫が残る)

 いわき市は強制避難地域ではなかったものの、政府発表の情報は信用ならないと思ったのか、原発事故直後は放射能を恐れて街がゴーストタウン化したという。そのためライフラインの復旧に携わる人が足りず、断水がかなりの地域で長く続くなどした。放射能を恐れて市内に入ることを拒否する流通会社もあり、復興への足どりは宮城県や岩手県より遅かったかもしれない。

 3ヶ月以上経った現在、市内13ヶ所の避難所で生活を余儀なくされている人は約300人。海岸部は今も津波の傷跡が残り、被害の大きさを感じさせる。

 クリナップが運営しているキッズ教室(クリナップキッズいわきレスリング教室=
左写真)は震災の直後から練習できない事態となり、2ヶ月以上たった5月25日にやっと再開できた。2ヶ月以上のブランクによって、選手の実力が低下してしまったのはやむをえまい。4人の中学生選手(うち1人は千葉県へ避難)が参加した今月の沼尻直杯全国中学生選手権は、1勝4敗という成績だった。

■震災のあと2ヶ月以上で、やっと選手たちの歓声が

 それでも、マットに戻ることができたのは幸いだ。7月末の全国少年少女選手権(新潟市)までの期間は約2ヶ月。今村浩之監督(1995年全日本選手権グレコローマン74kg級2位ほか、社会人、国体の王者多数あり)は「今年は、結果は求められないですね」と話しながらも、選手の元気な姿を見てほっとしたところ。残る期間に全力を尽くし、少しでもいい成績を残すことが目標だ。

 キッズ・クラブが練習するクリナップの井上記念体育館は、地震によってバスケットボールのゴールが落ちるなどの被害が出た。さらに全国からの支援物資の置き場として体育館を市に提供し、地震直後は段ボールが山積みという状況。万が一の事態にそなえ、学校体育の中止命令が出ていたことで、キッズ教室の活動を自粛することになった。

 それらがひと通り解決したのが5月下旬。体育館の一部には今も支援物資の段ボールが残り、半分は税務署の窓口として貸し出しているためシートが敷かれている。しかし、常設された2面マットには週3回、子供たちの元気な姿が見られる普通の光景に戻った
(右写真=練習するキッズ選手)

 井上記念体育館は1996年に全日本社会人選手権を開催しており、4面マットが敷けるスペースがある。ふだんからレスリング・マット2面が敷いてあり、会社のイベントや展示会がある時にマットを片づける。普通は練習の前後にマットの上げ下ろしをするが、それとは逆の環境。スポーツ・クラブが運営するキッズ教室は別として、マットが常設された練習場を持つキッズ教室、まして2面マットがあるというのは、全国でも例がないのではないか。

■世界を目指す選手と底辺を支える選手の双方に情熱を燃やす

 今村監督は「選手は、この環境のありがたみを感じてほしいですね」と話す。震災でブランクはできたものの、気持ちの持ち方次第では十分に追いつけるだけの練習環境であることは間違いない。節電要望の影響で、ふだんの練習場が使用できなくなった教室は全国に少なくない。多くのクラブが悪環境下での練習を余儀なくされている。震災直後のブランクを言い訳にすることなく、全国大会では元気な姿を見せてもらいたい。

 クリナップにレスリング部ができたのはバブル経済全盛期の1992年。当時はレスリングに取り組む企業が多く、クリナップもその流れに乗ってレスリング部がスタートした。バブル経済の崩壊によって多くの企業がレスリング部を手離さざるを得なくなったが、1994年に選手として加わった今村監督が現役引退後にも指導に情熱を注ぎ、会社へも熱意を伝えて現在まで存続している。
(左写真=選手を指導する今村監督)

 その間、2000年シドニー五輪に宮田和幸選手(現プロ格闘家)を出場させ、2003年世界選手権に諏訪間幸平選手(現プロレスラー)を送った。現在はフリースタイル74kg級の長島和幸選手のロンドン五輪出場をバックアップする。一方でキッズ教室の運営にも力を注いだ。最近は大人のためのレスリング教室を開講。今春には男子1選手(グレコローマン74kg級・渡部友章)と女子2選手(67kg級=井上佳子、72kg級=鈴木博恵)を採用した。すなわち、クリナップはオリンピックを目指す男女選手を育てる一方、体育館を提供してキッズとビギナーのための教室も開講するという、トップの強化と底辺の普及という両方に情熱を燃やすチームだ。

■レスリングへの理解を得るため大人の教室も開講

 五輪を目指す選手、しかも男女を擁しつつ、キッズ&シニア・ビギナーの教室も開講しているチームは、全国でクリナップだけだろう。天と地の差のある双方で指揮する今村監督の熱意は、震災くらいでびくともするはずがない。周辺にレスリング部のある高校がないため一貫強化体制をつくることができないのが残念だが、「レスリングをやりたい」という地元の高校生を受け入れたり、いわき市レスリング協会を設立して市をあげた普及・強化体制の構築に尽力。その情熱はとどまるとことを知らない。

 キッズの指導方針は「成長期だから、やらせすぎないこと。毎日の練習では逆効果でしょう」。連日のハードトレーニングは、中学以上になって「強くなりたい」という欲が出てきてからで十分との考えで、練習は3回。「キッズはレスリングの面白さを知り、安くて栄養たっぷりのものを十分に食べて体をつくることが大事だ」と訴える。
(右写真=練習後、中学生以上はウエートトレーニング)

 「レスリングは多くの運動能力を養う要素があります。将来、他のスポーツに進んでも役に立ちます」と、仮に違う道に進むことになっても、レスリングで鍛えた心技体をベースにしてほしいという考えも持つ。もっとも、2人の息子を含めて「ずっとレスリングを続けてほしいですけどね」と付け加えたが…。

 大人のためのレスリング教室をオープンしたのは、レスリングの発展のためには保護者や周囲の理解も必要と考えたから。3年前にスタートし、キッズ選手の父親を含めて市役所職員、刑務官、銀行の支店長などが週2回、汗を流している。その中にはキッズ教室の時に子供と一緒に汗を流す人もいて、毎年1月の全日本マスターズ選手権や全日本社会人選手権(年齢別)への出場も果たしている。

■今村監督を支える元大学王者の横瀬二郎コーチ

 こうした八面六臂(ろっぴ)の活躍の今村監督を支えるのが、1990年中盤の国士舘大を支えた横瀬二郎コーチ(1998年全日本選手権フリースタイル58kg級2位、同年国体優勝)。今村監督は世界選手権などの同行で長期間不在になることもあるが、横瀬コーチがいるので安心してチームを任せることができる。中学生や、高校生選手が相手でも、まだ十分にスパーリングができる実力と体力があり、頼もしい限り。京都出身だが、いわき市に住宅を購入。クリナップとレスリングの発展にこの後の人生を燃やす腹積もりだ。
(左写真=選手を指導する横瀬二郎コーチ)

 万が一の事態に備えて妻と1歳、5歳の子を里帰りさせており、単身生活が続く。「いつまで続きますかね」と事態の収束を願いつつ、「レスリングがなければ、どんなに物足りない生活でしょうか」と、現在の生活の支えはレスリングだ。生活の不安を感じつつも、全国少年少女選手権での選手の健闘を期待する。

 被災地でも頑張る姿は、全国のキッズ教室の励みになることだろう。地震・津波・原発事故は多くの人の命のみならず日常の幸せを奪ったが、レスリングにかける人の情熱を奪うことはできない。被災に負けない元気なファイトが期待される。



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