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【特集】元世界女王が指導するチームがスタート…栃木・THUNDER KID's
【2011年8月1日】

(文=増渕由気子)




 宇都宮クラブを前身とした「下野THUNDER KID's WRESTLING」が今年から始動した(右写真)。代表としてその座に就いたのは、1994年世界女子選手権75s級優勝で、女子レスリングの初期を支えたの船越光子さん。全国でもまだ少数の女性代表として、期待度は大きい。

 船越代表は小学校4年生の時からレスリングを始め、中学〜高校と進んだ後、ユニマットコーポレーションに籍をおいて活躍した。当時の目標は「世界一」。20歳で世界一になり、「私は世界チャンピオンになり、レスリングをやり切って辞めたんです」と、21歳の若さで現役を引退し、長くレスリング界から離れていた。

 2004年のアテネ五輪で女子レスリングが正式種目に加えられた時、同期生の山本美憂から「一緒に復帰しよう」と誘いがあったが、28歳だった船越には現役復帰の希望はなく、ただ、女子レスリングのステータスの向上が素直にうれしかった。船越代表は「日本一になっても新聞のスミに名前だけしか載らなかった競技が、以前よりだいぶメジャーになったことがうれしい。他人の目も変わり、レスリング経験者という肩書きを理解してくれる人が本当に増えた」と笑顔を見せる。

■キッズ・レスリング出身だからこそ、キッズ選手の気持ちが分かる

 現役引退後、盟友の山本が復帰する姿をあたたかく見守っていた。だが5年前、生活の拠点を故郷・栃木に移したことがきっかけで、船越代表は、またレスリングにのめりこんでゆく。

 栃木のキッズクラブに「レスリングの経験がある女性が近くにいるらしい」とのうわさが広まり、指導者としての依頼が舞い込んだ。初期の女子選手には、柔道など他のスポーツからの転向選手が多い中、船越代表は貴重なキッズ出身の選手。キッズ選手、特に女子選手の気持ちが手に取るように分かるという。

 「自分もそうだったんですが、女の子は、辛くなるとウソ泣きをするんです。男性コーチはそのウソの涙にだまされるんですが、私には分かるんです」とニヤリ。各選手の限界点をしっかりと見極めている。
(左写真=セコンドで試合を見つめる船越代表)

 また、小学校高学年になると、女子は第二次成長期に入る。そのケアも同じ女性の立場を生かして敏腕を振るっている。「今までは何でも男の子と一緒だったのを、着替えを分けたり、下着をつけさせたり、マット以外での女性としての行動の指導などを行っています。強くても、ガニマタとか、だらしがないのはダメです」と力説。その指導が実って、今大会は女性選手が一人優勝した。

■「キッズでおなかいっぱいにさせないこと」が重要

 栃木県では、かつて馬頭高校で女子をやっていた時代があったが、現在の中学と高校に女子レスリング部はない。県全体でキッズの強化を図る動きはあるものの、中学を卒業すると、育てた選手を県外に出さなくてはいけない。育てた選手が長くレスリングを続けられるよう、選手の環境づくりについても船越代表は奔走している。
(右写真=現役時代の船越代表)

 「私の仕事は、子供にちゃんとしたレスリングの形を作って、次のステージに渡すことです。キッズでおなかいっぱいにさせないことがポイントです。自分がキッズ時代に育てた選手が、早く大きい舞台で活躍してもらいたいですね」。

 子供たちにいつも伝えている言葉がある―。「あたしなんかができたんだから、みんなも世界一を目指せるんだよ。今の結果ではなく、続けることが大切なんだよ−」。元世界女王、船越代表が再びマットの上で輝きを放ち始めた。



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