▲一覧ページへ戻る


【特集】復興の祈りこめて…岩手インターハイが成功に終わる
【2011年8月8日】

(文=池田安佑美、撮影=保高幸子)




 8月1日〜4日まで行われたレスリングのインターハイは、3・11東日本大震災で会場が宮古市から八幡平市に変更して開催された。一時はインターハイ自体の開催も危ぶまれたが、なんとか通常開催にこぎつけた。

 宮古市の壊滅的な被害により、レスリングの代替開催に手を挙げたのは姉妹都市を結んでいた八幡平市だった。八幡平市役所職員の村上輝美総括次長を中心とした約30名の市役所職員の方たちも総出で運営を手伝い、誘致が決定して3ヶ月半で本番を迎えた。
(右写真=前列真ん中が村上さん。八幡平市役所ほか運営スタッフの皆さんとともに)

 八幡平市が満を持して誘致を受け入れたのは、過去3年に渡ってスキーの全国大会を開催した実績があったからだ。会場や宿泊の手配などは、そのノウハウがレスリングにも生きると判断した。周囲の協力も得られ、体育館に事情を説明して期間中の予定をずらしてもらい、当初と同日程で開催できるように調整した。

 ただ、地元高校生による補助員の増員は、教育期間が短すぎるとなって断念。補助員はいつものインターハイの3分の1の人数でやることを余儀なくされた。県内4校のレスリング部員と、そのOBたちで構成されたスタッフ、八幡平市の市役所職員約30名による運営で、6月の東北高校大会をプレ大会とし実施。村上氏は「こじんまりしてるけど、なんとかできた」と手ごたえを感じていた。
(左写真・岩手県の高校レスリングを支える村上和隆・前宮古商監督(八幡平市実行委員会事務局総務班)=左=と盛岡工・巣内哲司監督)

■マット・ステージ設置と観客席は高体連の規定かなわず

 できなかったこともあった。マット・ステージの設置は全国高校体育連盟(高体連)からの要望に入っていたが、村上氏は「八幡平は例年暑いんです。体育館には冷房施設がありませんでしたから、マットステージより、熱中症予防のための冷房施設の導入に予算を使いました」と説明。試合はフロアにマットをしいて行われた。「見栄えが…、と思うかもしれませんが、今回はご理解いただきたい」と村上氏。

 また、会場の観客席は400席で、高体連要望の2000人収容には及ばなかった。そのため、急きょアリーナにも200席の応援席を設けて計600席で対応したが、やはり収まらず、観客席には立って応援する人の姿が目立った。
(右下写真=フロアにマットをしき、アリーナに観客席をもうけた会場)

 だが、震災という事情を考えると、わずか3ヶ月で通常開催できたことだけでも十分に「成功」と言える。3月の全国高校選抜大会(新潟市)は中止となり、記録がかかっていた選手たちは記録に挑むこともできなかった。今大会は、55s級の高橋侑希(三重・いなべ総合)が史上3人目の高校3連覇を達成する大記録が生まれた。高橋は「インターハイもなくなってしまうかもしれないと不安だった」と、大会自体が開催されたことに深く感謝していた。

 村上氏は「宮古市と同じ岩手県内でやれたということが大きかったでしょう。運営がうまくいってホッとしています」と笑顔を見せた。岩手県でのインターハイ成功で、また一つ復興をアピールした。



  ▲一覧ページへ戻る