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八田会長の思い出

言い尽くせぬ奥深い人間愛の指導

日本レスリング協会会長 福田富昭 


 私のレスリング生活、そしてこれまでの人生の中で、最も影響を与えた人の一人が八田一朗会長である。鬼籍に入られてから20年の月日がたっているが、今でも私の心の中では八田“会長”である。

 最初にお会いしたのは大学1年の終わりごろだった。ローマ五輪でレスリング陣は金メダル0の惨敗を喫し、選手全員が丸ぼうずにさせられるなど会長の風評はレスリング界のみならず一般の人々にも及んでいた。私も「ずいぶん恐い人だ」と思った。しかし、教えを受けているうちに、次第に「いいお父さん」になり、しまいには「オヤジ」になっていった。父親としての親しみを感じる存在となり、結婚の媒酌の労もとっていただいた。

 八田イズムの教えの中で、勝てる相手に負けたとき、逃げ腰の試合をしたとき、時間に遅れたとき、掟を破ったとき、上下のヘアを剃るペナルティーがあった。東京五輪前後の流行語にもなった「剃るぞ!」である。

 頭の毛を剃るだけではない。下の大事な毛も剃る。毛が伸びてくるまでの間、毎日朝畳晩と顔を洗ったり、風呂に入ったりするときに、自分の何とも言えないみじめな姿を見ることで、その悔しさをエネルギーに変える目的だった。

 昭和40年、世界選手権後のソ連遠征でこれをやられた。そのときは八田会長が団長だった。私はソ連の学生チャンピオンに完全に勝っていた試合の残りあと何十秒というときに、ふと気を抜いて、かわず掛けを見舞われ、思わぬ敗北を喫した。すると「世界チャンピオンが敗れるとは何事だ! チンポの毛を剃れ!」というカミナリがとんできた。

 私に勝った選手は、世界チャンピオンに勝ったというので大感激、自分のサイン入りのテラコツタの民族人形をプレゼソトしてくれた。今でもこの人形は、自宅の書斎の戸棚にあり、それを見るたびに、悔しいやら、懐かしいやら、ほろ苦い思い出がよみがえってくる。

 確かに練習は辛く、厳しい教えだった。しかし誰一人文句を言わずについていった。会長が恐かったのではない。八田会長の人柄、統率力、魅力のためという理由もあったが、それだけでもない。八田イズムの教えはでたらめではなかったからだ。原始的であったかもしれないが、しつかりした根拠のもとに、実に合理的で近代的、科学的であったのだ。だから豪快、荒くれレスラー達も納得し、有無を言わずに従ってきた。

 もうひとつは、八田会長の指導には、言いつくせぬ奥深い人間的な愛が限りなくこめられていた。われわれ選手達は八田会長の人間愛の中に育ち、それについていったのである。すばらしい師であった。その後、私が何人かの選手から師とよばれる存在になったが、常に八田会長の行動を念頭におき、接してきたつもりだ。

 八田会長から受けた愛情と、いわゆる八田イズムは、レスリング界に末代まで伝えなければならない偉大なる遺産である。